「・・・・・・おろ?」
なにやら騒がしい気配を感じとって、剣心は眉をひそめた。
「片想いの相手」を紹介された、翌々日のことである。剣心は薫に頼まれて、出稽古の彼女にかわって貸本屋へ足を運んだ。
借りていた本を返し、あとはまっすぐ道場へ帰るつもりだったのだが―――その途中、行く手の先、道の脇に体格のよい男たちが数人固まって立ってい
るのが目に入った。どうやら人数は三人、誰かを囲んで、何か因縁をつけているような―――
剣心は歩きながら、目を凝らして状況をうかがう。
そして、その「誰か」が先日知り合ったばかりの人物と気づくや否や、早歩きの速度を駆け足に変更した。
「・・・・・・お話中失礼するでござる、彩月堂の御主人ではござらんか?」
背中から声をかけられ、男たちが一斉に振り向く。
その顔つきを見て剣心は彼らに対する印象を、「体格のよい」から「体格がよくて、柄の悪い」へと改めた。
「ああ、これはどうも緋村さん。こんにちは」
男たちの陰から剣心の姿を認めた彩月堂の主人は律儀に頭を下げた。その声に怯えた様子が微塵も感じられないことに剣心は感心する。物腰は柔ら
かいが、存外、肝の据わった御仁なのかもしれない。
しかし、いくら店主が平然としていたとしても、穏やかならぬ状況なのは明らかだった。彼の顔には殴られた痕跡があり、足元にはつるの曲がった眼鏡
が打ち捨てられている。どう見ても友好的な話し合いが行われていたとは思えない。
「・・・・・・眼鏡が壊れてしまったようでござるな。それでは足元が危ないでござろう、店までお送りするでござるよ」
そう言って剣心は、店主と男たちとの間に割って入ろうとした。それを三人組の中でも特に背の高い、大柄な男が押しとどめる。
「おいおい兄ちゃん、あんた俺たちが見えてねえのか? こっちはまだ『お話』が終わってねえんだ、勝手に帰られちゃ・・・・・・」
男は突然割り込んできた剣心の襟首に掴みかかろうとする。が、その手が届く前に剣心の腕に動きを阻まれ、逆に手首を掴まれる。男は顔をしかめ
て、半ば反射的に振りほどこうとして力をこめたが―――どういうわけか、自分のそれよりずっと細い剣心の指は、いくら力をいれようともびくともしない。
「なっ・・・・・・?」
男は異様なものを見るような目を剣心に向ける。
「しかし御主人のほうは、もう話は済んでいるようにお見受けするが」
男のほうを見もしないで、剣心は呑気な口調で店主に尋ねた。店主も「そうですねぇ、店もありますし、そろそろ帰していただきたいものですが」と落ち着
いた声でそれに返す。
「手前、ふざけやがって!」
と、別のひとりが芸の無い台詞を叫びながら剣心に殴りかかってきた。しかし、やはりその拳は剣心には当たらず、反対に跳ね飛ばされ、無様に地面に
転がる。
傍から見ると、男が勝手に地べたに倒れこんだように見えたかもしれない。実際は、長身の男の手を掴んだままの剣心が、もう片方の手で素早く逆刃
刀を鞘ごと突き上げて、柄の先でしたたかに男の手首を突いたのだった。
「ぐ、あぁっ!」
手首を押さえて悶絶する仲間の姿を目にして、残りの二人の間に動揺が走った。剣心は、長身の男の腕を掴む手に、僅かに力をこめる。
「拙者としては、ここで騒ぎを起こすのは本懐ではないのだが・・・・・・お主らとて、そうでござろう?」
口調はあくまで穏やかだった。しかし、向けられた視線はひやりと底冷えするもので、男はそれに言い知れぬ恐怖を覚える。
「・・・・・・おい、行くぞ」
「えっ? で、でも兄貴・・・・・・」
「一発はぶん殴ったんだ、それでもう『仕事』は済んでるさ・・・・・・おい」
「ああ、失礼」
剣心は、ぱっと男から手を離した。男たちは憎々しげに剣心をひと睨みし、そして逃げ出すようにしてその場から立ち去った。
「ありがとうございます・・・・・・いやぁ、助かりましたよ」
彩月堂の店主は大きく安堵の息を吐きながら、剣心に礼を言った。
剣心は男たちが完全に姿を消したのを確認してから、地面に落ちた眼鏡を拾って店主に手渡す。
そして真面目な顔で―――店主に頭を下げた。
「いや、こちらこそ、申し訳なかったでござる」
どういうわけか、助けてくれた側の剣心から謝られ、店主は不思議そうに眉を寄せる。
「御主人は、実に毅然とした様子で彼等に相対していたのに、拙者といえばあのような手荒なやり方でしか場を収めることが出来ず・・・・・・どうも、差し
出た真似をしてしまったかと」
店主は、とても堂々とした物言いで、臆することなく彼等に対峙していた。丸腰で、三対一なのにもかかわらず、である。
あの様子なら自分が割って入らなくても、店主ひとりで彼等を言いくるめるなり何なりして、危機を切り抜けられたのではないか。
だとしたら、力に任せて彼等を追いはらったのは余計なお節介だったかもしれない―――
剣心としては、そう感じたための謝罪だったのだが、きょとんとした顔で剣心を見ていた店主は、不意にぷっと吹き出すと声をあげて笑い出した。
今度は、剣心が呆気にとられる番だった。
いったい自分はそこまでおかしい事を言っただろうか、と訝しみながら店主の笑いがおさまるのを待っていたが、やがて彼は「いやいや、失礼しまし
た」と、嬉しそうに目を細くして剣心の顔を見た。
「実は、今貴方が仰ったことが、ある人の言葉とそっくり同じだったものですから・・・・・・こんなめぐり合わせもあるのかと思ってしまいましてな」
「ある人・・・・・・?」
店主は頷くと、その人物を懐かしむように、一瞬だけ目を閉じた。
「薫さんの―――お父上ですよ」
3 へ続く。