「・・・・・・で、お前ぇその後なんて言ったよ?」
「あー、もうよく覚えていないというか・・・・・・」
「阿呆ぅ!んなわけあるか!」
「そーよ!あんな大事な台詞、覚えてないなら覚えてないで、薫さんにもあたしたちにも失礼だよっ」
「そうそう、仲間?って俺たちだろ?で、目に映る人々?ほれ、その前なんて言った?」
「左之たちが覚えているならもういいではござらんかぁぁぁ!」
「何言ってんのよくないわよ、あたしたち緋村が困るの見るのが面白くて追求してんじゃない」
「そーだそーだ、諦めて大人しく酒の肴になれ」
左之助と操が、怪我人相手に容赦なくたたみかける。
矛先をむけられている剣心は、敵と剣を交えている時とはうってかわっての非力さで、ふたりの攻撃になす術もなくうろたえていた。
雪代縁に関する一連の事件が収束をむかえ、一同は無事東京に帰ってくることができた。
そうなるともはや当然のように全員が神谷道場に集まるわけで、それでは何はさておきと一席設けられ、あっという間にいつもの如くの賑やかな
宴会となる。
無論、無事とはいっても皆無傷というわけではない。その中でも右腕を三角巾で吊って、一番目立つ傷を負っている剣心は、先刻から俎上にあ
げられ周りから散々にからかわれていた。ネタは戦いの最中に宣言した「一番大切な人」云々について。
「だってあれって愛の告白だぜ!? よくもまぁ俺たちがいる前で堂々とのたまったもんだ」
「まーあのときはみんな真剣だったから流しちゃったけど?こんなおいしいネタ流したまんまにしとくのは勿体無いとゆーか?」
「あの・・・・・・左之助も操ちゃんも、そのくらいにしてあげて・・・・・・」
蚊の鳴くような声で、薫からフォローが入る。顔を真っ赤にして、俯きながら。
左之助に小突かれながらひたすら照れに照れて小さくなっているのは剣心だが、「愛の告白」の相手である薫だって当然相当恥ずかしい。
「お、『一番大切な人』がなんか言ってるぞ」
「やーんいーないーなー、あたしもそんなふうに言われてみたーい!」
「って誰に?」
「きゃー!本人目の前にして言える訳ないじゃないの馬鹿ー!」
操の手から放たれた空の徳利が、クナイをあやつるのと同様の見事なコントロールで綺麗に左之助の額に命中する。操の隣に座る「本人」であ
る蒼紫は表情を崩さず、黙々と箸を進めていた。
「はいはい、盛り上がっているのに水をさすようでなんだけど・・・・・・医者の見地からするとそろそろ剣さんは休んだほうがいいと思うんだけれど。
明日は早いんでしょう?」
はしゃぐ子供達を諭すように、恵が言う。
「そっか、剣心と嬢ちゃんは明日っから京都だもんな」
操の攻撃にもたいしてダメージを感じなかったらしい左之助が、ひょいと徳利を拾いながら頷く。剣心は「これで漸く解放される」と、晴ればれした
顔で腰を浮かせた。
「かたじけない、では先に失礼するでござるよ・・・・・・薫殿、すまぬが」
「あ、うん」
薫は自然な所作で剣心が立ち上がるのに手を貸すと、付き添って一緒に部屋を出た。現在右手が不自由な剣心の、日常の細々とした事を手伝
うのは、当たり前のように薫の役目になっている。
「・・・・・・なんかすっかり、十年くらい連れ添った夫婦の雰囲気になってるよな」
剣心と薫を見送りつつ、弥彦が子供らしからぬ、しかし的確な感想を述べる。それに応えたのは珍しく、口数の極端に少ない蒼紫だった。
「十年の時間に相当するくらい、あのふたりにとって今回の一件は重かったということだろう」
確かに、と、その場にいる全員が無言で頷いた。
そして操は「さすが蒼紫様、言葉の重みが違うわ」とうっとり呟いた。
「腕、痛くない?」
「うん、大丈夫でござるよ」
薫の手を借りて寝間着に着替えた剣心は、包帯を巻いた腕をかばいながら布団にもぐりこんだ。
「薫殿ももう寝たほうがいいでござるよ、明日は早いのだから」
「うん、そのつもり・・・・・・みんなまだまだ騒ぎ足りないみたいだから、つきあってたら朝になっちゃいそうだもんね」
枕元に腰を下ろした薫は、先程からの大騒ぎを思い返して苦笑する。そしてついでに、先程たっぷりからかわれた内容までも思い出してしまっ
て、頬が熱くなる。剣心もそんな薫に気づいて、照れくさそうに視線を泳がせた。
「ごめん」
「え、何が?」
「その、恥ずかしい思いをさせてしまって」
薫は剣心を見下ろしながらぱちぱちと睫を上下させ、そして柔らかく笑った。
「謝ることないわよ・・・・・・嬉しかったもん」
一番、大切なひと。
闘いのさなかに発せられたその言葉は、すべてが終わってようやく安堵の息をついた後、改めて薫の胸の奥に届いた。
心の底があたたかく満たされるような幸福感。こんな嬉しさは、今まで知らなかった。
ほんのりと頬を染めて微笑む薫を見上げながら、剣心は僅かの逡巡の後、思い切ったように口を開いた。
「かえって、よかったのかもしれない」
「・・・・・・え?」
「拙者は、こんなだから・・・・・・却ってあの状況のおかげで、口に出して言えたというか・・・・・・その」
いつもの達者な口は何処へやら。うまく言葉が出てこない剣心に、薫は口元に新しい笑みを浮かべた。
「あはは、ほんと『こんなだから』だわねぇ」
「・・・・・・面目ないでござる・・・・・・」
「みんなにも聞かれちゃったけど」
「証人になるでござろう?」
「んー、それもそうなのかしら」
薫はものは考えようだなぁと思いながら、楽しげに肩をすくめた。
「きっとそうね・・・・・・ふたりきりのときに言われてたら、わたし嬉しすぎて倒れちゃってたかもしれないし」
小さく呟いて、薫は掛布団に手をのばす。
「さ、明日に備えてもう寝ましょう。わたしも休ませてもらうから」
そして、布団を肩までかけてやろうとした時。
ぱし、と。
剣心の左手が、薫の細い指を捕まえた。
視線が絡まり、手を引かれる。
身体が前へ、大きく傾く。
「わ・・・・・・!」
慌ててもう片方の手をついて、彼の上に倒れこむのをこらえる。
その耳元に唇を寄せ、剣心が小さく、囁いた。
その囁きの内容に、薫の目が驚いたように大きくなる。
そして。
剣心が、薫の手を離す。
薫は、竹刀を手にしたときのような身のこなしでぱっと立ち上がり、素早く後ろを振り向いた。
背後にあった襖を、勢いよく開け放つ。
「うわっ!」
「きゃぁ!」
「ぐえっ」
途端、さっきまで膝をつきあわせて呑んでいた面々が、ひとかたまりになってばたばたと部屋になだれこんできた。
「っ痛てて・・・・・・」
「ちょ、どこ触ってんのよトリ頭!」
「重い重い重い!左之助恵どけろー!」
「きゃー弥彦くん!傷!傷がひらいちゃうっ!」
「って、なーんだ緋村気づいてたの?」
「これだけの人数がいて、拙者が気づかないわけないでござろう」
布団から身体を起こしながら、剣心が呆れたように答える。
剣心に「覗かれているでござるよ」と囁かれた薫は、驚きつつもその言葉に機敏に反応し、覗き犯たちが逃げる間もない速さで振り向きざま襖を
開けた。当然、襖に張り付いていた全員はバランスを崩し、見事に部屋のほうへ倒れこんだわけで―――
「もぉぉぉっ!恵さんや燕ちゃんまでー!いくらなんでも悪趣味でしょっ!」
「あらー心が狭いわねぇ、幸せ独占してるんだからこの程度のこと我慢なさいな」
恵は悪びれない様子で、左之助を押しのけつつ乱れた髪を整える。燕は大人たちの下敷きになった弥彦を気遣いながら、申し訳なさそうに縮こ
まった。
「す、すみません、皆さんが見に行くっていうから・・・・・・蒼紫さんとふたりで残るのはちょっと怖かったので・・・・・・」
「えー?なんでなんで?蒼紫様どこも怖くないよ?」
「いや怖いだろうよ。だってあいつ何考えてんのか全然わかんねーもん」
「ちょっと!弥彦それどーゆー意味?!」
「どーでもいいから撤収!はい!戻った戻った!」
薫に部屋から押し出された一同は、なんだよーけちーとぶつくさ言いながらも、割と素直に飲みの席へと戻ってゆく。
「って、薫はいいのか?」
「空気読め空気」
左之助が振り向こうとした弥彦の耳を引っ張って引き戻す。遠ざかる足音を聞きつつ、静かになった部屋で薫はかくんと肩を落とした。
今、ちょっといい雰囲気だったのになぁ。
まぁ、仕方ないか。この大所帯なんだもの。
「・・・・・・その身体で明日から京都ってどうかと思ってたけど、案外いいかもしれないわね・・・・・・ここ、騒がしいし」
「一理あるでござるな」
ふたりは顔を見合わせて苦笑した。やれやれと横になる剣心に、薫はもう一度布団をかけてやる。
「じゃあ今度こそ、おやすみなさい」
「うん、薫殿も」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・剣心」
「うん?」
「えっと、また誰か覗いてるの?」
剣心の左手は、布団に添えられた薫の右手を捕まえていた。
先程と、同じように。むしろ、先程よりもしっかりと。
「いいや、誰も」
「あの、じゃあ、これって」
「不謹慎かもしれないが」
「え」
握った手に、かすかに力がこもった。
「明日からは・・・・・・その、ふたりきり・・・・・・でござるな」
「あ」
薫の頬が、一刷け紅をのせたように、朱に染まる。
剣心はぎゅっと薫の手を握ってはいるものの、台詞はつっかえながらで顔色も薫と似たり寄ったりだった。
「・・・・・・そう言われると、なんか緊張してくるわ」
「言っておいてなんだが、拙者も」
ふたり、顔をあわせてくすりと笑う。
胸の奥がくすぐったくて、触れあった手が羞ずかしくて。
でも、こうして相手の体温を感じていられるのが、幸せで。
今、おんなじように感じているのかな、と。
剣心も薫も口に出しては言わなかったけれど、互いにそう思っていた。
「じゃあ、明日、ね」
「ああ、明日」
指をほどいて、手を離す。
これからはこうやって互いの手をとって、同じ方向へと歩いてゆくのだろう。
これからは、ずっとずっと、一緒に。
明日はふたりの、出発の日。
(了)
2012.2.19
モドル。