You are my sunshine




        「うそっ、もうこんな時間?! 行かなくちゃ!」




        よく晴れた午過ぎ、「赤べこ」は昼食の客たちで賑わい始めていた。
        混み出す前に店を訪れた剣心と薫だったが、鍋が空になるなり胴着姿の薫は気ぜわしげに席を立つ。


        「あら、薫ちゃん、もう行かはるの?」
        「うん、今日はこれから出稽古なの、妙さんごちそうさまでした! じゃあね剣心、行ってきまーす!」


        慌ただしく竹刀袋を手にとった薫は、小さい足に草履をひっかけて勢いよく店を飛び出す。
        そのまま走り出そうとして、ぴたっと足を止めて振り返る。そして、可愛らしい笑顔を剣心に向け、手を振った。
        手を振り返す剣心を見下ろしながら、妙はくすくす笑った。

        「剣心はん、鼻の下のびてますよ」
        「・・・・・・おろ」
        「お茶のおかわり持ってきますよって、ゆっくりしてってくださいね。このとおり、お客様も沢山呼んでくれはったことやし」

        妙のその言葉に、剣心は首を傾げる。
        「拙者、別に客寄せをした覚えはないでござるが」
        「いえ、今日は薫ちゃんがそこの席におったものですから」


        剣心と薫がさしむかいで食事をしていたのは、店の入り口に一番近い席。しかし、それがどうして「客を呼ぶ」ことになるのだろうと、剣心はますますもっ
        て意味がわからず不思議そうな顔をする。そんな剣心に、妙は茶を淹れながら楽しげに説明を始めた。
        「なんと言ったらええのか・・・・・・おるんですよ、どういうわけか『お客様を呼び込んでくれる人』っていうのが」

        妙の言によると、その人が店にいることによって、何故か他の客もつられるようにして寄ってくる―――そういう人がたまにいるらしい。
        薫もそういうタイプの人間らしく、彼女が今日のように入り口近くの席で食事をしていると、客の入りが良くなるのだという。


        「お店を覗きながら入ろうかどうしようか迷ってはるひとが、薫ちゃんの顔見てやっぱり入ってきはることって、結構あるんですよ。薫ちゃん可愛らしいです
        し、いつも美味しそうに食べてくれますしなぁ・・・・・・まぁ、何が理由ということはないんやろうけど、とにかくお客様が増えるんです」
        「ほぅ・・・・・・面白いでござるなぁ」
        「だから、今日はちょっとお客様が少ないなぁって日には、薫ちゃんをそこの席に案内してたんですよ?」
        「おろ、そうだったんでござるか? それは気づかなかったでござるよ」
        「大事な奥様をそないなふうに使ってしもて、申し訳ありまへん」
        わざとらしく神妙なそぶりで頭を下げてみせる妙に、剣心はつい笑ってしまった。

        「いや、それは薫殿が聞いたらきっと喜ぶでござるよ。しかし、不思議なものでござるなぁ」
        「そうですねぇ、薫ちゃんのお日様みたいな雰囲気が、人を呼ぶんやろか・・・・・・あ、はーい! 今すぐ!」


        他の客から呼ばれた妙は、返事をしながら声のほうに飛んでいった。
        残された剣心は焙じ茶をすすりながら、妙の講釈に感心していた。


        人を呼ぶ。確かに薫には、そんなところがある。
        もともと剣術小町と呼ばれるくらいの器量よしなのだから、当然といえば当然なのかもしれないが―――単に容姿の所為というわけではないのだろう。
        無意識に他人の心を暖かくするような、その笑顔につられてこちらも笑顔になるような、そんな明るい空気をもった人。薫はまさにそれにあてはまる。




        お日様、か。
        確かに。






 
        ★







        警察署に寄って用事を片付け、買い物を済ませると結構な時間になった。
        傾きかけた太陽を横目に見ながら河原沿いの道を歩いていると、背中から声が飛んできた。


        「けーんしーん!」


        ふり向くと、薫が息を切らせながら賭けてくるのが見えた。走りながら剣心にむかってぶんぶんと手をふってくる。
        遠目にもわかるその笑顔は、さしずめ擬音をつけるなら「きらきら」といったところで―――眩しい。
        自然と頬が弛むのを自覚しながら、剣心は今来た道を少しばかり戻る。追いついた薫は、彼の懐に飛び込むような格好で立ち止まった。

        「やっと追いついた! 剣心足速いんだもの」
        頬を健康的な色に染めて、薫はにっこりと剣心に笑いかける。

        「・・・・・・やっぱり、太陽でござるな」
        「ん? 太陽がどうしたの?」

        薫が首を傾げると、背後から賑やかな声がした。
        ふたりがそちらに目をやると、遠くで胴着姿の少年たちが手を振っていた。前川道場の門弟たちだ。
        「みんなー! また道場でねー! 気をつけて帰るのよー!」
        薫は大きな声で叫びながら、手を振り返す。はーいと更に元気な返事が戻ってきたが、中には若干冷やかすような声も混じっていた。



        彼らの姿が見えなくなってから、剣心は待っていたかのように指をのばして、薫の手をとった。







        ★







        その晩、布団の中で横になりながら、剣心は妙から聞いた話を薫に語った。



        薫は鏡台にむかって髪を梳きながら、背中で彼の話を聞いている。
        「なんだか面映いなー。お日様だなんて、いくらなんでも褒めすぎでしょ」
        照れたような声を返しながら、薫は長い黒髪をするすると緩い三つ編みにしてゆく。


        「太陽みたいでござるよ。さっき、道で走ってきたときもそう思った」
        片手で肘をついて頭を支える格好で、剣心は薫の細い背中に向かって話す。
        「すべてを照らして、花や草木を育む―――あたたかい、太陽でござるよ」
        「ちょ、やーめーてーよー! 嬉しいけれど恥ずかしい!」
        薫は櫛を置き、笑いながらするっと夜具の中へ、剣心の隣へと潜りこんだ。

        「・・・・・・なんだか、申し訳ないでござるなぁ」
        「ん? 何が?」
        「お日様を、こんな夜のような男が独占してしまって」


        当たり前のように口をついて出た台詞に、薫はまばたきをする。
        「剣心は、夜?」
        「うーん、昼か夜かどちらかと問われたら、拙者は―――夜でござろうな」

        自嘲するでもなく、さらりと、否定的な言葉をこぼす。
        薫はそんな剣心を責めなかった。



        彼の胸の奥にはまだ残っているのだろう。沢山の命を殺めてしまった過去、それに伴う悔恨が。
        それは正しいと信じた道の上で振るった剣だった。それでも彼は感じている。罪の意識を。


        しかし薫は、剣心がそんな感情を表に出すのは、悪い傾向ではないと感じている。
        だって、彼はその思いを捨てることなく、ごまかすことなく―――「これから」を生きてゆくことを決めたのだから。

        そして、それは出会ったばかりの頃は、決して見せようとしなかった部分だから。
        今の彼は、消えない後悔も脆い部分も、隠さず認めてさらけ出して―――薫とこの先の人生を、生き続けようと思っているのだから。



        「ねぇ剣心。もしこの世に夜がなくて、太陽がずっと沈まないでいたら、大変なことになっちゃうわ」


        つい、と顔を剣心に近づけて、薫は続ける。
        「田んぼも川も海も干上がっちゃって、草木も枯れて野菜もお魚もとれなくなっちゃって、みんな生きていけなくなっちゃうじゃない。だから、夜があるんで
        しょ? お日様には夜に抱かれて眠る時間が、必要なんでしょ?」
        至極当然、というふうに薫が笑った。
        剣心は虚を突かれたように薫の顔をしばらく見つめていたが、やがてふっと表情をやさしく緩めて、薫を抱き寄せた。


        「・・・・・・こんなふうに?」
        「そう、こんなふうに」



        あなたがわたしに、どんな弱い部分を見せてきても、平気。
        だって、わたしも決めたのだから。あなたとふたりで幸せになることを。



        「剣心がわたしをお日様って言ってくれるなら、いつでも照らしてあげるわよ。わたし、明るいのだけがとりえだもの」
        薫が剣心の胸に頬を寄せると、剣心は柔らかな黒髪に顔をうずめて微笑み、呟いた。
        「・・・・・・ありがとう」



        きみの光が照らしてくれるなら、俺は未来へと歩いてゆける。
        だから、ずっとずっと、この先もふたりで。






        やがて薫は小さな寝息をたて始めた。
        規則正しい呼吸が胸をくすぐるのを感じながら、剣心も目を閉じる。









        太陽は夜の腕に抱かれて眠る。
        やがて来る明日を、また眩しく照らすために。














        了。





                                                                                         2012.11.13








        モドル。