ご注意! このお話は、いっしょにねようよ と 甘い香りが遠すぎる の間のエピソードです。
これらのお話を読了されてからお読みになると、より意味が通じるかと思われます・・・・・・何卒よろしくお願いいたします。
昨夜の秘密
1
なまじ近くなりすぎた距離が、今は却って苦しくて。
触れるだけの口づけと着物越しの抱擁でも充分幸せな筈なのに、とかく人間とは欲深な生き物で。
こんな俺の胸のうちを知ったならば、君は幻滅するのでしょうか。
それとも、君を求めてふるえるこの心ごと、俺を抱きしめてくれるのでしょうか。
ただ、君のことが好きで好きで大好きで。
だから、君のことが欲しくてたまらない。
ただ、それだけなんです―――
★
「・・・・・・いつから、そんなに甘えん坊になったの?」
寝床に入った剣心を見下ろしながら、戸惑い混じりの声で薫は言った。
彼の右手は、孤島で撃たれた怪我の所為でまだ動かせない。だから、剣心は自由な左手で、薫の小さな手を捕まえた。
「つい最近からでござるが、もともと素養があったのかもしれぬな」
そう言って剣心は笑ったが、薫は困ったように視線を泳がせる。「つい最近」というのは、より正確に言うと「ふたりで京都に行ってから」のことだろう。
つい先日、ふたりは京都に行って巴の墓にこの度の事を報告した。その夜、互いに「好き」だと気持ちを伝えあって、はじめて口づけを交わして―――「甘
えん坊」が発動しだしたのは、その日を境にである。
利き手が使えない剣心の寝支度を手伝った薫は、彼が床に入ったところで「おやすみなさい」と言って部屋を出るつもりだった。しかし剣心は薫が枕元か
ら立ち上がるより早く、彼女の手を捕まえて握りしめ、立ち去れないようにする。
「・・・・・・もう少しだけ」
大好きなひとから「一緒にいたい」とねだられて、それをはねつける事など出来るわけがなくて―――薫は束の間躊躇った後、膝を崩した。そして剣心の
隣に、寄り添うように横たわる。
剣心は首を横に倒して、薫に向かって満足そうに微笑んだ。近すぎる距離で笑いかけられて、薫の頬にさっと血がのぼる。
「・・・・・・傷、痛くない?」
気恥ずかしさを紛らすように問いかけると、剣心は薫の気持ちを察しつつ「大丈夫でござるよ」と答える。
「左之たちは、帰ったのでござるか?」
「まだよ。でも、恵さんがそろそろ帰るって言ってたから・・・・・・」
「ああ、この時間なら左之が送ってゆくでござろうな」
「そうね、今日は左之助、あんまりお酒も入っていなかったみたいだし・・・・・・なんだかんだ言って、そういうところ優しいわよね」
そんな事を話していると、玄関のほうから微かに声が聞こえてきた。ふたりの予想どおり「送ってくらぁ」と言っている左之助の声と、「お疲れ様、おやすみ
なさい!」と言う操の元気な声とが。剣心と薫は互いに頷きあうようにぱちぱちと瞬きをして、ふたり一緒にくすくすと笑みをこぼした。
「・・・・・・これだけ大勢ひとがいると、うちのなかが賑やかでござるな」
「そうね・・・・・・なんだか、父さんや母さんがいた頃みたい」
まだ、薫の両親が健在だった頃も、この道場はたいそう賑やかだったのだろう。懐かしむようにそう呟いた薫に、剣心は「今に、もっと賑やかになるでござ
るよ」と、囁くように言った。
「薫殿の剣術に対する真摯な姿勢は、皆ちゃんと知っているでござる。だから、今に弥彦に続いて門下生も増えるでござるよ。その時は・・・・・・拙者も、応
援するから」
握りしめていた手をほどいて、かわりに剣心は薫の頬に触れる。優しくくすぐるような感触に、薫は心地よさそうに目を細めた。
「・・・・・・ほんとに?」
「ああ、じきに、きっとそうなるでござる」
「・・・・・・剣心がそう言うのなら、間違いないわね」
首をのばすようにして、剣心は薫の額に唇を寄せる。薫は目蓋を閉じて、「楽しみだなぁ・・・・・・」と呼吸で紡ぐように呟いた。目許にも口づけを落としなが
ら、剣心はぼんやりと、やがて来るであろう未来を思った。
以前、薫にも言ったことがあるが―――いずれ左之助や恵はこの地を離れ、自身の道を歩み始めることだろう。弥彦もいつか成長して、一人立ちをする日
がくる。きっと道場には新しい門下生たちがやってきて新しい出会いがあり、この場所はもっと賑やかになるのだろうが―――そのかわり、この場所を去
る者たちもいる。それが、人の世の中というものだろう。
諸行無常の言葉のとおり、時は流れて、人はうつろう。
それが自然の理だと、そう思っていた。けれど―――
剣心は、薫の目蓋が閉じたままなことに気づき、「眠い?」と小さく尋ねた。
「ん・・・・・・ちょっと」
「ここで寝るのでござるか?拙者は構わぬが・・・・・・」
「だって・・・・・・剣心が触るの、気持ちよくて・・・・・・」
普段着で、布団の端に身体を乗せたまま、薫の意識は既に半分以上眠りの淵に沈んでいた。
ふに、と頬を指で軽くつついてみたが、目を開ける気配はない。珊瑚色の唇からは、やがて健やかな寝息がこぼれだす。
無心に眠る彼女に触れながら、剣心は「ずっと、一緒にいたいな」と、ごく自然にそう思った。
時は流れて、人はうつろう。
それ自然の理だと、そう思っていたけれど―――彼女とはずっと一緒にいたい。
どれだけ時が流れても、何が起こっても、ずっと一緒に、離れずにいたい。
以前の自分なら、「そんなことが許されるわけがない」と、その想いを即座に押し殺したことだろう。
しかし、今は違う。ずっと彼女と一緒にいられるように―――そのために、自分ができるすべてのことをしようと、そう思えるようになった。
彼女にも、否やはないだろう。ふたりで訪れた京都で、薫は「わたしの未来を全部あげるわ」と言ってくれたのだから。
来年も再来年もその先も、ずっとそばにいると、誓ってくれたのだから。
頬の曲線をなぞって、唇に触れてみる。
指を曲げるようにして押しつけると、無意識にか、薫は指先を食むように唇を動かした。
その感触に目を細めながら、剣心は「このまま、抱いてしまいたいな」と―――ごく自然に、そう思った。
2 へ続く。