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「盗まれた物も店の娘も無事だったけど、その後も色々ばたばたしてさ。やっと帰って寝られたと思ったらすぐ朝で・・・・・・慌ただしかったよなぁ、あの日は」


彩月堂に向かう道すがら、弥彦と燕は数ヶ月前に起きた「強盗誘拐未遂事件」についてを振り返った。
昨年の、夏から秋へと季節が変わる頃に起きたこの出来事については、燕は弥彦たちからの伝聞によって知っていた。赤べこからの帰路の途中、剣心たちが行き遭った事件である。


「それ、覚えてる。弥彦くんたちが京都から帰ってきて、しょっちゅう赤べこに集まっていた頃だよね」
「ほとんど毎晩、能天気に大騒ぎしていたよなー。まさかあの後、また色々大変なことになるなんて思ってもみなかったし」
そう言って、弥彦は苦笑する。それは志々雄真実の事件が落着して京都から帰ってきて、皆が「めでたしめでたし」と平和な日常を謳歌していた頃のことだ。それから程なくして、剣心の過去をめぐってのある意味志々雄の一件よりも重苦しい事件が起きるなど、誰が予想し得ただろう。


「あれが、半年くらい前のことなんだね」
改めて振り返ってみて、燕はこの半年―――更にさかのぼってここ一年、自分の周りはなんと変化したことだろう、と思う。


赤べこで働くようになって、新しい友人知人が増えた。彼らと出会って親しくなって、日々は以前より賑やかになった。彼らにぐいぐい背中を押されるようにして、自分自身も「変わりたい」と思った。
引っ込み思案で、すぐにうつむいてしまうのがわたしの悪い癖だったけれど、もうおどおどびくびくしないって、弥彦くんと約束したから―――



「・・・・・・あ」
ふと、燕が洩らした呟きに、弥彦は「どうした?」と首を傾げる。
「思い出したの」
「何をだよ?」
「弥彦くんが幹雄様の企みを止めて、わたしを助けてくれた日・・・・・・わたし、あの晩はじめて剣心さんたちに会ったんだけれど」
「あー・・・・・・」と唸って弥彦は渋面をつくる。あの夜からはまだ一年も経っていないのだが、あの頃の自分は今よりはるかに弱くて未熟で短絡的で―――彼としては、気恥ずかしくてあまり振り返りたくない出来事である。

「あの時、弥彦くん・・・・・・剣心さんと左之助さんに話していなかった?弥彦くんが、お金を貯めてる理由」
「んだよ、お前も聞いてたのかよー・・・・・・」
弥彦はぱしりと手のひらで顔を覆って嘆息する。


当時は、赤べこで日雇い働きを始めて間もない頃で。その「理由」に興味を持った左之助に問い詰められて。そのやりとりは、燕を送っていった薫の耳にも届いており、彼女からもその後しっかりからかわれて―――
「話は聞こえてたけれど、でも、意味はわからなかったの」
「だよな。お前は剣心たちとはあれが初対面だったもんな。『さかばとう』なんて音で聞いても、そりゃ何のことかわからねーよな」

そう、弥彦が働き始めた理由は「いつか逆刃刀を買うため」だった。
少し離れたところにいた燕の耳にも、彼らの会話は聞こえていたのだが、あの時は「さかばとうってなんだろう」と聞き慣れない単語に首を傾げて、「薫さんは何が可笑しくて笑いをこらえているのだろう」と不思議に思ったものだった。
「逆刃刀」が、弥彦が目標とする最強の剣客が手にする斬れない刀の名前だと知ったのは、もっと彼らと親しくなってからのことだった。

「つーか、その事については忘れてくれ。あの頃は本気で逆刃刀を買おうと思ってたんだけど・・・・・・今振り返ると恥ずかしい・・・・・・」

「え?どうして?全然恥ずかしくないし、それに・・・・・・」
それに、弥彦くんが逆刃刀を手にする姿はきっと格好いいだろうし―――そう思ったが、それを口に出して言うことはそれこそ相当に恥ずかしい。燕は喉まで出かかった言葉を慌てて飲みこんだ。


それにしても、どうして弥彦くんが「恥ずかしい」だなんて思うんだろう。
弥彦くんは、強くなりたいと思っていて、思うだけじゃなくちゃんと努力もしていて、その姿勢はとても格好いいのに。
そんな弥彦くんだからこそ、いずれ逆刃刀を手に入れたら、きっと剣心さんみたいに無敵になるんじゃないかしら。そう、いつか逆刃刀を買えたら―――



「・・・・・・えっ?!ちょ、ちょっと待って!ってことはそのお金、今ここで使っちゃ駄目でしょう?!」



ようやく、燕はそこに思い至る。

逆刃刀を買うために貯えてきた大事な金を、こんなことの為に使ってしまって良いわけがない。燕はそう思ったが、当の弥彦はどこ吹く風というような顔である。

「だーから、忘れろって言ってるだろ?いいんだよ、もうその事については」
「で、でもっ・・・・・・」
「ああほら、着いたぜ。彩月堂」
おろおろと慌てる燕を尻目に、弥彦は道の先を指し示す。大きくはないが、品の良い店構え。目当ての店が、そこに在った。

















「おや、あなたは・・・・・・どうしたのですか?今日はこれから薫さんと剣心さんの祝言では?」
彩月堂の店主は、神谷道場の門下生である弥彦のことを覚えていた。更には、今日が婚礼の当日であることもちゃんと知っていた。


「今道場で支度中だけど、ちょっと非常事態で抜けてきたんだ」
「おや、それは穏やかではないですな」
店主は、眼鏡の奥の目をすこしみはってみせる。弥彦は先程の店で尋ねたのと同じように、鼈甲の鶴のかんざしはないか訊いてみた。「いくつかございますよ」という答えが返ってきて、弥彦は「おい、あるってさ!」と晴れやかな顔で燕のほうを振り返ったが―――それに対して、燕は浮かない顔をしている。

「なんだよ、あったっていうのに嬉しくないのかよ?」
「まだ・・・・・・これに似ているって決まったわけじゃないし・・・・・・」
「それは、確かにそうだけどさ」
妙に反応の悪い燕に、弥彦は顔をしかめてみせる。ふたりがそんなやりとりをしているうちに、「お待たせしました」と店主が戻ってきた。


その、彼が持つ黒塗りの盆に乗っていたのは、幾つかの鶴のかんざし。鶴のみのすっきりとした意匠のものや、花や流水があしらわれた華やかなものなどが並んでいたが―――その中の一羽に、弥彦と燕の目は釘付けになる。
燕は、桐箱を開けて薫のかんざしを取り出した。盆の上のそれと見比べて、ふたりは異口同音に「そっくりだ・・・・・・」と呟いた。


寸分違わずとまではいかないが、ふたつのかんざしは大きさから鼈甲の色合いから、よく似通っている。
これならば、壊れてしまったかんざしと取り替えても、気づかれないのではないだろうか。


「あの、鶴のかんざし、できれば二つ欲しいんだけど、これと同じようなのもうひとつありますか?!」
「まったく同じとはいきませんが・・・・・・こちらなら、似たような品がもうひとつあったはずですな。お持ちしましょうか」

「お願いします!で、ちょっと頼みがあるんだけれど」
幸運にも見つかったかんざしを前に、弥彦は勢い込んで身を乗り出す。これを今日一日借りることができれば、問題は解決するのだ。



しかし―――それまで彼らのやりとりを押し黙ったまま眺めていた燕が、突然、ぱっと手を伸ばした。
次の瞬間には、盆の上に乗っていた鶴のかんざしは、燕の手にあった。



「・・・・・・え?」
弥彦も、そして店主も何が起きたのかわからず、揃って燕の顔を見る。
思いつめた顔でかんざしを握りしめた燕は、唇を震わせながら
「・・・・・・やっぱり、駄目」と呟いた。
「燕、駄目って何が・・・・・・」
弥彦はわけもわからず、それでも反射的に彼女のほうに手を伸ばしたが、燕は後ずさってそれをかわす。そして―――





「弥彦くんの大事なお金、使っちゃうのは、やっぱり駄目っ!」




彼女らしからぬ大声で叫ぶなり、燕は身を翻す。
予期せぬ出来事に呆気にとられる弥彦を置いて、かんざしを掴んだ燕はその場から駆け出した。









4 へ続く。