「好き・・・・・・」





        ふわりと、ひとつの言葉が胸に浮かんだから、素直に声に出して囁いた。
        けれど、あなたは何故か不機嫌な顔になって、怒ったような目でわたしのことを睨んだ。









        
すき、すき、すき。






        襖が開く気配がして、流れ込んだひんやりとした空気が背中を撫でる。
        反射的に、薫は綿入れを羽織った寝間着の肩を寒そうにすくめた。


        「外は、雪がちらついているでござるよ」
        「そうなの? どうりで寒いはずよねぇ・・・・・・」

        寝室に入ってきた剣心は、火鉢の炭をつついている薫の隣に腰を下ろす。
        今夜は冷え込みが厳しい。床につく前に少し部屋の中を暖めようと思い、薫は先程火をおこしたところだった。
        「失敗したなぁ・・・・・・もう少し早くに点けておけばよかったわ」
        「なに、身体を動かせばすぐに暖かくなるでござるよ」
        「・・・・・・ばか」
        どう「動かす」というのか、彼の軽口の意味を察して薫の頬にぽっと血がのぼる。
        相変わらずの可愛らしい反応に剣心は口許を緩めると、膝立ちに動いて薫の後ろへ身体を移動させた。


        腕を伸ばして、剣心は細い肩を抱きしめる。
        薫の背中が、暖かな体温で包まれた。

        目の前には火鉢、後ろには剣心。
        これは、とても、あたたかいのだけれど―――


        「・・・・・・剣心、寒くないの?」
        「薫殿とこうしていれば、充分あたたかいでござるよ」
        「んー、でも」
        薫はごそごそと身体を捻って、座ったまま剣心と向かい合うような姿勢をとる。そして、腕をのばして剣心の背中にまわした。
        わたしの腕じゃ、頼りないかもしれないけれど、でも。

        「こうすると、もっとあったかいでしょう?」
        そう言って、ぴったりと身体をくっつけあう。くすくすと、剣心が笑いを漏らす気配を感じて、薫は首を動かした。
        ほんの少しだけ胸を離して、互いの顔をのぞきこむ。
        その時、ふわりとひとつの言葉が胸に浮かんだので、薫はそのまま声にして囁いた。



        「好き・・・・・・」



        それは、まじり気のない、純粋な想いから発せられた言葉だった。
        しかし―――剣心は何故か不機嫌な顔になって、怒ったような目で薫を睨んだ。


        「・・・・・・どうしてでござる?」
        「え?」
        「どうしていつも薫殿は・・・・・・拙者がそう言おうとした時に、必ず先に言ってしまうのでござるか?」

        子供のような物言いに、薫はきょとんとする。
        「そう言おうとした」というのは―――つまりは、「好きと言おうとしたら」ということだろうか。


        「わたし、剣心の先を越してるの?」
        「ああ、一昨日だってそうだったでござるよ。拙者も、丁度言おうとしていたのに」
        「え? 一昨日の・・・・・・いつのこと?」
        「夜、布団の中で」
        記憶の糸を手繰り寄せて、薫はぼっと赤面する。
        それは確か一昨日の夜に―――彼に、抱かれていたときの話だ。

        「そっ・・・・・・そんなの思わず口をついて出ちゃったんだもん!そんな時に意識して先回りする余裕なんて、あるわけないじゃない!だいたい剣心だって、
        その後で『拙者も』とか、言ってくれなかった・・・・・・っけ・・・・・・?」
        言っているうちにだんだん恥ずかしくなってきて、語尾がどんどん小さくなってゆく。しかし剣心は「確かに言ったが、それにしても拙者が先に言いたかった
        でござるよ」と大真面目に返してくる。
        「で、でもっ、わたしだって剣心がそう言おうとしてるかなんて、わからないものっ!たまたま、お互い同じ瞬間に言おうとして、わたしがちょっとだけ早く口
        にしたってだけでしょう?」
        「そうかもしれぬが・・・・・・こう度々だと、なんだか悔しいでござるよ」
        そう言いながら、剣心は首を傾けると少し強めに薫の耳たぶに噛みついた。薫は「きゃあっ!」と悲鳴を上げたが、抱きしめる腕は離れようとしない。


        剣心の言い分はまるで負けず嫌いの子供のようだったけれど―――彼がここまで拗ねているということは、わたしが「好き」と先を越してしまったのは、一
        度や二度ではないのだろう。そう考えると、ちょっと申し訳ないような気もするけれど、これはわざとやっている事ではないのでどうしようもない。
        だって、わたしは別に、剣心の心が読めるわけでもないのだから―――

        「・・・・・・あ」
        はっとしたように、薫の唇から声がこぼれる。耳朶を伝って首筋に歯を立てていた剣心は、顔を離して「何?」と小さく眉を寄せた。薫は大発見をしたという
        ように目を大きくしながら、彼の瞳をじっと見つめる。


        「ねぇ、わたしがちょっとだけ先を越しちゃうってことは・・・・・・わたしたち殆ど同時に、『好き』って言いたくなってるって事よね?」
        「まぁ、そうでござるな」
        「同時に『好き』って思うって事は、それだけ、繋がっているってことじゃないの?」
        「繋がっている?」
        「剣心とわたしの、心が」


        剣心は、ぱちぱちと何度かまばたきを繰り返し、そして薫と同様に目をみはる。
        「・・・・・・成程、その通りでござるな」
        「ね?そうでしょう?」
        「不思議でござるな。別々の身体に、それぞれの心があるというのに」
        「不思議ね。それなのに、ちゃんと繋がっているんだわ」

        薫は、剣心の胸にそっと手をあてて微笑んだ。
        剣心も、同様に彼女の其処にそっと触れる。

        ふたりの別々の人間が、同じ瞬間に「好き」だと思う。伝えずにはいられなくなって、同時に「好き」と口にする。
        それはまるで、目には見えないふたつの心が、繋がって共鳴しあっている証拠のようで―――剣心と薫はくすぐったい喜びに目を細めながら、じっと見つ
        め合う。


        ひととき、あたたかな沈黙が流れて―――
        そして薫は、剣心の唇が言葉を発しようとして、微かに震えるのに気づいた。


        「・・・・・・好き!」


        今のは、完全に「わざと」だった。きっと彼がそう言うと思って、先を越してやるつもりで口にした。
        案の定剣心は驚いたように、口を開きかけたままの形にして固まってしまう。

        してやったり、というふうに薫がにっこり笑うと、剣心は今度こそ怒ったように目を半眼にして薫を睨む。子供みたいな反応を返してくる剣心が可笑しくて可
        愛くて、薫は首を伸ばすようにしてもう一度「好き」と繰り返そうとしたが―――
        「ん、っ・・・・・・!?」
        声は、口づけで阻まれる。剣心は、唇を薫のそれに重ねたまま囁いた。


        「好き・・・・・・」


        わたしも、と答えようとして薫が唇を動かすと、開いた口に舌が押し込まれた。
        ぞくっとして、思わずきつく目を閉じる。腰のあたりを抱きかかえられたのを感じて、反射的に彼にしがみついた。
        一瞬の浮遊感の後、仰向けにされて布団に押し付けられたのがわかった。目を開けると、覆い被さってくる剣心の顔が間近にあった。

        「好き」
        言葉とともに、再び唇が降ってくる。何度も繰り返す口づけの合間に、「好き」も一緒に繰り返される。
        「剣、心・・・・・・あっ、や・・・・・・やだっ!」
        喋ろうとして唇を動かすと、緩んだ袷から侵入した彼の手が、乳房の上で動いた。びくっと身を震わせる薫の耳元に、剣心はぴったりと口を押し当てる。
        「薫殿も、言っていいでござるよ?『好き』って」
        耳の奥に響く、低い声と息の熱さに、くらくらとめまいを覚えそうになる。慄える唇を動かして、それでもなんとか「好き」と口に出そうとすると、剣心の指が
        殊更に感じるところに触れてきて、泣きそうに声が掠れる。


        「・・・・・・き・・・・・・」
        「聞こえない」
        「す、き・・・・・・んんっ!」


        再び、唇を塞がれた。
        息を奪われるような口づけが苦しくて、でも心地よくて。このまま、ふたり重なったまま溶けてしまうのではないかと、心配になる。
        これ以上繋がれないというくらい、心も身体も―――溶けて、ひとつに。




        もう一度剣心が、「好き」と囁いた。
        対抗する気はすっかり失せていたけれど、薫は声を絞り出すようにして「好き」と答えてから、彼の背を思いきり抱きしめた。









        ★









        夜も更けた頃、剣心は起き上がって火鉢の火をおとした。
        ふたりともすっかり身体は暖まって、むしろ暑いくらいだった。

        布団に戻ると、汗で冷えないようにときっちり寝間着に身を包み直した薫が、じいっと見つめてきた。
        並んで横になったふたりは布団の中で手を繋ぎ、少しの間、無言で視線を絡ませあう。




        「「・・・・・・好き」」




        なんの合図をすることもなく、ふいに発した言葉は、きれいに重なって響いた。
        剣心と薫は額と額をくっつけあってひとしきりくすくすと笑いを漏らし、やがてどちらからともなく、「おやすみなさい」と呟くように言った。






        夢の中でも、ちゃんと繋がっていられますように。
        そんな事を願いながら、ふたりは手を繋いだまま目を閉じた。













        了。





                                                                                       2015.01.15









        モドル。