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立ったままではなんですから、と。弥彦と燕は彩月堂の奥に通され、弥彦は菓子鉢に盛られたかりんとうに手を伸ばしばりばりと賑やかな音を立てて食らいついた。「早く戻らないと、祝言が・・・・・・」と焦る燕は気を揉んだが、「いいだろこのくらい。だいたい、さっきまで立てこもってたのは何処の誰だよ」と言われて何も返せなくなった。
小さく縮こまる燕に、店主は袱紗を貸してくれた。壊れた薫のかんざしを包み、とりあえず、袂にしまう。そして、桐箱のほうには、店主が貸してくれた鶴かんざしを納めて、蓋をする。
「祝言には、わたしも後程顔を出しますので・・・・・・うまくゆくとよいですね」
その言葉に、燕は「ありがとうございます!」と深々と頭を下げた。

一息ついた後、彩月堂を辞したふたりは、足早に神谷道場へと急いだ。祝言が始まるにはまだ時間はあるが、そろそろ子供ふたりの姿が見えないことに大人たちも気づいていることだろう。きっと薫も、かんざしを取りに行ったきり戻ってこない燕のことを不思議に思っているに違いない。


ふたりは、黙々と早足で歩を進めていたが―――歩きながら、燕が不意に口を開いた。

「・・・・・・弥彦くん」
「あ?」
「逆刃刀って・・・・・・本当にもう、手に入らないの?」


それは先程、箪笥に立てこもった燕を説得するのに、弥彦が言った言葉だった。
逆刃刀は普通の刀と違い、売っているようなものではない、と。

弥彦は「もうそれ蒸し返すなよー・・・・・・」と苦り切った声をあげたが、それでも律儀に「ああ、手には入らねーよ」と答える。
「でもまぁ、それでいいと思ってるよ。剣心と同じ刀を持ってりゃ剣心と同じくらい強くなれる、ってわけでもないからな」
むしろ弥彦としては、「同じ刀を持っていれば同じくらい強くなれるかも」と考えていたことが恥ずかしかった。「ガキだったよなぁあの頃は」とため息をつく弥彦に、燕は「たった一年前のことなのに」と、少し可笑しくなった。

正確には、弥彦と燕が知り合ってからは一年も経っていないが、しかし、その一年にも満たない期間のなかで、本当にいろいろなことが起こった。
燕は、その出来事の渦中にいた弥彦たちを、ずっと傍で見ていた。見ていただけのわたしが、こんなに「密度の濃い一年だったなぁ」と感じているのだから、弥彦くんはそれをもっと実感しているのだろうな、と思う。
そう、実感しているだけではなくて、弥彦くんはこの一年ですごく大人になったように思うし、すごく強くなったと思うし―――


「・・・・・・逆刃刀がなくたって、弥彦くんは剣心さんくらい強くなれるよ」
「・・・・・・そうかな」
「絶対、そうだよ」


心から、燕はそう思った。
短い期間で、ぐんと成長した弥彦。それは、成長せざるを得ないような厳しい局面に、彼が何度も立たされた所為もあるだろう。

しかし、弥彦はどんなに苦しい状況にあっても、危機に陥ったときも、挫けずに前にむかって進むことができたのだ。
そんな彼が、これから成長してゆくなかで、もっともっと強くならないわけがない。


―――だから、そんな弥彦くんのそばにずっといるためには、わたしも強くならなくちゃ。
びくびくおどおどしているのは嫌いだって、弥彦くんはそう言ったんだから。


「・・・・・・あ、でも、もしかしたら弥彦くんが大人になったとき、剣心さんが逆刃刀を譲ってくれるかもしれないし」
「あー?そんな事あるかぁ?刀は侍の魂だぞ」
「そうだけど、大事なものなら尚更、誰かに受け継ぎたいって思うかもしれないでしょう」
「それはそうかもしれねーけどさぁ・・・・・・」

弥彦は、いややっぱりそれはないだろうと首を横に振りつつも、小声で「ありがとな」と礼を言った。
燕が、自分が強くなることを信じて疑わないことが、嬉しかったから。



―――それに応えるために、俺はちゃんと、強くならなくては。
弥彦は改めて、そう、決意を新たにした。

















午になる前に、弥彦と燕は神谷道場に戻ることができた。
こっそり裏から母屋に、折悪しく台所から出てきた妙と鉢合わせをし、「あらまぁ、いったい何処に行ってはったの?」と言われ、ふたりで肩を縮こまらせた。

「ごめんなさい、お台所手伝わなくて・・・・・・」
「ええのええの、手は足りてるんやから大丈夫やよ。それより、薫ちゃんが燕ちゃんのこと探してたみたいやけど」
その言葉に、ふたりは揃って緊張した面持ちになる。桐箱を持つ燕の手に、ぐっと力がこもった。



薫の部屋の前に立ち、弥彦と燕は、耳をすませて中の様子を窺った。話し声は聞こえない。薫ひとりで部屋にいるということは、花嫁衣装の着付けや髪を結うのは終わったのだろう。

「・・・・・・うまくいくかな」
襖を前にして、燕は不安そうに呟いた。
「うまくいかなかったら謝ろうぜ。まあ、ばれてもばれなくても、どちらにしろ祝言が終わったら全部白状するけどな」
「ばれないでほしいな・・・・・・」
「薫のおおざっぱ加減に賭けるしかねーな。きっとあいつのことだから、そんな細かいところまでは・・・・・・」
「そんなところで、何ぼそぼそ喋ってるの?」

がらり、と。
鼻先で突然襖が開き、弥彦と燕は「わあっ!」と驚きの声をあげた。
そして―――そこに立っている薫の姿を見て、ふたりは別の種類の驚きに、目をみはる。


「薫さん、きれい・・・・・・」


たっぷり数秒間見とれた後、燕は感に堪えない様子で声を漏らす。
長い黒髪は、高島田に結い上げられて。羽二重の白無垢を身にまとい、顔には化粧も施して。
そこにいたのは、弥彦と燕が今まで見てきたなかで一番綺麗な薫だった。

「えへへ、ありがと燕ちゃん。なんか、こんなに着飾ったのはじめてだから、落ち着かないんだけど・・・・・・変じゃない?」
もじもじとはにかむ薫に、燕は力をこめて「変なわけないです!とっても綺麗です!」と断言する。弥彦はそれに合いの手を入れるように「いやー・・・・・・ほんと、化けたもんだなー」と呟いた。
「あんたにしてみれば、最大級の褒め言葉なのかしらね?」
憎まれ口の要素が多い賛辞に、薫は半眼になって弥彦を睨む。その顔は、弟子に小言を言うときのいつもの薫の表情そのもので―――それが淑やかな花嫁姿とは不釣り合いなのが可笑しくて、弥彦と燕は頬をゆるませた。つられて、薫もくすっと笑顔になる。

「でもこれ、まだ完成じゃないのよ。これから髪にかんざしを挿して、綿帽子をかぶって、打掛を羽織らなきゃ」
そう言って、薫は衣桁を示す。部屋の一角に、一幅の絵が飾られるかのように掛けられた打掛。白の地に、更に光沢のある白で花々の紋様が織りなされた見事なそれに、常の燕ならうっとりとため息をついたことだろう。
しかし、打掛の前に出た「かんざし」という単語に、うっとりしている場合ではなくなる。
弥彦と燕は一瞬だけ視線を交わして、そして燕は、手にした桐箱をおずおずと薫に差し出した。


「あの、遅くなってすみません・・・・・・これ」
「あ、そうそう、かんざしね。どうもありがとう!」

笑顔で箱を受け取る薫。
弥彦と燕の上に、いっそうの緊張が走る。
どうか、どうか気づきませんように―――



「・・・・・・あら?」



祈るような心地で薫の手元に注目していたふたりは、蓋を取るなり不思議そうに呟いて小首を傾げた薫を見て、あああやっぱり無理だったかと失望する。

「・・・・・・なんだよ、どうかしたのか?」
それでも、なんとか理屈をつけて押し通せないものかと一縷の望みを懸けて、弥彦は何気ない様子を装い訊いてみる。


「んー・・・・・・この、鶴のかんざしなんだけど」
「別に、変なところはないんじゃねーの?」
我ながら、白々しいにも程があると思いながらも、弥彦は続けた。

「そうよね、そうなんだけれど・・・・・・でも、あれぇ?おかしいわねぇ」
鶴のかんざしをひとつ指でつまみ、顔の前にかざして、薫は言った。






「この鶴・・・・・・羽が折れていたはずなんだけれど」






6 へ続く。