3
闇の中、桜が舞う。
違う、桜ではない、これは雪だ。
ああまたこの夢だ、このところ連日見る悪夢。
わかっているのに、薫はちゃんとそばにいるのに、一度見てしまった夢が毎夜しつこく繰り返されるのをどうすることもできない。
見覚えのある背中が見える。
薫の小さな背中。
幾度もうしろから抱きしめて首筋に口づけた、愛しい彼女の。
いけない、手を引いては。
手を引くと彼女はきっと、また。
いけないとわかっているのに手をのばす。
誰か、誰か止めてくれ―――
「剣心? けーんしーん?」
夢の中の薫に手が届くより先に、彼女の声で現実に引き戻された。
はっとして目を開けると、そこには本物の薫の顔があった。
「大丈夫? 剣心」
自分の呼吸が、ひどく荒いのを自覚する。うぅ、と小さく呻いて、剣心は下から腕を伸ばし薫を抱きしめた。
寝間着越しに感じる、彼女の体温。その感触から彼女が生きていることを確認し、大きく安堵の息をつく。同時に目から涙が溢れ出る。
薫は剣心の胸に頭を預ける格好で、触れ合ったところから伝わってくる彼の震えを感じていた。
「・・・・・・もう平気?」
しばらく剣心の気の済むように任せていた薫は、静かな嗚咽がおさまってきた頃、そっと身を起こして尋ねた。
「あ、ああ、済まない、毎晩毎晩・・・・・・」
「今日ははわたしが先に起こしちゃったけれど、大丈夫だった?」
薫は剣心が今日も「こうなる」ことを予想して、先に起きていてくれたのだろう。そう思うとますます申し訳なく思った。
「大丈夫、むしろ助かったでござる。ありがとう薫殿」
薫がにっこり笑った。夢の彼女と違って、その唇から血を溢れさせることもなく。馬鹿馬鹿しいとは思いながら、そんなことにすら剣心は安心する。
「雪が、怖いの?」
核心を突く問いに、剣心は素直に頷いた。
「前の冬までは、どうということもなかったのだが・・・・・・この度はどうも、いかんなぁ」
「それは、わたしの」
死んだのを目の当たりにした所為かと、喉まで出かかったのを薫は飲み込んだ。けれども剣心にはそれで充分伝わったらしく、もう一度頷く。
「雪を見ていると、薫殿が消えてしまいそうな・・・・・・いなくなってしまいそうな気になる。巴が、そうだったから」
「・・・・・・そう」
「情けないでござるなぁ、たかが雪に、大の男が何を言っているんだか」
苦笑する剣心に、しかし薫は首を横にふった。
「ねぇ、気分は悪くない? どこか痛いとか苦しいとか、そーゆーのは」
「大丈夫、ほんとに、身体は全然平気だから」
大丈夫じゃないのは、心のほうなのだ、きっと。
剣心は内心でそうつぶやく。
「そっか、身体は元気なのね」
そう言うなり、薫は予想外の行動に出た。剣心の両腕をがっしりつかむなり、よいしょっと引っ張り上げ、強引に彼の身体を引き起こす。
「身体が元気なら、気分転換しましょ」
「へ?」
「外、行こっか」
唐突な発言に、剣心は目を白黒させた。
薫は本気だった。
ほらほら早く着替える! と急きたてられ、訳がわからないまま寝間着から普段着に着替えさせられた。それから「ちょっと待っててね」と言って
薫は隣の部屋に移ったのだが、何の気なしに襖を開けると「覗くなー!」と怒鳴りつけられた。
「何を今更・・・・・・」
「着替えは別なの! 見ちゃダメなのっ!」
身支度を整えた薫はぷんぷんしながら剣心に襟巻きを羽織を押し付ける。
「はい、外は冷えるからっ」
「何処へゆくつもりでござるか?」
「んー、河原あたりがいいかしら」
そう言って薫は剣心の手を引いた。
夜が終わりに近づく刻限。とはいえまだ街はひっそりと眠りについている。
薫は「寒ーい!」と言いつつ足を速めた。確かに、のんびり歩いているには辛い寒さだ。手にした提灯のあかりがゆらゆら揺れて、静かな往来に
蒼い影を落とした。
「思ったより、暗くないでござるな」
ぽつりと呟いたのに、「結構積もったものね」と、薫が答える。
「雪があると違うわよね、白い色が夜を明るくしてくれるんだわ」
夜明け前の街は、漆黒の闇というより群青の薄膜に包まれているようだった。
提灯のあかりに照らされた薫の横顔は、柔らかな青い紗を通しているようで、剣心の目にいつもより大人びて映った。
急ぎ足で河原に到着した二人は、注意深く川縁へと降りる。
先に立つ薫の足跡が、まっさらな雪に点々と刻まれてゆく。剣心は自分のそれよりひとまわり小さな足跡を辿るようにして歩いた。
「この辺でいいかしらねぇ」
事情を飲み込めないままついてきた剣心は、きょろきょろとあたりを見回す。
暗い川面に対して、見事に真っ白な河原。踏みしめた雪の下、かすかに枯れ草の感触が伝わってくる。明け方前の新雪はまだ誰にも荒らされて
おらず、足跡はふたりのものだけだ。薫は目の前の清らかな雪原に満足そうに大きく頷いて―――おもむろにしゃがみこんだ。
「薫殿?」
剣心は、呆気にとられながら薫を見下ろした。
雪の上、膝をついて何を始めるのかと思えば―――
「ほら、剣心も手伝って」
「って、何をでござるか?」
「見ればわかるでしょ、雪玉よ」
足元の雪を手のひらですくって、せっせと丸い雪の玉を作る薫。
剣心は狐につままれたような顔をしながらも、薫の横に屈みこんで同じ作業を始めた。
「うー、結構冷たいわね」
「なんだか、子供みたいでござるな」
「大丈夫よ、こんな時間にこんな場所にいるのわたし達だけだもん。誰も見ちゃいないんだし」
「違いない、しかし」
どんどん増えてゆく雪の玉。これをいったいどうするというのだろう。
そう思ったところで、薫が「こんなものかしら」と頷いて立ち上がった。それに倣って剣心も腰を上げる。
「じゃ、剣心、ちょっとそっちまで歩いて」
「こうでござるか?」
「そうそう、うん、そのくらい」
訳もわからず指示に従い、言われた場所で立ち止まる。
ふたりは、少し距離をとった状態で向かい合う格好になった。
「あの、薫殿? これは一体何をするつもりで・・・・・・」
「雪合戦」
「え」
薫は剣心にむかって、びしぃと人差し指をつきだした。
「勝負よ! 剣心!」
4 へ続く。