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        「お待たせー!」



        丁度洗濯物を干し終わる頃、支度を終えた薫が戻ってきた。
        その、彼女のいでたちを見て、剣心は軽く目をみはる。

        白い撫子の花柄が散った水色の着物に、帯は深みのある藍。それは薫の色白の肌に映えてよく似合っていた。
        そこにいたのは、先程までの道着姿からがらりと雰囲気が変わり、落ち着いた佇まいの彼女だった。


        「な、何?わたしどこかおかしかった?」
        「ああ、いや・・・・・・そういうわけでは」

        まじまじと見つめられて、薫は困ったように髪に手をやった。きちんと結い直した黒髪は、帯に合わせた藍色のリボンで飾られている。刃衛の一件で駄
        目にしてしまったのを、剣心が買い求めて贈った品だ。
        それはいつもどおりの彼女の装いの筈なのだが、なぜかいつもとは少し様子が違うように感じて―――剣心は訪ねた。

        「薫殿、今日、化粧している?」
        「え?してないわよ」
        「そうでござるか?」
        「そんな時間ないわよ、着替えるのに精一杯だったんだから。折角だから、ちょっとくらいはしたほうがいいかしらとも思ったんだけど」
        「大丈夫でござるよ、化粧なんかしなくても充分・・・・・・」
        「・・・・・・」
        「あ、いや、その」
        薫は赤くなってうつむき、剣心は視線を空に泳がせた。


        「・・・・・・では、行こうか」
        「う、うん」

        ふたりはぎこちなく言葉を交わして、道場を出た。







        ★







        ぎこちない空気は、その後も続いた。



        「今日は弥彦は?」
        「夕方まで赤べこだけど、終わる頃にお前らも店に来い、ですって」
        「おろ、また宴会でござるか」
        「左之助が招集かけてるのよ、無事帰還したお祝いだって」
        「奴も元気でござるなぁ」
        「ほんとにね」


        そして、会話が途切れる。
        しばらくふたり、無言のまま歩く。


        「・・・・・・これから行くお店、なんて名前なの?」
        「あー、それは・・・・・・」
        「?」
        「・・・・・・着いてからのお楽しみ、でござる」
        「・・・・・・そうなの?」
        「うん」
        「ふぅん・・・・・・」


        また、途切れる。

        着くまで内緒にしておきたいという稚気もあったが、名前を口にしたら、彼女の名を呼び捨てにすることになる。それはなんというか、気恥ずかしい。
        そしてまた、無言で歩く。


        「・・・・・・いいお天気ね」
        「そうでござるな」
        「・・・・・・」
        「暑くないでござるか?」
        「ん、大丈夫」


        また、途切れる。
        どういうわけか今日は会話が上手く続かずに、ぎくしゃくした空気がふたりの間に漂っていた。


        「明日も、暑くなるでござるかな」
        「そうねぇ」
        「・・・・・・」
        「・・・・・・」



        ―――いつも、こんな感じだっただろうか?


        どうにも間がもてずに、落ち着かない。
        これまで、薫と一緒にいる時にこんなふうにになった事はなくて―――剣心は、どうしたものかと途方に暮れた。
        ふたりだけで歩いたことは、これまでに何度もあった。そんな時、今までどんな事を話していただろう?
        思い出せない。だって、あまりに自然にふたりで歩いて、ごく当たり前に会話をしていたのだから。なのに、今日のこのぎこちなさは、どうしたことだろう?

        だいたい、薫もいつもと少し様子が違って、随分おとなしい。先程着替えに飛んでいったときは凄い勢いだったが、今は声にも元気がないようだし、表情
        もなんだかこわばっているし、下を向くようにして、こちらに目を合わせないように歩いているし―――



        ・・・・・・ひょっとして。
        さっき、了承してくれたときは嬉しそうに見えたけれど、でも。



        「薫殿」
        「ん、なぁに?」
        「その、気が、すすまなかったでござるか?」
        「え?何が?」
        「だから、その・・・・・・店に行くの、気がすすまなかったのかな、と・・・・・・」
        「・・・・・・はぁ?!」


        それまで、うつむきがちに視線を足元に落としながら歩いていた薫が、ぱっと顔を上げた。


        「何言ってるの?気がすすまないわけないじゃない、それどころかめちゃくちゃ嬉しいわよ」
        「いや、それにしては・・・・・・さっきから妙におとなしいから」
        「妙にって何よ!っていうか、あたりまえでしょー!?緊張してるんだからっ!」
        普段どおりの威勢のよさで反論され、剣心は目を白黒させた。


        「緊張・・・・・・」
        「そうよっ!珍しく剣心から誘われたんだもん、そんなの当然でしょっ」
        見当違いな事を言われたのが腹立たしくて、それこそ緊張の糸が切れてしまったのか。薫はすっかりいつもの彼女に戻って怒ったような目で剣心を睨ん
        だ。

        「・・・・・・えーと、そんなに拙者、珍しいことをしたでござろうか?」
        「珍しいわよ!かーなーり、貴重だわ」
        「何もそこまで強調しなくても・・・・・・それに、だからといって別に緊張することでもないでござろうに」
        「・・・・・・じゃあ、剣心は?わたしのこと、普通に誘えた?」
        「それ、は」


        思い返してみる。
        明らかに、誘えていない。

        ふたりきりになるタイミングを何度も逃がして。いざふたりきりになっても、どう声をかけたらよいのかわからなくて、うまく言葉が出てこなくて、時間ばかりが
        過ぎて。そんなふうになるのは、自分にとっては珍しいことだった。



        そんなふうになってしまった理由は―――緊張していたからに、他ならない。



        「・・・・・・うん、薫殿の、言うとおりでござる」
        ぺし、と軽く自分の頬を叩いて、剣心はうなだれる。
        その様子が可笑しかったのか、薫の目から険しさが消えて、唇が笑みでやわらぐ。

        「緊張した?わたしを誘うの」
        「・・・・・・していた、でござる」
        「嬉しいなぁ」
        「え、そんなことが?」
        「嬉しいわよー!」
        元気よく言い切って笑う薫は、すっかりいつもの彼女の調子に戻ったようで、剣心はほっとする。


        「ねぇ、お宮のほうにむかってるみたいだけど、ほんとにこんな所にお店があるの?」
        「ああ、だから拙者も驚いた」
        「へえ、楽しみっ!」

        軽やかに髪とリボンを揺らしながら笑う薫。
        その様子を見て剣心は改めて、ああ自分が守りたかったのはこういうものだったのだな、と実感した。


        あの頃、新しい時代をむかえるため、その礎を築くため、仲間とともに闘った。
        この国を変えようとした、などと言うと大仰だが、つまりは嬉しいことがあったら笑って、悲しいことがあったら泣いて、そしてまた、笑って。誰もがそうやって
        過ごせる国を作りたかったのだ。
        誰もが何気ない日々を過ごすなか、人間らしく暮らせる、そんな国を。



        ―――だから、こんなにも彼女に惹かれたのかな。



        いつも、いきいきと笑い、怒り、涙して、明るく懸命に生きている薫。
        自分が焦がれた新しい世の中を、彼女はそのまま体現しているのだから。








        ★








        「ほら、この看板」
        「・・・・・・え?」



        慎ましい立看板に書かれた淡い色彩の文字を見て、薫は目を大きくした。

        「・・・・・・これ、もしかして、『かおる』って読むの?」
        「そう、薫殿と同じ名前」
        「う、わぁぁ・・・・・・」
        吸い込まれるように看板に見入っていた薫は、ぱっと顔をあげるときらきらした瞳を剣心に向けた。

        「すごいすごいっ!素敵!ありがとう剣心!」
        子供のようにはしゃぐ姿に、剣心は目を細める。予想どおり、というか予想以上の喜びように、つられてこちらも嬉しくなる。



        目印の看板がないと見過ごしてしまいそうな細い道。並んでは歩けない幅なので、剣心が先に立ち、薫はその後に続いて歩く。
        「こんな所にあるんだ、まるで隠れ家みたいね」
        「ああ、名前だけじゃなく、店のほうもきっと気に入るでござるよ」
        「・・・・・・嬉しいなぁ」
        後ろから聞こえてくる声は、顔を見なくてもにこにこ笑っているのがわかるような、弾んだ声だった。

        「そう言ってもらえると、拙者も見つけた甲斐があるでござる・・・・・・まぁ、偶然ではござったが」
        「んー、名前も勿論なんだけど、剣心が連れてきてくれたってだけで、もうすっごく嬉しいのよ」
        「大げさでござるなぁ」
        「えー、だって」




        薫はそこで一旦言葉を止め、言おうか言うまいか逡巡したが、結局口を開いた。




        「だって、ほら、今まで何かするってときって、大抵わたしのほうからだったじゃない?」
        「何かって・・・・・・何がでござる?」
        「・・・・・・初めて会ったとき、いて欲しいって言ったのはわたしからだし、京都まであなたを探しに行ったのも・・・・・・わたしからだもん」













        4 へ続く