とりかえばや夢譚     1










        目が覚めると、あたたかかった。




        ああ今日も剣心が抱っこしてくれているのね、と。
        そう思ったけれど、なんだろう、何かがいつもと違う。

        いつもなら、剣心の腕にすっぽりくるまれて、ちょっと重くてでもそれも気持ちよくて。
        でも今日はなんだか逆というか―――わたしの、腕のなかがあたたかい。



        目蓋を開けると、黒髪が見えた。
        緩く編まれた、長い黒髪。前髪の間からのぞく、白い額。



        ・・・・・・ん?



        閉じられた睫毛、寝息がこぼれる唇。
        少しばかりゆるんだ寝間着の袷から覗いて見える、胸の谷間。



        ・・・・・・んん?



        まだ眠っているわたし。
        腕のなかで眠っているわたし。
        眠っているわたしを抱きしめている、わたし。



        ・・・・・・んんん?



        何これ、鏡?いや、そんなわけないか。
        腕を動かしてみる。なんだかいつもと感覚が違う。
        てのひらを見つめてみる。なんか、大きくてがっしりしているんですけど。


        腕を動かした所為か、腕の中にいたわたしが目覚めた。
        目蓋が開いて、わたしがわたしを見て。眉が寄って皺ができてなんだか考えるような顔になって。
        視線が、胸元に落ちて、それからわたしを見て。



        わたしは、わたしと目が合う。




        ・・・・・・・・・んんんん?





        そしてわたしと剣心は、仲良く揃って大声を上げた。






        ★






        「・・・・・・剣心よね」
        「・・・・・・薫殿でござるよな」
        「「・・・・・・」」


        剣心の姿になってしまったわたしと。
        わたしの姿になってしまった剣心。


        布団の上に向かい合って何故か正座して、互いの姿をまじまじと眺める。
        こんな馬鹿なことが起きるわけがないきっと夢に違いないと思って、ふたりで手の甲をつねってみたらふたりとも揃って痛かった。



        ・・・・・・いやちょっと待って、こんなの夢じゃないほうがよっぽど悪夢じゃないの。



        目の前にいる、わたしの姿をしている剣心。
        よくわからないけれど、これはお互いが「入れ替わっている」ということなんだろう。

        いつもは鏡でしか見ることができない自分の姿がそこにあって、微妙に自分とは違う仕草で動いているのは―――なかに入っている剣心に対して失礼な
        言い草かもしれないけれど、なんというか・・・・・・気持ち悪い。
        まるで、歪んだ鏡を見ているようで、奇妙で不自然で落ち着かない。落ち着かないといえば、もうひとつ―――


        「・・・・・・薫殿」
        わたしの姿の剣心が、ゆっくりと首を動かした。
        そちらの方にあるのは、昨夜も髪を結うのに使った―――鏡である。

        わたしたちはしばらくの間、寄り添って鏡を見つめた。
        入れ替わっているということは、向かい合っても「好きなひとの顔を見られない」ということだ。何しろ自分がその顔になっているのだから。
        そして、好きなひとの顔を見られないということは、単純に、すごく寂しい。


        だから、わたしたちはしばらくの間、鏡とにらめっこをした。
        こうすると、わたしは剣心の姿を、剣心はわたしの姿を見ることができるものね。




        ・・・・・・それにしても。
        一体どうして、こんなことになっちゃったのかしら?






        ★






        わたしは普段から道着を身につけているから、まぁ袴は慣れたものである。
        でも剣心はというと、そうはいかない。


        自分の身体に着付けをしてあげる、というのはやはり妙な感じだったけれど、そこはそれ。わたしがどんな身体つきなのかは当然わたしが一番よく知って
        いるので、紐の締める具合とか、苦しくないように出来たと思う。でも剣心は「女性の帯というものは、窮屈なものでござるなぁ」と目を白黒させていた。
        「そうよー、実際に着てみたら、女のひとの大変さがわかるでしょう?」
        わたしは笑ってそう言ったけれど、すぐさま違和感に口許を押さえる。それに気づいて、剣心は首を傾げた。
        「どうかしたのでござるか?」
        「・・・・・・声」
        「おろ?」
        「剣心の声で、女言葉をしゃべるのって・・・・・・なんか、嫌」

        いや喋ってるのはわたしなんだけど・・・・・・うう、なんだか耳に入ってくる低い声での女言葉に違和感というか正直言って気持ちわるいというか。だってあ
        まりに普段の剣心と喋り方が違いすぎるんだもの。

        「・・・・・・じゃあ、逆に拙者は、薫殿らしく女言葉を使ったほうがよいでござろうか」
        思いがけず、そんなふうに真顔で返されたものだから笑ってしまった。
        「いいわよ剣心はそのままで。わたしの声で『ござる』って聞こえるのは、なんだか面白いし」
        「薫殿も、言ってみればよいのでは?『ござる』って」
        「あ、そういえばそうよね・・・・・・いや、そうでござる、な?」
        「そうそう」
        「うん、この喋り方が、剣心の声には似合うでござるな」


        わたしの姿の剣心が、上手でござるよ、と笑った。
        あ、ちょっと楽しくなってきたかも。

        そうよね、非常事態だからこそ、滅入ってるだけじゃ乗りきれないものね。
        むしろ、非常事態だからこそ気分を上げていかなくちゃ―――で、ござる。






        ★






        「休みって・・・・・・腹痛でも起こしたのか?」


        とりあえず、今日のところは稽古は休みにしよう、ということになった。
        わたしになった剣心が、そのまま皆に稽古をつけるという案も出たんだけれど・・・・・・やはり、どこかでボロが出そうなので、協議の結果大事をとることにし
        た。門下生の子供たちには「今日は薫殿の具合が悪くて」とわたしから言い訳をして、今は同様に弥彦に説明をしているところだ。

        「まぁ、そんなところでござるよ、だからすまないが今日は・・・・・・」
        「んじゃ、剣心が稽古つけりゃいいじゃん。俺だけでも相手してくれよ」
        「いや、わたしは・・・・・・じゃなくて拙者は、薫殿の看病をしなくては」
        「え、そんなに具合悪いのか?」
        わたしの言葉に、弥彦は眉をひそめた。ああ、余計な心配かけちゃってるな。この子には申し訳ないけれど、でもここは無言で笑ってごまかすしかない。
        剣心が浮かべそうな困ったような表情をどうにかこうにか真似てみせると―――何か勘違いをしたみたいで、弥彦は微妙に顔を赤くした。


        「・・・・・・ひょっとして、できたのか?」
        「は?」
        「いや、ひょっとして薫のやつ、おめでた・・・・・・なのか?」


        ば。
        馬鹿ね違うわよちょっとそれ気が早いでしょこのマセガキが―――と、うっかり叫んでしまいそうになるのを、なんとかこらえた。
        「いやっ!そうじゃない!・・・・・・でござるよ!・・・・・・いやその、まだ、違うでござる」
        あんまり力一杯否定するのもどうかと思って、一応語尾に「まだ」を付け足した。わたしだって実際、剣心の赤ちゃん、早く欲しいわけだし。
        すると弥彦は―――ちょっとだけ、肩を落とすような仕草を見せた。

        「そっか、そうだったらよかったのにな」
        少し、残念そうな表情をして、そして「じゃ、大事にしろって伝えといてくれよな」と回れ右をする。


        ・・・・・・そっか、そうなんだ。
        いつか、そんな日が来るんだろうけれど―――剣心との赤ちゃんを待っているのは、わたしたちだけじゃないんだ。

        「弥彦!」
        つい、大きな声で呼び止めると、弥彦は不思議そうな顔でふりむいた。
        「ありがとう・・・・・・でござる」
        弥彦は「何がだよ」と笑うとまた歩きだす。



        いつか子供が生まれたら、弥彦はどのくらい喜んでくれるのかな。
        その子の、お兄ちゃんになってくれるのかな。

        なんとなく、お腹のあたりに手をあててみた。
        ・・・・・・あ、でも違うか。


        今はこれ、剣心の身体だったんだわ。






        ★






        稽古はお休みにして、今日はふたりでおとなしく家で過ごすことにした。
        買い物に行かなくても、今日のところはご飯のおかずもなんとかなりそうだったし。

        とはいえ、やっぱり道場で素振りくらいはしておきたいな。
        稽古は毎日しておかなくちゃ身体がなまっちゃいそうだし―――いや、ちょっと待って。




        道場に足を運びかけたわたしは「ある事」を思いついて、急遽方向転換をして、剣心の部屋に向かった。












        2 へ続く。