誓いのキス




     

「おかえりなさーい!」


玄関の戸を開けた剣心を迎えたのは、当然のことながら薫の笑顔だった。
薫が剣心に飛びついたのか、剣心が薫をぐいっと抱き寄せたのか、とにかく二人は十余日ぶりの抱擁に、束の間時を忘れた。
今日一日歩きどおしだったであろう剣心の髪に触れると日なたの香りがして、薫はそれを胸いっぱいに吸い込んだ。




かすかに埃っぽい着物を脱がせて、浴衣を肩にかけてやりながら薫は「よかったぁ!どこも怪我してないみたいね」と安心したように微笑む。
剣心は、横浜で最近跳梁していた夜盗の捕縛に赴いていた。

賊等が押し込む先は外国から日本にやってきた異人の邸宅が主で、そういった屋敷は大抵裕福だが、まだ近隣の住人と付き合いの浅い世帯が殆どだ。
そのせいで、異変があっても近所から助けが走ってくることもない。


「そこが好都合なんでござろうなぁ・・・・・・まぁ、うまく召し捕れて、重畳でござったが」
「何にせよ、無事に帰ってきてくれてよかったわー。犯人の中には結構腕が立つ者もいるみたいだって、署長さんも言っていたから、やっぱり心配だったの」
まぁ、だからこそ貴方が駆り出されたんだけど、と言いながら薫は剣心の背中に回って、帯を結んでやる。
「歩き疲れたでしょ?お風呂沸いてるから、今日は剣心先に入ってね」
着替えた着物を衣紋掛けに通しながら、薫は剣心が見慣れない西洋風のトランクを持ち帰っているのに気づいた。
「そうそう、土産を沢山いただいたんでござるよ」
剣心は楽しそうにトランクを開けた。中からのぞいたこまごまとした品に、薫の顔がぱっと輝く。


「わぁ・・・・・・素敵!」



異国の夫人が使う香水に、白い薔薇をかたどった小さなブローチ、硝子のビーズに飾られたヘアピン、紙に包まれリボンをかけられた洋風の焼き菓子・・・・・・
可愛らしい品々は、国柄を問わず少女が喜ぶようなものばかりだ。

「張り番をした洋館のご家族と・・・・・・異人だったのだが、通訳を通していろいろと話もして、それでまぁ何というか、拙者が新婚だという話になって・・・・・・」
祝言をあげて日も浅いのに、十日余りも家を空けさせてしまい奥方に申し訳ない・・・・・・と先方が色めき立ち、せめてお礼とお詫びにと、色々持たせてくれた。
ひとつ一つの品を手に取りながらきらきらと目を輝かせる薫を見て、自然と剣心の頬もゆるむ。
「すごぉい・・・・・・珍しい物ばかり!・・・・・・これはなあに?」
薫の手が、トランクの一番底にあった紙包みを取り出した。薄紙をそっと解くと、中から出てきたのは、たっぷりとした大きさの、レース生地。


「・・・・・・きれい・・・・・・」


注意深く広げてみると、四隅には精緻な刺繍が施され、花の模様を形作っている。淡い光を取り込んだかのようにうっすらと透ける生地は軽く、天女の羽衣のようだ。
「西洋の飾り布でござるよ、工夫次第で色々と使えるのではと、向こうの奥方も言っていたのだが」
言われるまでもなく、薫の頭の中には手にした瞬間から楽しい想像が広がっていた。
ショールとして肩から羽織るだけでも十分素敵だ。薄い生地だから夏物の単衣にだって合わせられるかも。畳んで帯と一緒に巻いて、結んだ羽から刺繍をのぞかせて・・・・・・
「ねぇ剣心、異人さんはこれをどんなふうに使うの?」
ふと思いついて、薫は剣心に訊いてみる。
剣心はその質問を待っていたかのように、薫の手からそっとレース生地―――ベールを取った。
「祝言の衣装に使うそうだ」そう言って、ふわりと薫の黒髪にベールをかぶせる。

「・・・・・・綿帽子のかわり?」
「そう、似合うでござるよ」

薫はつい数ヶ月前の祝言を思い出す。三々九度で緊張して、杯にかちかちと歯が当たって音を立てるのが恥ずかしかったが、震えを止めることができなかった。
隣の剣心の指先も負けずに震えていた。そう、あれは緊張だけではなく、それ以上に嬉しくて、嬉し過ぎての震えだった―――


「これを被って、三々九度をするのかしら」
「いや、左手を出して」
剣心は薫の細い手を取りながら、土産の中からひとつ、小さい小箱をつまみ上げ、蓋を開けた。
「こうやって・・・・・・」
箱の中には、小さな珊瑚の指輪がひとつ。それを、ゆっくりと薫の紅差し指にはめる。
薫は息を詰めて華奢な指輪が自分の指におさまるのを見つめていた。
ふいに祝言のときの気持ちがよみがえる。胸の奥から溢れてくる嬉しさが苦しくて、泣きたくなる気持ち

「そして、こう」
指輪に見とれていると、剣心が両掌の親指をすっとベールにかけて、手の甲を返す。
ベールに縁取られた薫の顔は霞を纏っているようで、どこか神秘的に剣心の目に映った。

薫の双眸が僅かに潤んでいる。それはまったく、祝言の再現のようだった。
剣心は、つぅと両手を薫の肩から二の腕に滑らせ―――壊れ物に触れるように、そっと口づけた。

「・・・・・・こんな感じ」
「・・・・・・ホントに?」

薫の頬が、珊瑚の朱よりも僅かに濃い色に染まる。
「なんだか、恥ずかしいわ・・・・・・」
だって、みんなの前でするんでしょ?と薫が呟く。
西洋人は、挨拶でも接吻をするというからなぁ」
剣心は笑って、薫の小さな顎に指をかけた。

「もう一度、いい?」
「そんなに何度も誓っていいの?」

いたずらっぽく薫が笑う。
「構わんでござろう・・・・・・何度でも誓うでござるよ」
肩を腰をやわらかく覆うベールごと、剣心は薫を抱き寄せた。
「何なら、次の一生の分も誓おうか?」
「それは・・・・・・素敵ね」


薫は目を閉じて、彼の唇が降ってくるのを待った。




君のために、何度でも誓おう。
それは、永遠に一緒にいるための約束。





(了)


モドル。