正直に言うと、怒りっぽくて無愛想な娘なのかと思っていた。
        だいたい、初対面からして怒り顔だったし。そのうえ問答無用で木刀で撃ちかかってきたわけだったし。



        ―――でも、そんな「第一印象」が覆されるのには、たいして時間はかからなかった。










     
  Smile please





      






        「ね、もう一軒寄っていってもいい?」



        連れだって街に出たその日、そろそろ帰ろうかという頃に、薫が言った。
        「どの店でござるか?」
        「貸本屋さんに行きたいの。ちょっと遠回りになっちゃうんだけど」
        「構わぬよ、では、あちらでござるな」
        四つ角のその先を迷いなく選んだ剣心に、薫は目をみはる。そのまま驚いたような表情でじいっと見つめられたものだから、剣心はちょっと不安になって
        「・・・・・・こちらの道ではなかったでござろうか?」と尋ねた。
        「ううん、合ってるわよ。っていうか、剣心このへんの道、もう覚えちゃったの?」

        成程、それで驚いていたのか、と剣心は納得する。
        「まぁ、偽者騒ぎのときに、拙者もこのあたりはあちこち歩き回ったし。道場に戻る経路と店の並びくらいなら覚えたでござるよ」
        「そっかぁ、でも凄いわね。このあたり、結構細い道が入り組んでいて判りづらいのに」

        そう言いながら、にこっと笑うものだから、今度は剣心が薫の顔をまじまじと見つめてしまった。
        「・・・・・・何? どうかしたの、剣心?」
        「あ、いや、なんでもないでござる・・・・・・では、行こうか」
        先に立って歩き出した剣心の後ろ姿を見て、薫は小さく首を傾げ―――そして、悪戯っぽく唇の端を上げると小走りにその背中に駆け寄った。


        「ねえ、貸本屋さんの後にもう一軒だけ寄ってもいい? また大通りに戻るんだけど・・・・・・わたしが道案内するから」
        「それも構わぬが、何処へでござる?」
        「わたしの、片想いの相手がいるお店」
        「そうでござるか、承知したでござ、る・・・・・・?」


        会話の流れでそのまま返事をしたものの、うっかり語尾が変な調子になってしまった。
        そんな剣心に気づいているのかいないのか、薫はリボンを揺らして軽やかな足取りで彼を追い越し、まずは貸本屋へと向かった。








        ★








        『彩月堂』



        貸本屋の後、薫が案内した先にあったのは、そう屋号を掲げた店だった。
        どうやら古美術品などを扱っているらしく、店先には古い家具や壷や人形といった骨董品が並べられていた。構えは小さいが、見るからに品のよい店で
        ある。


        「・・・・・・ここでござるか?」
        「うん、ちょっと高価いものが多いから、いつもひやかすだけで申し訳ないんだけど・・・・・・あ、こんにちは! ご無沙汰しています!」
        薫がぺこりと頭を下げる。剣心がそちらに視線をむけると、中から店主とおぼしき男性が出てくるところだった。
        「やあ、これはこれは、お久しぶりですなぁ。ようこそいらっしゃいました」

        低く、よく通る声で挨拶が返される。
        深々とお辞儀をしたのは、上品な紬に身を包んだ背の高い男性だった。
        眼鏡をかけて、髪に白いものの混じった―――初老の、男性である。



        ・・・・・・片想いの相手、って。
        まさか。


        どう見ても、親子くらい年齢が離れているだろうに。いやひょっとして、だからこその片想いなのだろうかこの御仁はおそらく妻帯しているだろうし―――
        などと、一瞬のうちに沢山の「まさか」が剣心の頭の中をよぎったが、それを打ち消したのは他ならぬ店主の言葉だった。

        「また、『愛しの君』に会いにきてくださったのですか?」
        「いつもお邪魔してしまってすみません・・・・・・剣心、紹介するわね。こちら、彩月堂のご主人よ」
        薫は店主にも剣心を紹介し、そして、もったいぶった口調で「・・・・・・で、こちらがわたしの十年来の片想いの相手」と言いながら、店先を指し示した。



        そこにいたのは、華やかな友禅の着物を身にまとった、澄んだ瞳の、とても愛らしい―――
        一体の、人形である。



        「・・・・・・ええと、こちらが、で、ござるか?」
        一音ずつ念を押すような、これまた妙な調子で聞き返してしまったが、薫は大きく頷いた。
        「そうなの! わたしが小さい頃からずーっとここに飾ってあるお人形なのよ。子供の頃、初めて見た瞬間に一目惚れしちゃって・・・・・・もうその時から連
        れて帰りたくてたまらなかったんだけど、残念ながら売り物じゃないんですって」
        「申し訳ありません、その子はうちの『看板娘』でして、値段はつけていないのですよ」

        店主の解説によると、この人形はもともとはさる大名家のお姫様の物だったらしい。幕府が瓦解した際、その家はそろって奥方の実家のある地方へ移
        り住んだそうで、その時かなりの家財とともにこの人形も手放してしまったそうだ。
        人形は巡り巡って彩月堂に買い取られたが、あまりに可愛らしく美しい人形だったので、店主は「非売品」として店の顔にすることに決めたのだった。


        「だから、せめて眺めるだけでもと思って、時々こうやって会いに来ているのよ」
        ねぇ? と、薫は人形にむかって話かけるように首をかたむける。子供のようなその仕草を見ながら、剣心はかくんと肩から力が抜けるのを感じていた。
        「片想いとは、そういうことでござるか・・・・・・」
        息を吐き出しながら呟いた剣心を見て、薫は楽しげに笑った。
        「えへへ、そういうこと。でも本当に可愛いでしょう?」
        剣心は薫の笑顔と人形とを交互に見比べながら、ぼそりと「ああ、可愛いでござるな」と答えた。




        先程も、思ったけれど。
        この娘は、いつも怒っているわけではないし、無愛想なわけでもない。
        こんなふうに、笑うこともできるんだ。



        それどころか、笑うと、とても―――




        一歩離れたあたりから剣心と薫を眺めていた店主は、ふたりのそんなやりとりを見て、眼鏡の奥にある目を柔らかく細めた。
        「お二方とも、ここは冷えますから中へどうぞ。今お茶を淹れさせましょう」
        よかったら奥も覗いていってくださいと勧められ、ふたりは恐縮したが結局はその言葉に甘えることになった。お茶を運んできたのは薫と同じ年頃の店
        主の娘で、久々に顔をあわせた少女ふたりは、ひとしきりおしゃべりに花を咲かせた。

        そうこうしているうちについ長居をしてしまい、薫は帰り道の途中「すっかり遅くなっちゃったわね」と、済まなそうに剣心に言った。しかし、こうした形で
        「知り合いが増える」という事はなかなか新鮮な体験だったので、剣心は素直に「いや、楽しかったでござるよ」と答えた。


        旅暮らしの中でも様々な出会いがあったが、それはいずれも一瞬の、束の間の縁だった。
        まだ神谷道場に身を置いて間もないが、これからも今日のように、この少女を通じて新しい出会いが生まれてゆくのだろうか。

        ―――つい、そんな事を考えてしまった自分に、剣心は驚いた。
        これまで、ひとつの場所にそこまで長居をしたことはなかったというのに。
        同じ場所にとどまりたいと思ったことなど、なかったのに。



        彼女の、所為だろうか。
        薫の、お人好しで危なっかしいところが心配だったから。そして、彼女の「ここにいて欲しい」という言葉に、甘えてしまったから。
        それに―――



        「素敵なお店だったでしょ? また行きましょうね」
        笑顔でそう言われて、剣心はやはり素直に頷いた。










        そして、ふたたび彩月堂に足を運ぶ機会は、思わぬ形で、思っていたより早くやってきた。

















        2 へ続く。