「おっはよーございまーす!」
台所に、賑やかな声が響いた。
「おはようございます」
「おはよう操ちゃん」
「ふたりとも早いなぁ・・・・・・ってゆーか薫さん! 今日くらいゆっくり寝てればいいのにー!」
剣心と薫のふたりが京都から帰ってきたのは、つい昨日のこと。
まだ疲れていて当然だろうに、薫は普段どおりの様子で燕と一緒に台所に立っていた。
「だいじょーぶ大丈夫、昨夜はちゃんと寝んだし、燕ちゃんももう起きてたし」
「あたしも手伝うよー、出遅れちゃったけど」
「ありがとう、じゃあ、お膳出してもらえる?」
「りょーかい・・・・・・って、んーと、今朝って左之助はいるんだっけ?」
「左之助さんなら、昨夜は長屋に帰りましたよ」
「それじゃあ今朝は蒼紫様とあたしと、薫さんと緋村と、燕ちゃんと弥彦と・・・・・・」
六人分の膳と食器を用意していた操が、ふと手を止める。
黙りこんだ操に、燕が首を傾げて訊いた。
「どうかしましたか? 操さん」
「いや、この組み合わせって」
操は何故か心持ち頬を赤らめながら、薫と燕の顔を順に見比べる。
「・・・・・・夫婦が三組、みたいだなって」
一瞬、沈黙が降りる。
僅かに間をおいて、薫と燕の顔が真っ赤に染まった。
「きゃー! ややややだ操ちゃん何言ってるのー!」
「そっ、そうですよー! だって、その、わたしは別に弥彦くんとはそんな・・・・・・」
きゃーきゃーと二人はそろって悲鳴をあげ、問題の発言をぶちかました当の本人である操も、負けないくらい顔を赤くする。
「いやいやいや、ごめん思いついて言ってみたものの今のは恥ずかしかった! ってゆーかあたしの願望が入りすぎてた!」
ばたばたばたとやたらに顔の前で手をふりながら、ついでに首も横に振る。と、その動作を突然ぴたりと止めて、操は薫の顔を斜め下からぐいんとねめ
つけた。
「・・・・・・でも、薫さんはもう確定じゃん」
「え!?」
「あ、うんうんっ、わたしもそう思いますっ!」
「や、やだ、うそうそっ! わたしたち、そんな、まだ・・・・・・!」
「朝っぱらから賑やかだなー」
「「「きゃあああああああっ!」」」
突然割って入った弥彦の声に、娘三人はそろって悲鳴をあげる。
「な、なんだよお前ら驚きすぎだろっ?!」
「あ、あらやだ弥彦、おはよう」
三人の、特に燕の顔が赤いのを不思議に思いつつも、弥彦は「おはよう」の挨拶を返した。
「聞こえやしないと思うけど・・・・・・剣心まだ起きてきてねーから、あんまりうるさくすんなよ」
「え、何、緋村まだ寝てるの」
「わかんねーけど、居間には来てねーぞ? ちなみに蒼紫は起きてる」
いつも早起きの剣心が一番遅いのは珍しいことだった。
しかし、まだ怪我が治りきっていない上での長旅だったのだから、無理もないことかもしれない―――と、薫はそう考えつつ前掛けを外した。
「ちょっと様子見てくるわね。ここ、お願いしちゃってもいい?」
「まかせといてー!」
台所を後にする薫の背中を見送りながら、燕はほぅとため息をつく。
「やっぱり、確定ですよね」
「でなきゃ緋村、男じゃないわ」
女性陣がうんうん頷きあう意味がわからず、弥彦は首をひねりながら「腹、減ったんだけど」とつぶやいた。
★
剣心の部屋の前で、薫は中を窺うように耳をすませた。
静かだ。襖の向こう、起きている気配はない。
音を立てないよう気をつけながら、そろそろと襖を動かす。
薫はわずかに開けた隙間を抜けるようにして、するりと中へと身を滑らせた。
部屋の真ん中に敷かれた布団のなかで、剣心は襖のほうに顔を向ける姿勢で横になっている。
―――まだ、眠ってたんだ。
そっと歩み寄り、枕元に膝をつく。
―――疲れたんだろうな。無理もないわよね。
薫は閉じられた剣心の瞼を眺めながら、ふと昨日までの道行きと、京都での出来事を思い返してみた。
京都に着いて、巴さんのお墓参りをして―――そういえば、あの簪は、誰が供えてくれたのかしら?
手を引かれて歩いて、街並みがとてもきれいで。
思いがけず、夜は剣心と同じお部屋で。それが原因で、まぁ、いろいろあって。
抱きしめられて、初めて、口づけられて―――
また顔が火照ってきそうになって、薫は慌てて記憶を辿るのを中断した。
まだ、起きる様子はない。
無理に起こすのもかわいそうだ。もう暫く寝かせておいて、みんなには先に朝ごはんを食べてしまってもらおう。
そう考えて、腰を浮かしかけたとき。素早く手首を掴まれた。
「・・・・・・え!?」
ぐっ、と力をこめて引っぱられて、薫の身体が前にのめる。
そのまま下から剣心の腕が絡みつく。
「きゃ・・・・・・!」
何が起きたのか、咄嗟には理解できなかった。反射的に閉じた目を開くと、すぐ近くに剣心の顔があった。
薫は、自分が引き倒されて、彼の横に並んで倒れこむ格好になっていることを、少し遅れて認識する。
「おはよう」
寝起きにしてはいやにはっきりした声に、薫は顔をしかめた。
「・・・・・・ちょっと、 いつから起きていたの?」
「薫殿が入ってきたときから」
「寝たふりすることないでしょう・・・・・・」
「いや、寝込みを襲ってくれないかなぁと思っていたのだが待ちくたびれてしまって・・・・・・だからこちらから襲ってみたでござる」
ぼっ、と薫の顔に血がのぼる。
こういう種類の言葉を剣心が口にするようになったのも、この度の京都のことがあってからだ。それに対し、何か苦情を訴えようと薫は口を開閉させた
が、結局適切な言葉は浮かばなかった。いかんせん、こういう事を言われるのには、慣れていない。
至近距離で絡まる視線から逃れるように目を伏せた薫は、せめてこのくらいは言ってやらなくちゃと思い―――
小さく、「・・・・・・ばか」と呟いた。
そして、その一言は射った矢が的を貫くように、剣心に深々と刺さりこんだ。
つまるところ―――めちゃくちゃ可愛かった。
「・・・・・・薫殿」
「え?」
「ごめん」
「きゃあ!」
怪我をしていないほうの腕で抱き寄せられ、口づけられる。
まだ、慣れないその感触に、薫の肩が慄えた。
「っ・・・・・・や、やだっ・・・・・・」
押しつけられて、離れて。強く、弱く、触れるだけの接吻。
しかしそれを何度も何度も繰り返されて、薫は息苦しさと過剰なくらいの幸福感に、くらくらと眩暈に襲われる。
「ねぇ、みんな朝ご飯、待って・・・・・・」
「もう少し」
「け、怪我が治るまでは何もしないって言ってたじゃないっ!」
「こんなの、何かするうちに入らないでござるよ」
「・・・・・・っ、馬鹿ぁ・・・・・・」
可愛らしい悪態は剣心を煽るばかりで、なかなか離してもらえない。
薫は観念して、力を抜いて身を委ねる。
朝食のことは、いつか頭の中から消えていた。
★
「二人分、少ないのでは」
並んだ膳を目で数えた蒼紫がぼそりと呟く。
「あ、いいのいいの。確定組は後程さしむかいで食べることになりそうだから」
操の返答は明らかに説明不足だったが、蒼紫はそれで納得したらしく「成程」と頷く。
障子越しにさしこむ陽の光は柔らかで、季節が夏から秋へと移ったことを教えてくれる。
「今日も、いい天気になりそうですね」と、燕が目を細めて微笑んだ。
了。
2013.01.14
モドル。