「―――よし、完璧」



きっちり掃き清めた道場の門前を見渡して、弥彦は満足げに頷いた。ついでに、箒を手にしたまま少しそこから離れて、門に掛けられた高張提灯が曲がっていないか確認する。
今朝の神谷道場は、早い時間から絶えず人が出入りし平素より活気づいており、門の前からでもその賑やかな気配が感じられた。




今日は、緋村剣心と神谷薫の祝言の日である。










祝 言



1






「ささやかでいいから、和やかで楽しい祝言にしたい」というのが、剣心と薫のかねてよりの希望だった。
しかし、それを知った周囲はこぞって「別にささやかでなくても」と反論した。特にふるっていたのは妙の弁舌で、「あんなにしっかりとお葬式出したんやから、祝言もきっちり挙げな釣り合いがとれへんやろ?」と噛んで含めるように薫に説き、成程そういうものかと薫も素直に頷いたのだった。ちょうど赤べこでその場面に居合わせていた弥彦は、彼女たちのやりとりを思い出して頬をゆるめる。


結局、親しいひとに声をかけて、道場で宴席を設けることで話は落ち着いた。
祝いの膳は気取らない献立で、お酒のすすむものを揃えて。他流派の門下生もやってくるだろうから、彼らには餅つきに参加してもらい、搗いた餅はその場でどんどん振る舞って。豪勢ではないけれど、誰もが気軽に立ち寄って気兼ねなく楽しめるような。そんなひとときを過ごして貰えるよう、準備を進めた。

そして祝言の当日、弥彦や妙は台所や何やらの手伝いで朝も早くから駆り出された。じきに操が蒼紫に伴われてはるばる京都から到着し、道場はいっそう賑やかになることだろう。



門前の掃除を終えた弥彦は、母屋へと戻った。
居間の襖を取り払って広間の体裁にしたせいか、遮られることなく注ぐが、家の中をいつもより明るく見せている。昨日までに剣心と薫がふたりがかりでぴかぴかに磨き上げ、障子紙もすべて貼り替えた努力の賜物ともいえるだろう。

でも、それだけではないな、と弥彦は思った。
今日は二人の出発の日だからだ。


一番近くで過ごしてきたふたりが、今日「夫婦」になる。
これから人生をともに歩き出す、門出の瞬間をむかえる。

そのことを考えると、胸の奥がぽっと暖かくなった。
そのことが、まるで自分のことのように嬉しくて―――嬉しさに、見慣れた光景までもがまぶしく見えてしまうほどに。



「さて、次は何をしたらいいかな・・・・・・」

祝言が始まるのは午後になってからだ。そろそろ剣心も薫も晴着の用意にとりかかる頃だろうか。
何か手伝えることはあるかなと思い、弥彦は新郎が控える部屋に向かおうとした、が―――

「うわっ!」

「きゃあ!」

廊下の角を曲がろうとしたところで、向こうから歩いてきた者と、出会い頭に衝突した。ふたりぶんの声と、ばらばらと何か軽いものが散らばる音が重なる。
「痛ててて・・・・・・あ、悪ぃ、大丈夫か燕?」
ぶつかってきた相手は、燕である。弥彦が慌てて詫びると、燕は「あ・・・・・・大丈夫、わたしこそごめんね、弥彦くん」と謝り返す。彼女も、手伝いに駆けつけたひとりだ。


「何だこれ・・・・・・かんざし?」

「うん、もうすぐ髪結いさんが来るから、薫さんのところに持っていこうと思って」
ぶつかったはずみに散らばったのは、燕が持っていた桐箱に入っていたかんざしだった。別の部屋に置いてあったのを、薫のもとに届けるところだったらしい。

「ずいぶんと色々あるんだなぁ。これ、全部つけるのか?」
「全部じゃないけれど・・・・・・花嫁さんの髪には、こういう鼈甲のを幾つか飾るんじゃないかしら。ほら、こんな感じの・・・・・・」
ふたりはしゃがみこんで、床に落ちたかんざしを拾っていったが―――急に、燕の声が途切れた。

不自然に黙りこんだ燕に、弥彦は怪訝そうに彼女の顔を覗きこむ。と、燕の目のあたりから、すっと血の気がひいて、顔色が白くなった。

「燕?」
弥彦は眉をひそめて、燕の落とした視線を追い―――息を呑む。



床に散らばった幾つものかんざし。
その中の、鶴をかたどった鼈甲のかんざしの羽が、折れている。



「あ、こっちも・・・・・・」
対になっているのであろうか、鶴のかんざしは二つあり、その両方ともが羽が折れてしまっていた。落ちた拍子に床にぶつかった所為か、二羽の鶴はどちらも片翼が、付け根のところからぱきりと折れて、身体と離ればなれになってしまっている。

「どうしよう・・・・・・薫さんのかんざしが・・・・・・」
燕の声が、潤んで震える。弥彦は、一瞬の躊躇ののち、再び手を動かしてかんざしを拾いはじめた。
「まずはこれ拾って、謝りに行こうぜ」
「え?」
「心配するなって。ぼーっと歩いてた俺が、勝手にお前にぶつかったんだ。そう言えば薫もそこまで怒らねーよ」
まあ俺は拳固の二、三発は食らうだろうが、それに関しては慣れている。燕が怒られるよりそっちのほうがいいだろう―――と思ったのだが、燕は首をぶんぶんと横にふった。
「だめだよそんなの!だいたい、かんざしを落としちゃったのはわたしなんだし・・・・・・それに・・・・・・」
ふわりと、燕の目に涙が浮かび、弥彦はどきりとする。

「・・・・・・どうしよう、せっかくのお祝いの日なのに、薫さんを悲しませちゃう
・・・・・・」
声を詰まらせて、燕は俯く。ぽたり、と。涙がひとつぶ、握った手の甲に落ちた。
こいつの泣き顔を見るのは久しぶりだな、と弥彦は思った。たしか、最後に見たのは死んだと思っていた薫が帰ってきたときで、そのときの涙は喜びの涙だったのだが―――


弥彦は、残りのかんざしをすべて拾い集めて、箱におさめた。
そして、心を決めた。


「じゃあ、謝るのはやめよう」
え?と、燕が目を見開く。
「っていうか、謝るのは祝言が終わってからにしよう。せっかくの祝言に、水を差したくないんだろ?」

燕の気持ちは、弥彦にも理解できた。
今日、晴れの日を迎える薫。彼女は剣心と出逢ってから、様々な、本当に様々な出来事を経て今日を迎えたのだ。
別れを告げられて、辛すぎる過去を突きつけられて、理不尽に引き離されて―――そんな、幾つもの困難を乗り越えて、ようやく彼らは一緒になれたのだ。剣心も薫も、今日を迎えたことがどれほど嬉しいことだろう。どれほど、この日を待ちわびたことだろう。

そんなふたりの記念すべき日は、徹頭徹尾幸せであるべきなのだ。
そこに悲しい要素が混じることなど―――あってはならないのだ。




「で、でも・・・・・・どうするの?かんざしが壊れたこと、黙っているわけにはいかないでしょ?」
おろおろと混乱する燕の頭の上に、ぽん、と弥彦は手を置いた。
「まぁ・・・・・・上手くいくかはわからねーけど、やるだけやってみようぜ」





彼には、何か考えがあるらしい。
燕はひとまず滲んだ涙をぬぐって、弥彦の話を聞くことにした。









2 へ続く