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かんざしを、すり替えたことを。
すぐに見抜かれてしまうか、気づかずにそのまま身につけてくれるか。反応は、そのどちらかだと思っていた。
だから、弥彦も燕も予想していなかったまさかの台詞に、頭の中が真っ白になった。
束の間、ふたりは言葉も忘れて呆然と立ちすくみ―――先に我に返ったのは、弥彦のほうだった。


「・・・・・・おい、なんだよ、折れてたって」
「え?うん、これと、こっちの鶴のかんざしね、二羽とも羽が折れていたのよ。変ねぇなんで両方ともくっついているのかしら・・・・・・」
「前から・・・・・・折れてたのか?」
「ええ、これ、お祖母ちゃんの代から使ってきたかんざしなんだけど、母さんが結婚したときにはもうどちらも折れていて・・・・・・」


かんざしは、ぶつかって落とした拍子に折れたのではなく、最初から折れていた。
つまり、自分たちが壊したわけではなかった。

それは、弥彦と燕にとっては喜ばしい事実といえたが―――じゃあこの数時間、青ざめて奔走して大騒ぎしていたのはなんだったんだと、弥彦の頭に急激に血がのぼる。


「なんだよそれ?!お前の家系は代々粗忽者ばかりなのかー?!」
「は?!あんたこそ何よ、なんであんたにうちの家族の悪口言われなきゃならないわけ?!」
彼らの事情を知る由もない薫は、暴言にきゅっと眉を上げ、きれいに爪を整えた指でびしっと弥彦の額をはじいた。反射的に応戦しようとした弥彦が、花嫁に手を上げかけたところで―――燕の大声が部屋に響いた。



「ごめんなさいっ!全部わたしが悪いんです!!!」



薫は驚いて目を丸くして、弥彦は上げた手をぴたりと止める。そして、「お前、今日はよく叫ぶよなぁ・・・・・・」と疲れた調子で呟くと、腕を下ろした。

















「そっか、そんな事があったの・・・・・・」


弥彦と燕は、今日これまで起きたことを包み隠さず打ち明けた。
薫は、「そういう時は、ちゃんとその場で言ってくれないと。その所為で、ふたりともばたばた走り回ることになったんでしょう?」と、少し強い口調でたしなめる。それはまったくの正論なので、弥彦と燕はばつの悪い顔で首を縮こまらせるしかなかった。しかし、薫はそんなふたりを見て、ふわりと頬を緩める。

「・・・・・・でも、わたしのことを思って、なんとかしようとしたんだもんね。ふたりとも、ありがとう」
その言葉に、子供ふたりはほっと安堵の息をつく。安心したついでに、弥彦は「っていうか、お前こそ紛らわしいことするんじゃねーよ。壊れたかんざしを、後生大事にとっておくなんてよー」と苦情を申し立てずにはいられなかった。
「その、壊れたかんざしは何処にあるの?」
燕が袂から取り出した袱紗を、薫は「ありがとう」と受け取る。
「せっかく、壊れていないのを借りてきてくれたのに申し訳ないけれど・・・・・・やっぱり、こっちを挿させてもらうわね」


借り物よりも、祖母の代から受け継いできたかんざしを選ぶのは当然のことだろう。しかし、そのかんざしは壊れているのだ。一体どうするのだろう、という弥彦たちからの視線を受けて、薫は「まあ見てなさいよ」と口の端を上げる。
「燕ちゃん、ちょっとこれ、こうやって持っててくれる?」
薫は二羽の鶴を並べて、胴体を寄り添わせる形にして燕に持たせた。

そこで、改めて壊れたかんざしを手にした燕は、その二羽の鶴には違いがあることに気づく。
どちらの鶴も翼が折れていることは共通しているが―――折れている側が違っている。一羽は右の翼を、もう一羽は左の翼を失っているのだ。
そして薫は、あらかじめ用意しておいたらしい、赤い水引を取り出した。


「比翼の鳥って、知ってる?」
「え?」
「中国の、伝説の生き物よ。雄と雌のつがいで対になっていて、それぞれ翼が片方しかないの。このかんざしの鶴みたいに、一羽は右に、もう一羽は左にだけ翼があって、だから・・・・・・」

薫は、二羽の鶴の胴体に、水引をくるくると絡めてぎゅっと結び目をつくる。
ふたつの鶴の身体が、赤い水引でひとつに繋げられた。



「一羽だと飛べないけれど、こんなふうに二羽で一緒にいると、どこまでも飛んでゆける―――そんな鳥なんですって」



はい、出来上がり、と。
薫が紅をさした唇で優しく微笑む。

ぴたりと寄り添って、優雅に羽を広げる、双頭の鶴。
燕は目を大きくして、今にも手の中から羽ばたいて飛び立ちそうな比翼の鶴を見つめると、ほれぼれとため息をついた。


「・・・・・・この鶴、薫さんと剣心さんみたい・・・・・・」
幾つもの困難に阻まれて、苦しみながら傷つきながらも、それを乗り越えてふたりで生きる道を選んだ、剣心と薫。

燕は、翼をひとつ失っても、愛しい半身がいれば飛ぶことができる比翼の鶴に、彼らの姿を重ねずにはいられなかった。

「母さんの祝言のときもこうやって、ひとつにくっつけたかんざしを髪に挿したんですって。これはこれで、なかなか素敵でしょ?」
母親が存命していた頃、箱からこのかんざしを取り出して、その事を教えてくれた。以来薫は、自分も祝言を挙げるときは同じようにこのかんざしを水引で結び、髪に飾ろうと決めていたのだ。
「はい!素敵だし、その伝説も、祝言にぴったり・・・・・・」
「それにしても、よかったなぁ。お前みたいなのを貰ってくれる物好きな奴がいて。そうじゃないと、永遠に挿す機会はなかったぞ」
色々奔走したのが徒労だったことを知り、どっと脱力したのは確かだが―――ともあれ一件落着したのは確かだ。弥彦は素直に「よかった」と思いつつも、いつもの癖でひねくれた口をきく。弟子の失礼な発言は慣れたものである薫は、怒るでもなく「なんとでも言いなさい」と胸を反らせた。



「・・・・・・薫殿?弥彦たちもいるのでござるか?」
ふと、廊下の方から弥彦の言うところの物好き―――新郎である剣心の声が聞こえた。
「入るでござるよ、馨殿が探していたで・・・・・・」
「だめっ!!!」

からりと開きかけた襖を、薫は勢いよくぴしゃりと閉めた。長い裾を引きずる花嫁衣装なのにもかかわらず、畳を蹴って襖の取っ手に飛びついた素早さは神速もので―――弥彦と燕は目を丸くする。
そして、襖の向こうでは閉め出された剣心が「薫殿?!」と驚きの声を上げる。

「だめよ!まだ髪もお衣装も途中なんだから、まだ見ちゃだめ!」
「駄目って・・・・・・弥彦と燕殿は中にいるんでござろう?!」
「この子たちはいいの!でも剣心には、ちゃんと完成したところで見てもらいたいんだもん」
「そんな、ずるいでござるよ弥彦たちばかりー・・・・・・」
ぼすんぼすんと襖を叩きながら訴える剣心の情けない声に、弥彦はがくりと肩を落とした。まがりなりにも剣心は、弥彦が「こうなりたい」と憧れる最強の剣客である。そんな対象のこんな面を目の当たりにすると、尊敬の念も薄れるというもので―――いや、それともこれは剣心をこんなふうにさせてしまう、薫が凄いというべきなのか。


弥彦と燕が廊下に出ると(勿論襖は細く開けて素早く閉めた)、剣心にじとりと睨まれ、恨みがましい声で「ずるいでござる」と言われた。
「綺麗でござったか?」
「はい、とっても!」
「まあ、馬子にも衣装って言うしな」
襖の向こうから「剣心、わたしの代わりにお願いー」という声がして、弥彦は剣心に軽く頭を小突かれた。
「・・・・・・で、誰が誰を探してるって?」
「馨殿が、お主たちをでござるよ。向こうの部屋で待っているから、早く行くといい」
「かおり・・・・・・?」
「ほら、加納屋の。薫殿にそっくりな顔をした」
ああ、と。薫に瓜二つの呉服屋の娘のことを思い出して、弥彦と燕は大きく頷いた。しかし、自分たちが呼ばれる理由が分からず、顔を見合わせる。

「とりあえず、行ってみようぜ」
「うん、あ・・・・・・剣心さん」
「おろ?」
「紋服、似合ってます!」

そう、剣心も真新しい紋付に身を包み、既に花婿の身支度を整えている。
剣心は燕の言葉に照れくさそうに破顔し、「ありがとうでござる」と答えた。







「ああ、よかったやっと来た!待ってたわよー!」


馨は、以前弥彦が使っていた部屋で彼らを待ち受けていた。その顔を目にして、弥彦たちは「相変わらずよく似ているなぁ」と改めて感心する。呉服屋・加納屋の一人娘の馨は、顔に髪型、はきはきした喋り方や快活な雰囲気までもが薫にそっくりなのである。彼女らを知らない者に、二人を並べて「双子です」と紹介したならば、「そうですか」とすんなり納得されることだろう。

「あの・・・・・・俺たちを待ってたって、何の用で?」
弥彦の疑問に、馨はうふふと不敵に笑い、「決まってるでしょう、うちの商売は呉服屋よ?」と言って手を鳴らした。途端、わらわらと揃いの着物を着た男女が―――おそらくは加納屋の従業員たちが、部屋に入ってくる。
「はい、衝立立ててね。で、あなたはこっち、あなたはあっちね」
「へ?お、おいおいこれって一体・・・・・・」
「あなたたち、男蝶女蝶をするんでしょう?」
「「・・・・・・あ」」
かんざしの騒動があった所為でふたりとも、頭からすっぽりとその事が抜け落ちていた。
男蝶女蝶とは、祝言の盃事にて酒を注ぐ子供のことである。弥彦と燕は正月に、剣心たちから結婚の報告を受けるとともに、その役目をお願いしたいと頼まれたのだった。


「せっかくの晴れの席ですもの、それに相応しい格好をしなくちゃね」
にっこり笑ってそう言うと、馨は衝立で仕切った部屋の左右に弥彦と燕を押しこんだ。

















えてしてこういう場合、時間がかかるのは女性のほうである。弥彦の着替えはものの数分で済んだが、燕はその倍以上の時間を要した。ぴったりの寸法に誂えられた礼服を着せられた弥彦は、しばらくの間手持ちぶさたに燕を待っていたが―――ようやく着付けを終えて衝立が取り払われて、振袖姿の燕を目にすると、口にするつもりだった「おせーよ」という一言を飲みこんだ。

「はい、お待たせしました」と。馨は燕の背中を押して、弥彦の前に立たせる。
燕が身にまとっているのは、黒地に赤や黄色や紅梅色の花々が咲いた振袖だった。
羞ずかしげにうつむいた顔には、うっすらとだが化粧もほどこされていて、黒い髪には牡丹をかたどった髪飾りを挿して―――


「どう?一層きれいになったでしょう」


馨の言葉に、弥彦は反射的に頷いてしまい、そして真っ赤になって「いや」とか「あー」とか意味を成さない言葉を幾つか発し、つられて燕の顔にも鮮やかに血がのぼる。ふたりの初々しい様子に、周りの大人たちは頬をゆるませた。






京都からの客人たちが到着したらしく、玄関先からは賑やかな声が聞こえる。
剣心と薫、ふたりの門出を祝う瞬間が近づいてきていた。










7 へ続く