としのはじめの












        夜気を震わす、除夜の鐘。
        かちこちと部屋に響く、秒針が時を刻む音。
        やがて、三本の時計の針が、ぴたりとひとつに重なって―――




        「あけまして、おめでとうございます」




        明治十三年が明けた瞬間、剣心と薫は向かい合って互いに新年を寿ぐ言葉を口にした。
        ふたり一緒に新しい年を迎えるのはこれが二回目で、そして祝言をあげて夫婦になってからは、初めての正月である。

        少しかしこまった口調で「今年もよろしくお願いします」と挨拶をしてから、揃ってふわりとくすぐったそうに表情を緩めた。
        剣心が「おいで」というふうに両手を軽く広げ、薫はそこにすとんと飛びこむ。ふわふわと胸の奥からわきあがってくるなんともいえない幸福感、新しい年が
        幕を開けた高揚感、それがふたりの口許を自然とほころばせる。


        「おめでとう」
        「おめでとうでござる」
        もう一度そう言い合って、剣心は薫の髪をいとおしげに撫で、そこに顔を埋めた。今年もまた、誰よりもなによりも大切なひとと年を越せたことが嬉しくて。
        そして、新しい一年をまた彼女とともに歩めることを幸せだと思う。
        正月とは、そんな幸福を改めて実感して、感謝するためにあるのかな、と。そんなことを考えながら、剣心は甘い香りがする髪に頬をすり寄せた。
        「・・・・・・ねぇ」
        ふと、腕の中の薫が身じろぎをしたので、剣心は「うん?」と答えながら首を動かす。すると、顔を上げた薫がするりと繊手を伸ばし、彼の頬に触れる。

        ちゅ、と。
        彼女の顔が近づいたと思う間もなく、口づけられた。

        不意打ちに剣心は目を白黒させ、薫は不意打ちの成功に、頬をほんのり染めながら笑った。
        「・・・・・・今年、はじめてね」
        「・・・・・・え?」
        わけがわからずに瞬きをする剣心に薫は再び顔を近づけ、ちょん、と彼の鼻先に自分のそれを軽くぶつける。



        「今年はじめての接吻は、わたしからしようって・・・・・・そう、決めていたの」



        そう言って、薫はくすくすと悪戯っぽく笑う。
        普段交わしている口づけは、どちらかというと彼からされる事のほうが多くて。それはそれでとても嬉しいのだけれど、自分ばかり嬉しいのは彼に対して申
        し訳ないような気もして。
        だから、新しい年が始まって最初の口づけは、わたしから贈ろう、と。少し前から、薫は心に決めていたのだ。

        「早くしないと、剣心に先を越されちゃいそうだったから・・・・・・ちゃんとわたしからできて、よかったわ」
        満足そうに、そして得意気にそう言うのが可愛くて可笑しくて、剣心はつい吹き出しそうになる。つん、と今度は彼から鼻先をぶつけて、「では、今年は薫
        殿からたくさんしてくれるのでござるか?接吻を」と、尋ねてみる。

        「・・・・・・そういうことに、なるのかしら?」
        そこまでは考えていなかったらしく、薫の頬に鮮やかに血がのぼる。
        「うん、そういうことでござろうな」
        「・・・・・・できるように、頑張るわ」


        真面目な顔で頷いた薫に、今度は剣心から口づけを贈った。
        年が明けてから二度目のそれは最初のよりもはるかに長く―――途中、苦しさに薫は剣心の胸を叩いて抗議の意を示した。







        ★







        年明け直後、薫に口づけてくるおしく抱きしめた剣心はそのまま彼女を押し倒そうとしたが、「今夜はだめ」と押しとどめられた。
        理由は「だって初日の出が見たいんだもん」という、至極まっとうなものだった。

        大晦日、夕焼けは綺麗な橙色に雲の少ない空を染め上げた。と、いうことは元旦は好天に恵まれることだろう。それならば、寝坊はしたくないというのが
        薫の言である。一度彼女に手をのばしたら、なかなか離せなくなってしまうのは自分でもよくわかっていたから、剣心は「尤もだ」と頷き大人しく従った。



        そんな剣心の「我慢」のおかげもあって―――薫は無事、元日の朝、陽がのぼる前に目覚めることができた。
        薄く開けた目蓋の隙間から、まず見えたのは緋い色。ああ、剣心だわ、と。まだうまく機能していない頭でぼんやりとそんなことを考える。真冬の朝だとい
        うのにぽかぽかとあたたかいのは抱きしめられているかららしい。昨夜は互いに枕を並べて眠った筈だったが、寝ている間に彼に抱き寄せられたようだ。

        剣心いわく、「薫を抱いて眠ると熟睡できる」とのことで、薫にしても彼に包まれて眠るのは大好きだった。特に、寒い時期はこうしていると互いの体温が
        心地よく、身体だけではなく心のなかから温まれるような気がする。
        だんだんと意識が明瞭になってゆくなか、剣心のぬくもりを堪能していると、ふるりと彼の睫毛が震えた。おとがいを上げると、明るい色の瞳と目が合う。


        「おはよう」
        「おはようでござる」

        今年はじめての「おはよう」の挨拶が交わされて、剣心の唇が額に押しつけられる。ぎゅうっと抱きしめられながら、薫は「苦しい」と笑い声混じりの声で言
        った。
        「・・・・・・薫殿」
        「んー?」
        「あけまして、おめでとう」
        「はい、おめでとう」
        昨夜も何度も言ったけれど、と薫がまた笑う。剣心はそんな彼女の頬にかかる髪を指でかきあげながら、そうでござったなぁと頷く。何故か、どこか心ここ
        にあらずの様子で。


        「薫殿」
        「はい」
        「今年もよろしくお願いします」
        「はい、お願いします」
        「薫」
        「はい」
        「好きでござるよ」
        「は・・・・・・っ?!」

        薫の頬が、ぼわっと赤くなる。
        それは昨夜の口づけと同じく、不意打ちの言葉だった。


        「・・・・・・よかった、ちゃんと言えたでござるよ」
        「へ?」
        「ほら、今年はじめての接吻は薫殿に先を越されてしまったから」
        だから、今年はじめてのこれは拙者から言いたくて、と剣心は破顔した。
        口づけと同様に、早く言わないと薫から先に言われてしまうかもしれないから。そう思った剣心は、目覚めるや否や「好き」という言葉を捧げた。起き抜け
        に、おめでとうと言いながらも何か別のことを考えているふうだったのは、告げるタイミングをはかっていたらしい。

        「こんな、起きて早々に言うこと?」
        「時間は関係ないでござろう。いつも思っていることでござるし」
        「・・・・・・でも、そういう大事なことを言うのって、雰囲気ってものが・・・・・・」
        「嫌だった?」
        寝転がったまま、剣心は首を動かす。こつん、と額と額が軽くぶつかって、薫はくすりと笑いを漏らした。
        なんとなく、拗ねたような言葉がこぼれたのは、結局は負けず嫌いな性質の所為だ。今年はじめての、「好き」の、先を越されてしまったのはちょっと悔し
        い気もする。だけど―――
        「ううん、嫌じゃなくて・・・・・・嬉しい」
        悔しい気持ちもあるけれど、大好きなひとからの愛の言葉は当然、嬉しいに決まっている。


        「ねぇ、剣心も悔しかったの?昨夜、わたしに先を越されて」
        「まぁ、ちょっとだけ」
        互いに負けず嫌いなところに関しては、似た者夫婦である。薫はなんだか可笑しくなって、剣心の腕に抱かれたままくつくつと笑った。
        「薫殿も、言ってもいいでござるよ、『好き』って」
        勝者の余裕、という風情の剣心に、薫は「言わないもん」と返して身体を捻る。背を向けようとする彼女の肩を捕まえて、仰向けに敷布の上に押しつける
        と、きゃあ!と明るい悲鳴があがった。

        「ね、言って」
        「いーわーなーい」
        「意地悪でござるなぁ」
        「あ、ちょっと、やだっ!」
        組み敷いた薫の胸元に剣心は顔を埋め、寝間着越しに乳房に噛みついた。袷を乱して白い肌に吸い付くと、甘いため息がこぼれる。
        「ね・・・・・・駄目・・・・・・元旦から、こんなの・・・・・・」
        はしたないわ、と続けようとした声は口づけに遮られた。遠慮なく預けられる、彼の身体の重みが気持ちよい。与えられる甘美な感覚に反比例して、抵抗
        する意思がだんだんと薄れてゆく。


        ああもう仕方ないわ。明るくなってきちゃったけれど、今日は元日で稽古もないことだし―――
        と、麻痺してゆく頭でそこまで考えたところで、我に返った。


        「・・・・・・剣心」
        「ん?」
        「初日の出」
        「・・・・・・おろ?」



        いつの間にか、陽はのぼりきっていた。







        ★








        「あけましておめでとうございまーす!」
        玄関先に響いた、元気な声。昼前に道場を訪ねてきたのは、弥彦と燕である。
        元日は皆で雑煮を食べてから神社にお参りに行こうと、前もって約束をしていた。

        「これから餅を焼くから、ちょっと待っているでござるよ」
        「弥彦、お雑煮の前に道場の神棚に挨拶してきなさいね。燕ちゃん、お客様を使っちゃって申し訳ないんだけれど、お膳運ぶの手伝ってくれる?」
        「燕、どんどん使われてやれよ。薫が支度するよりも、飯関係はお前のほうが色々確実だからな」
        「ちょっと!それどういう意味?!」
        師匠の拳骨が飛んできそうな気配を察して、弥彦は「神棚にお参りしてくるー!」と言い捨て身を翻した。




        「まったく・・・・・・あの子の口の悪さ、どうにかならないものかしらねぇ」
        薫の嘆息に、燕は膳の支度をしながら「それだけ薫さんには何でも言える証拠ですよ。喧嘩するほど仲がいいってよく言いますし」と笑った。
        燕から見ると薫と弥彦は、師匠と弟子というよりはむしろ本当の姉弟のようで、ふたりの遠慮のないやりとりは見ていて微笑ましいものだった。もっとも、
        遠慮がなさすぎて互いに手が出る「姉弟喧嘩」に発展した際は、冷や汗を浮かべながらおろおろ見守ることになるのだが。

        「だとしても、喧嘩なんてしないに越したことはないわよ・・・・・・今朝も剣心とちょっと喧嘩しちゃって、元旦からこれはないなって反省していたところだけど」
        「え、喧嘩したんですか?!剣心さんと?!」
        顔色を変えて気遣わしげに尋ねてくる燕に、薫は「大丈夫」というように笑ってみせる。
        「ちょっとした喧嘩だったから、すぐに仲直りしちゃったわ。お互いに、こんなことでお正月から喧嘩するなんて馬鹿馬鹿しいって、すぐに気づいたから」
        屈託無くそう言う薫に、燕はほっと安堵する。そういえば、このふたりは喧嘩をしても決して長続きしないのが常だったということを思い出し、「おふたりらし
        いですね」と笑った。
        そして燕は、安心したついでに、「でも、馬鹿馬鹿しいって、いったい何が原因で喧嘩しちゃったんですか?と、つい訊いてしまった。


        「・・・・・・原因?」
        薫は呟くように言って、小さく首をかしげた。


        改めて、今年はじめての夫婦喧嘩の「原因」について思い返し―――ぽーっと頬に血がのぼる。
        起き抜けに、ふたりで布団の中でじゃれあっているうちに初日の出の瞬間を見逃してしまい、「剣心のせいよー!」「いやしかし薫殿だって」と言い合い
        になってしまいました―――などと言えるわけがなく、薫は目を泳がせる。
        それを見た燕も、これは聞いてはいけない系統の原因だったかとおおよそを察し、つられたように赤くなる。



        「お待ち遠さま、雑煮でござるよ」
        「腹へったー!早くはやく!雑煮とお節!」

        台所と道場からそれぞれ居間に戻ってきた男性陣は、揃って頬を染めている薫と燕を見て、やはり揃って首を傾げた。








        ★








        剣心と薫、弥彦と燕は雑煮を食べ終えた後、前年と同様四人で神社に出かけた。
        日中、蒼穹は高く澄み、陽光は優しく参拝客の頬に降り注ぎ、明治十三年の元日は穏やかに暮れていった。

        しかし、日が落ちてからは次第に吹く風は冷たさを増し、更にその風が分厚い雪雲を連れてきた。





        「今にも降りだしそうよ、夜なのに空が白っぽいもの・・・・・・すっかり雲に覆われているのね」
        剣心が布団を敷いていると、薫が寒そうに肩を縮こまらせながら寝室に飛びこんできた。寝間着姿で、外の様子を窺ってきたらしい。
        「そんな格好で表を覗いては、風邪をひくでござるよ」
        「大丈夫よ、わたし頑丈だもの」
        そう言いながら薫はぺたんと布団の上に腰をおろし、敷いたばかりの掛け布団を足のほうに引き寄せた。

        「足、冷たいのでござるか?」と、剣心が訊いたのは、彼女が寝間着の裾から覗いている素足を布団で覆おうとしたからだ。薫は、「廊下が、かなりひんや
        りしているの」と肩をすくめてみせる。裸足で家の中を歩いているうちに冷やしてしまったのだろう。剣心は少し考えるように瞳を動かすと、昨夜と同じよう
        に、「おいで」と薫を迎え入れるように腕を広げた。


        「薫殿、足」
        「え?」
        「あたためてあげるから」
        「・・・・・・え?」

        意味がわからず、薫はきょとんとする。
        いや、言葉の意味はわかるのだが、足をあたためるって、いったいどうやって―――


        「ほら、こっちに伸ばして」
        「きゃ・・・・・・!ちょ、ちょっと待って!え・・・・・・?こ、こう・・・・・・?」

        剣心が寝間着の膝に手をかけようとするのを慌てて制して、薫はおずおずと右の足を動かす。
        膝を崩して、向かい合わせに座った剣心のほうに、片足を差し出すように伸ばした。
        「うん」
        「あ・・・・・・!ちょ、やだっ!」
        ためらいがちに伸ばした足を、剣心は遠慮なく掴むとぐいっと自分の方へ引き寄せた。反動で上体が倒れそうになった薫は、布団の上に手をついて何と
        か身体を支えた。


        薫の足を―――足首から指先にかけてを、剣心は両手で抱えこむ。
        胡坐をかいた脚の上に、薫の小さな足先を乗せるようにして。そして剣心は、自分の寝間着の袷を片手でくつろげた。

        「あ・・・・・・」
        はだけた寝間着の懐に、薫の足を導く。あたたかな肌がつま先に触れて、薫は思わず声を漏らす。
        裸の足を包み込む乾いた手のひらと、足のうらに直接触れている、彼の素肌。
        そんなふうにされると、とてもあたたかいに決まっているのだけれど―――


        「け・・・・・・剣心?おなか、冷えちゃうわよ・・・・・・?」
        「大丈夫でござるよ、拙者は丈夫だから」
        「で、でも・・・・・・」

        懐の中は、とてもあたたかい。冷たくなった足先にじんわりと血が通ってくるのがわかる―――が、この体勢はとても恥ずかしい。
        片足をのばして、彼の胡坐の上へと引っ張られている所為で、寝間着の裾は大きく割れて膝の上まで素足が露わになっているし。そもそも、足を捕まえら
        れて抱かれていることそのものが気恥ずかしいし。
        だからといって、逃げようとして下手に動いたら、無防備な剣心のお腹を蹴飛ばしてしまう危険性もあって、そんなこと出来るわけがなくて。


        「はい、次はそっちの足」
        薫が途方に暮れているのを知ってか知らずか、剣心はそうするのが当然、という風情で左足を要求した。
        困惑しながらも、顔は膝を動かしてそろそろと足を差し出す。
        右足同様に、足先を抱かれて。ぴったりとお腹に密着させられて。
        純粋に感覚的に言うととても気持ちよいのだけれど、しかし気分的には落ち着かないことこの上ない。

        「おなか・・・・・・冷たくないの?」
        「全然。むしろ、薫殿の足はすべすべしているから、こうしていると気持ちいいでござるよ」
        「・・・・・・ばか」
        蹴飛ばすのは流石に無理なので、薫は足の指を動かして剣心の腹を軽く小突いた。剣心は楽しげに笑って薫の足を宥めるように撫でさする。


        「・・・・・・ありがとう、あったかくなってきたわ」
        恥ずかしかったけれど、冷たかった足が温まったことは確かで。薫は良人に素直に感謝の意を述べた。
        その言葉には「温まったからもう離してください」という意味合いも含まれていたのだが―――剣心は、それには気づかないふりをする。

        「うん、じゃあ、もう少し」
        「えっ・・・・・・?」



        薫の足を掴んで離さないまま、身を屈める。
        つま先が、彼の懐からはなれる。かわりに、唇が触れた。



        「・・・・・・っ!」
        桜貝のような色合いの爪のひとつずつに、唇を寄せて。整った形の指の間を、舌でくすぐる。まるい踵をてのひらで包み、細い足首の線を撫で上げる。

        こみあげそうになる声を抑えたくて、薫は片手で口を覆った。頬がこれ以上ないほど紅潮しているのがわかる。
        こんなところをこんなふうに愛撫されるのははじめてで、恥ずかしさは先程あたためてもらった時の比ではなくて。
        そして―――こんなふうにされて、感じている自分に驚いて、ますます羞恥に頭の中が熱くなる。

        ふわふわとやわらかいふくらはぎに、いくつも口づけを落として。脚の間に身を割り込ませるようにして、剣心は薫の左足を慈しむ。
        つま先からだんだんと、上へ上へと唇と舌を這わせて。膝の裏に影を落としているくぼみを、指先でくすぐった。


        「あ・・・・・・」
        掠れた声が漏れて、剣心はちらりと視線を上にむける。可哀想なくらい真っ赤になった彼女の、潤んだ瞳と目が合った。
        両膝に手をかけて、足を開かせる。寝間着の裾が脚の付け根まで捲れ上がる。
        「やっ・・・・・・!」
        太腿の内側に、ちゅ、と吸い付く。自分の身体を支えきれなくなった薫は、ぱたりと上体を布団の上に倒れこませた。
        張りのある太腿の、普段は決して他人の目には触れることのない白い肌に舌を這わせて。剣心は身を乗り出しながら、さらに上の、彼女の中心のやわら
        かいところに触れようとした、が―――

        「待っ、て・・・・・・」
        か細い声に、頭を上げる。仰向けに倒れた薫を見やると、彼女は剣心にむかって震える腕をのばした。
        「まだ・・・・・・してもらってない、から・・・・・・」
        「え?」
        「・・・・・・ここに」

        薫は、そう言って小さな顎を、ほんの少し上に向けた。
        その仕草で、剣心は彼女が接吻を求めていることを理解する。


        考えてみると、まだこの夜は口づけを交わしていなくて。それをしないまま睦みあうのが、嫌なのだろう。剣心は「ああ、すまない」と謝って、改めて薫に覆
        い被さった。
        睫毛が触れそうな距離に顔を近づけて、けれども唇ではなく、頬に口づけた。そのまま「薫殿から、して」と囁いたら、きゅっと首に抱きつかれた。
        首を伸ばすようにして、唇を押しつけてくる。
        年が明けた直後のとそっくり同じ、触れるだけの。でも、溢れるほどの想いが乗せられた口づけ。

        こんなふうに薫から接吻をされるたび、剣心は胸の奥からいとおしさがこみあげてきて、このまま破裂してしまうのではないだろうかと心配になる。
        けれど、そんな懸念がよぎるのは一瞬のことで、次の瞬間には想いの奔流にすべてが飲みこまれる。


        ―――君が好きだ。
        ただ、その想いに忠実に、剣心は薫を求めた。頤を捕まえて口づけを深くして、寝間着の袷を押し開いた。





        「好き・・・・・・」
        やがて、抱かれながら薫の唇が紡いだ言葉に、剣心は彼女の目を覗きこむ。
        それは、朝には貰えなかった、今年最初の、薫からの「好き」だった。

        「もっと、言って」
        「・・・・・・剣心、大好き」
        瞳を潤ませながら、桜色に上気した頬に微笑みを乗せて言った薫は、奇跡みたいに綺麗だった。
        剣心は、「拙者も・・・・・・」と返しながら、もっと深く繋がれるようにと彼女を強く抱き寄せた。








        ★








        「もうすぐ、明日になるのね」
        剣心の腕枕に頭を乗せながら、薫がふと呟いた。


        「いい元日でござったな。今年最初の喧嘩もしてしまったが」
        しかし、年のはじめの喧嘩の原因があんな甘いものだったということは、今年一年もまた、喧嘩をしたとしてもどれも平和な内容であろう―――という暗示
        にも思えるし、きっと実際そうなるのであろう。

        「今年のどころか、あんなことされたのははじめてだったから、びっくりしたわ」
        「あんなこと?」
        「ここ」
        「ああ」
        布団の中で、薫に小さく脚を蹴られて、剣心は笑った。
        「別に、変わったことは何もしていないよ、ただ温めただけでござるよ?」
        「・・・・・・馬鹿」
        もうひとつ蹴ってきた足を、剣心は自分のそれできゅっと挟んでやる。きゃーと悲鳴をあげた薫を、ぎゅっと抱きしめた。



        「今年は、どんな年になるのでござるかな」
        「そうねぇ・・・・・・でも、今年もいい年にしましょうね」

        「なるといいな」ではなく、「しましょう」という前向きな意思のこもった答えが、彼女らしくて嬉しくて。
        剣心は「ああ、必ず」と返して薫の額に唇を寄せた。







        さまざまな「今年はじめて」を数えながら過ごした、明治十三年、最初の一日。
        この年、はじめて父親と母親になることを、ふたりはまだ知らない。














        了。





                                                                                          2016.01.11








        モドル。