ぱっと咲いて、ぱっと散る。だからこそ桜は美しい―――らしい。


その儚さを、昔の歌人はひとの一生に喩えたのだとか。
曰く、限りがあるからこそ、ひとは真摯に生きることができる。短くも懸命に燃えた命は美しい。永遠でないからこそ、花は、命は美しいのだ―――と。

だから、旅空の下で桜を見る度、切なくなった。
人の命がどれだけ儚いものかなんて、わざわざ桜になぞらえなくても、嫌というほど知っているのに。







桜かぞえて







「そろそろ、交代しようか」


家を出てから何度も繰り返された申し出を、薫は「じゃあ、お願い」とありがたく受ける。
陽をあびて乾いた道の真ん中で立ち止まり、剣心はすっかり慣れた手つきで剣路を薫から抱き取った。代わりに薫は、彼が持つ風呂敷包みを受け取る。
中身は、剣心お手製の牡丹餅だ。

「あらまぁ、元気いっぱいだこと」
向こうから歩いてきた、おそらくは花見帰りの一団の婦人が目を細める。剣心の腕の中、頭上の桜を掴もうとして一所懸命のびあがる剣路を見てのことだった。
「ほーら、届くでござるかな」
桜並木の下、剣心は小さな身体をぐんと持ち上げた。鼻先に迫る薄紅の花の群に、剣路がきゃーと歓声をあげた。



今日は神谷道場の門下生やその家族たち、他道場の剣術青年たちも集まっての花見の会である。時間は午後をまわったところだが、昼間から場所取りと称して一足早く会場に集まっている、弥彦をはじめとした面々は、そろそろ出来上がっている頃合いかもしれない。
一方の緋村家は、小さな子供連れということでのんびり会場にむかうことになった。産まれて半年を過ぎた剣路はすくすくと成長を続けており、ずいぶんと体重も重くなったのを、剣心は薫とかわるがわる抱っこしながら歩く。花見日和のうららかな日差しの下、剣路は両親の腕に機嫌よくおさまっていた。

「・・・・・・ねえ、覚えてる?去年は、剣路がお腹にいるときに、ここの桜を見たのよね」
「ああ、勿論でござるよ。拙者がすべって転んだことも覚えているでござる」
その返答に「そうだったわね」と薫は笑い、そして「なんだか、不思議な感じ」としみじみ呟いた。
「あの時、お腹の中から蹴っていたこの子と、今は一緒に桜を見ているんだから・・・・・・なんだか不思議だわ」

薫の言葉に、剣心も「うん、不思議でござるな」としみじみ言った。
君の「不思議」とは、少々意味合いが違うけれど、と。心の中で付け加えながら。


我が子を腕に抱いて、大好きなひとと並んで、桜を見ているなんて―――なんとも不思議だ。
だって、自分の人生において、こんな幸せな時間を送れるときが来るなんて。そんなこと、数年前の俺にはまるで想像できなかった。


「一緒に桜の季節を迎えるのは、四度目でござるな」
「そうね・・・・・・もうわたしたち、夫婦でいる時間のほうが、だいぶ長くなったわね」
薫がうふふとくすぐったそうに笑い、それに道の先からの「遅せーよ!」という叫びが重なる。声の主は、弥彦だ。
「遅くないわよー。最初から、ゆっくり向かうって言ってたでしょう?」
「いいから牡丹餅!早く出せよー」
「わかったから、まずはみんなに挨拶くらいさせて!」

花見の会場に到着した剣心たちを、待ちかねたと皆が迎える。さぁ座って座ってと勧められ、花筵に落ち着いた途端、さぁ飲んで飲んでと杯を持たされる。
晴れ渡った水色の空と、それを覆い尽くすように、頭上に広がる薄紅の花。
そこに集うひとたちは、みな例外なく笑顔で―――剣心は頬を緩めた。






旅空の下で桜を見る度、切なくなったあの頃。
でも、今はもう、そうは思わない。



ぱっと咲いて、ぱっと散る。その刹那の美しさは、たしかに儚いといえよう。
けれど、桜の命はそれで尽きるわけではない。春に華やかに街を野山を彩り、緑深まる夏と木枯しの秋と凍てつく冬を越え、めぐる季節を逞しく生き、花の命は続くのだ。

流れる時に絶えず移りゆくひとの世も、やはり儚いものかもしれない。
けれど、「永遠」は確かに存在するのだ。
それは、とても得難くて幸運なものだけれど―――たとえば、君に捧げるこの想いがそうだ。


きっとこの想いは、何度春を重ねても、幾度一緒に桜の季節を迎えても、消えることなどないから。
それどころか、時が流れるとともにもっと想いは深くなるだろうから。

何十回と、君とともに桜の季節を過ごして、やがて互いが天に召されても。いつか再び生を受けたとき、俺は改めて永遠を知るのだろう。
だって、きっと俺は次の一生でも君を捜して君を見つけて、この想いを君に捧げるだろうから。







「・・・・・・ちょっと、酔ってる?」


注がれるままに杯を重ねている剣心の肩を、つん、と薫は指でつついた。その膝の上では剣路がうとうとしている。
「ん?別にそうでもないでござるが・・・・・・」
「そう?それにしては、さっきからほっぺたが緩みっぱなしなんだけど」
えい、と頬を指でつままれて、剣心は「おろ−」と情けない声をあげる。
「・・・・・・ちょっと、楽しい想像をしていたからかな」
「楽しいって、どんな?」

この先、君と過ごす時間と、その遙か先の次の人生のことを考えて―――なんて言ったら、やっぱり酔っていると思われるだろうか。
いや、こんな壮大な「楽しい想像」をしてしまったのは、実際、花見酒に心地よく酔っているからかもしれない。


「・・・・・・花が散る前に、三人でもう一度花見をしたいな、と。そう思ったんでござるよ」
それも実際、考えていたことではあるし。それに大意は違っていないだろう。そう思いながら剣心が答えると、薫はぱっと顔を輝かせた。
「賛成!わたしも、ちょっとそう思っていたの」

嬉しいなぁ、と笑う薫の肩越しに、花が揺れる。ああ、なんて綺麗な光景だろう、と。剣心は目を細めた。
頬に触れたい髪を撫でたい口づけたい、とも思ってしまったけれど、今それをしたら真っ赤になった君にひっぱたかれる事は必至で―――だから、それは次の家族水入らずでの花見にとっておくことにしよう。


「剣心、やっぱりゆるんでる」
そう言って、もう一度頬をひっぱる薫もやはり笑顔で、剣心は「嬉しいのだから、仕方ないよ」と素直に答えた。






桜もひとも、儚いながらも逞しい。
辛い季節を越えて、また歩き出せるのだから。悲しい涙を越えて、また笑えるのだから。

幾つもの桜を数えて、春を過ごして時を越えて―――
ずっと、ずっときみの笑顔といっしょにいよう。




春空の下、人々が笑いさざめくなか、風は暖かく流れる。
散り始めの花びらを髪に飾って笑う君は、美しいだろうな、と。そう思いながら剣心は、再び杯に口をつけた。












(了)


モドル。