嫁入り日和









        その日、久しぶりに東京の街に暖かな陽光が降りそそいだ。




        ここ数日は冷たい雨が続き、たまに雲が晴れたと思うと乾いた木枯らしが葉末の紅葉を散らした。
        明治十一年の暦もすっかり薄くなり、一年の終わりにむかって日毎に寒さは増すばかりだったが、今日は久々の小春日和である。街の人々は皆ほっと
        一息ついたような顔で雨戸を開け放ち、冬用の布団を干したり庭仕事に精を出したりして、ぽかぽかと暖かい太陽の恩恵を賜った。

        連れだって買い物に出た剣心と薫も「せっかくのよいお天気を堪能しないのは勿体ない」と意見が一致し、遠回りの道を選んで帰ることにした。
        暖かな陽の光を頬に感じながら、ふたりがのんびりと河原に沿った道を並んで歩いていると、前方からゆっくりと近づいてくる一団があった。


        「あ・・・・・・」
        薫が先に気づき、立ち止まって剣心の袖を引いた。



        「花嫁行列だわ」



        ふたりは道の脇へと避けて、行き会った行列が通り過ぎるのを待った。
        親類縁者たちに守られるようにして、列の中央をしずしずと歩く花嫁御寮が、剣心と薫の前を行き過ぎる。
        綿帽子の陰から、僅かに花嫁の顔がのぞいて見えた。髪を結い、ふっくらとした唇に紅をさした小柄な娘は、薫と同じくらいの年頃のようだ。

        静かに、しかしあたたかな喜びの気配を溢れさせながら、行列はゆっくりと進んでゆく。
        すれ違い、遠ざかってゆく彼らを眺めながら、薫はほうっとため息をこぼした。


        「憧れるでござるか?」
        「え?」
        「花嫁行列」
        明らかに、ぽーっとした様子で花嫁を見つめていた薫に向かって、剣心は尋ねる。薫は「そうねぇ」と笑ったが、続けて小さく首を傾げた。

        「でも、わたしはしないわ。ああいうお嫁入りは」
        「え? 嫌なんでござるか?」


        その返答が意外で、剣心は驚く。
        結婚に、興味がないということだろうか。しかし、明らかに今薫は、憧憬の念を湛えた瞳で花嫁を見ていたというのに。

        「あ、ううん、そうじゃないの! そうじゃなくて・・・・・・わたしだったら祝言は、うちの道場で挙げたいから」
        付け加えられた言葉に、剣心は納得した。
        たしかに、神谷道場で祝言をするとなれば、嫁入りの行列をつくって歩く必要はないだろう。
        「それは、ずっと前から決めていたんでござるか?」
        「んー、まぁ、小さい頃からなんとなくそう思っていたかなぁ。子供の頃から、大人になったら道場を継ぐんだーって思ってたから」

        そこは両親から強要されたのではなく、自分で望んだのだ、と。以前薫は剣心に語ったことがあった。
        ならば、結婚するとしても家を出ることはないだろうから、お嫁に「行く」というのは薫にとっては想像の埒外なのだろう。


        「あ、花嫁さんには勿論なりたいわよ? ちゃんと髪を結ってね、かんざしを挿すの。母さんやお祖母ちゃんがお嫁入りの時に使ったのがとってあるから、
        わたしもそれを挿して・・・・・・」
        歩きながら嬉々として説明を始めた薫に、剣心は頬を緩ませた。興味がないどころか、ちゃんと女の子らしく自分の婚礼に対する確固たるイメージを持っ
        ているらしい。

        「でね、ささやかでいいから、和やかで楽しい祝言にしたいの。近所のひとや他の道場のひとたちが、ひょいっとお祝いを言いに来てくれるような」
        「それは、薫殿らしいでござるなぁ」
        「そしてお庭に臼と杵を用意してね、餅搗きするのよ」
        「・・・・・・餅搗き?」


        首を傾げた剣心に、薫は不安げに眉を寄せた。
        「変かしら、餅搗き」
        「ああ、いやいや、祝言のしきたりはその土地それぞれでござるからな」

        長いこと諸国を放浪してきた剣心は様々な土地で、祝言や葬式など、そこに住む人々の節目の儀式を度々目にしてきた。
        日本は広く、所変われば冠婚葬祭のしきたりも異なるものなのだな、と。その都度思ったものだ。


        「えーとね、この土地っていうよりは・・・・・・このあたりの剣術道場での恒例、っていうのかしら? ほら、餅搗きなら門下生が何人押しかけたって、一緒に
        楽しめるでしょ。お餅なら大人数に振舞うのも簡単だし」
        「成程・・・・・・そういうことでござるか。確かに、それなら食べ盛りの年頃の子も遠慮なく足を運べそうでござるな」
        「うん、そういうこと! 父さんと母さんの婚礼のときも、門下生や近所の皆さんで搗いたんだって」
        得心したふうに頷く剣心に、薫は楽しげに話を続けた。

        「だから、わたしの祝言のときも、そんな感じにできたらいいなぁって、子供の頃から憧れてたの」
        「それは、足を運んでくる方々も喜ぶでござろうなぁ」
        「でしょ? お世話になっている道場のひとたちにも来てもらいたいし、女のひとにも捏ね取りだけじゃなくて杵もとってもらって、いろんな人に参加してほ
        しいなぁ・・・・・・うーん、きっと無理だろうけど、もし左之助がいたら凄いことになりそうよね。勢い余って臼まで割っちゃいそう」

        今は遠い異国にいるであろうあの友人ならば、その気になれば杵をとらずとも素手で臼を粉々にすることもできるだろう。その様子は容易に想像でき
        て、剣心はつい笑ってしまった。


        「そこは奴でも流石に加減するでござろう・・・・・・弥彦も張り切るでござろうな」
        「あの子、まだ杵がちょっと重いんじゃないかしらねぇ。でも手を貸したら怒られちゃいそう」
        「あはは、違いない」
        「剣心は、力もあるし器用だから上手そうね。弥彦にお手本見せてあげてよ」
        「おろ、新郎が搗いてもよいのでござるか?」
        「もちろんよ、着物を汚さないよう気をつけなきゃいけないけ・・・・・・ど・・・・・・」



        ぴたり、と。ふたりは同時に足を止めた。
        そして顔を見合わせて、ふたり一緒にぼっと赤くなる。

        あくまで薫の「憧れの婚礼」について話していた筈、だった。
        その「相手が誰か」については、触れてはいない筈、だったのだが―――



        剣心と薫は微妙に視線をずらしながら、ここからどう話を続けたものかと必死に言葉を探した。
        そして、薫が「いいことを思いついた」とばかりに顔を輝かせる。


        「ね、暮れに餅搗きしましょうよ!」
        「え?」
        「去年は父さんもいなくてひとりきりで、お正月用のお餅も搗かなかったんだけど・・・・・・今年は剣心がいるもの。弥彦や燕ちゃんも呼んだらきっと楽しい
        わ、どうかしら?」
        「ああ・・・・・・それは名案だ」
        「ねっ!」
        ふたりはまだ赤い顔のまま、もう一度顔を見合わせて、笑う。



        「臼と杵、あるんでござるか?」
        「うん、物置に仕舞ってあるの。しばらく出してなかったんだけど」 
        「それは、使わないと勿体無いでござるな。それでは・・・・・・まずは、暮れにでござるな」


        「まずは」を気持ち強調しつつ、剣心が言った。
        「・・・・・・そうね、まずは、暮れにね」
        照れくさそうに、しかし嬉しそうに、薫が答えた。


        そして、ふたりはゆっくりと帰路につく。










        剣心が改めて、「拙者の妻になってくれ」と薫に求婚したのは、それから数日後のこと。



















       
 了。





                                                                                   
 2012.12.06


        モドル。