つとめて何気ないふうに。
声の調子が重くならないように、訊いた。
どうせ今、凄く恥ずかしい状態なのだし。
剣心だって、まさか自分からこんなふうにして繋いだ手を離して逃げることはないだろうし。
それならばと思って、なかば勢いで尋ねてみる。
しかし剣心にしてみれば、それは唐突な質問であった。
明るい色の目を驚いたように少し大きくして、そして、たっぷりの間をおいて口を開く。
「・・・・・・それは、勿論・・・・・・その、好きだからで・・・・・・ござるが」
照れくさいのは当然だろう。薫の顔を見ずに頬にさっと血をのぼらせて、最後の方はごにょごにょと口の中で呟くようにして、剣心は言った。その言葉に
嘘がないことは判るし、その言葉でもう充分返答になってはいるのだが―――しかし薫はぶんぶんと首を横に振って、更に食い下がる。
「そういうのじゃなくって! もっと、こう・・・・・・一体わたしのどこがよくて・・・・・・夫婦になろうと思ったの?」
薫が、そんな事を改めて訊いてくるのは初めてだったので、剣心は内心かなり驚いていた。しかし、自分に向けられた彼女の瞳は、何か思いつめたよう
な色を帯びている。照れくさいからといって、答えをはぐらかしたりすることは出来なかった。
剣心は、「どう表現したら一番きちんと伝わるだろうか」と考えているらしく、少しの間宙を見つめる。
それから、首をめぐらせて、薫の目を凝っと見た。
「薫殿が、拙者の『答え』だからでござるよ」
意味がわからずに、薫は首を傾げる。
「答え・・・・・・?」
「昨年の、縁との闘いで拙者が言ったこと、覚えているでござるか?」
「それは・・・・・・覚えている、けれど」
あの時、剣心は如何にして償うのかを問われた。
それは、彼自身がずっと己に問い続けてきた命題でもあった。
そして、剣心が出した答えは、「生きてゆく」ということだった。
沢山の命を殺めてきた罪もそれに対する後悔も、全部なにもかも捨てないまま、それでも「生きる」と。
生きて―――闘いの人生を完遂すると。
「でも・・・・・・それが、どうしてわたしなの?」
突然に話が飛んだことに、薫は眉をひそめる。けれど剣心は話題を変えたつもりはまるでなかった。それどころか、大真面目だった。
「あの『答え』は、結局ぜんぶ薫殿のなかに、あるんでござるよ」
手を繋いだまま、ふたりはゆっくりと歩く。彼の声に耳を傾ける薫も、真剣に「説明」をする剣心も、周りの人の目を気にする余裕は既になくなっていた。
「薫殿に会う前は・・・・・・いつ死んでもかまわないと、ずっと思っていた」
その台詞に、薫ははっとする。そんな彼女に、剣心は目を細めた。
「以前は、償うだけ償って、救える人々を救えるだけ救ったら、いつこの命が尽きてもかまわないと思っていた。けれど、志々雄と闘ったときに気づいたで
ござるよ。『待っている人がいるから、死にたくない』、そう思っている自分にな」
「わたし・・・・・・の、こと?」
剣心は、嬉しそうに頷いた。
あの時、死の淵から自分を「生」へと引き戻してくれたのは、薫の笑顔だった。
そしてあの時、はっきりと思った。彼女を悲しませたくないから、生きていたいと。
「拙者は、あの孤島で縁に―――この先、ひとつでも多くの笑顔を、人々の幸せを守るためには、命を投げ出すわけにはいかないと言ったが・・・・・・薫殿
がいなかったら、あの答えには辿り着けなかったでござるよ。そもそも、その前に京都で命を落としていただろうし」
縁起でもない事を口にする剣心に、薫はまた首を横に振った。京都と、そして孤島での闘いのことがよみがえって、胸が落ち着かなくざわついた。
「でも、でも! あの答えは剣心が自分自身で出したものでしょ? うんと悩んで、考え抜いて、苦しんで・・・・・・わたしの中になんてないわ、全部、剣心が
ちゃんと自分で・・・・・・!」
今度は、剣心が首を振る番だった。
「確かに、自分で考え抜いた末に出した答えだ。でも、それは全部、薫殿に繋がっているんでござるよ」
剣心の足が止まる。一歩遅れて、薫も彼の隣に立ち止まる。
往来の人々の流れの真ん中で、ふたりのまわりだけ、そこだけ時間が止まったように。
「・・・・・・拙者は、ひとりでも多くの人の笑顔を、守りたいと思った」
「・・・・・・うん、覚えてる」
「大それた願いかもしれないが、ひとつでも多くの幸せを、この世に灯したいと思った」
「それも・・・・・・覚えてるわ」
「だから、拙者は薫殿と一緒になったんでござるよ」
またしても話が飛躍したように思えて、薫は困惑する。剣心も、これだけでは言葉が足りないのは承知の上だったようで―――
一旦黙り込んでから、やがて、意を決したような面持ちで口を開いた。
「薫殿を、幸せにしたかったんでござるよ」
「・・・・・・え?」
「だって、一番大切な人ひとりを守れないような―――幸せにできないような男が、その他の人たちを幸せにできるわけがないでござろう?」
ぎゅっ、と。握った手に痛いくらいの力が籠もった。
言いにくい台詞を思い切って言った緊張で、つい無意識に手にも力が入ってしまったのだが、言われた薫のほうもそんな事を気にしている場合ではなか
った。
―――だって、まさかそんな答えが返ってくるとは思っていなかった。
ただ、「こんな、男勝りでがさつで淑やかさから程遠いわたしの、一体どこがよかったの?」と、そんな不安から訊いてしまった幼い疑問だったのに。
剣心の答えは、そんな不安など全部吹き飛ばしてしまうくらいの―――
「・・・・・・だから、一生かけて幸せにしたいと思ったから夫婦になろうと思ったわけで・・・・・・いやまぁその他にも、ええと、好きだなぁと思うところは沢山あ
るのだがそこはほんとに沢山すぎ、て・・・・・・すまない、あの、ちゃんと薫殿の質問の答えになっているでござろうか?」
「な・・・・・・なってるなってる! ちゃんと答えになってる!」
剣心は滔々と「説明」を続けていたが、このままでは延々と喋ってしまいそうだと思ってとりあえず一旦台詞を打ち切り、心配そうに薫に尋ね返す。
薫は真っ赤な顔でこくこくと何度も頷き、剣心はちゃんと「伝えられた」ことに安心したように、口許をほころばせる。
「あ・・・・・・あのね、剣心」
「ん?」
「・・・・・・ありがとう」
気持ちを黒く塗りつぶしていた不安は、跡形もなく消えていた。
かわって胸にあふれたのは、苦しいくらいに、彼のことを好きだという気持ち。そして―――
「あのね、わたし・・・・・・今、凄く幸せだから」
泣きたくなるような幸福感が、そのまま素直な台詞になって零れ出る。
剣心はまだ照れたような顔で頷いて、小さく「拙者も」と呟いてから、ふたたびそっと薫の手をひいて歩き出した。
手のひらから伝わってくる、彼のぬくもり。
わたしは、こうして剣心の隣にいて、手をつなぐことができる。
そして、剣心のことが大好きで、彼が思ってくれているのと同じように、わたしも彼を幸せにしたいと願っている。
そう、剣心と同じ未来に向かって歩いているのは、他の誰でもない「わたし」なんだ。
不安にさいなまれることがあっても、「難あり」の自分に落ち込むことがあっても、それでも―――
わたしの中に、あなたの「答え」があると言ってくれるのなら―――わたしは、あなたに誇れる「わたし」でいよう。
ふたりは手を繋いだまま、道場までの道を歩いた。
じろじろとあからさまな視線を送ってくる者もいたが、薫はかまわず無視を決め込んだ。
他人の目も、剣心の挙動不審も不可解な夢のことも―――ひとまず全部棚上げにして。
4 に続く。