とかく物騒な今の世の中。部外者が学校に立ち入るのはなかなかに難しい。
        もっとも、生徒の安全の為には、セキュリティ管理はどれだけ厳しくしても厳しすぎるということはないのだけれど。

        しかし自分はこの高校の卒業生で剣道部のOBで、顧問の教諭から後輩に指導をつけてくれと頼まれている立場である。おかげさまで平日の夕方に敷地
        内を歩いているのが教師の目にとまっても、「おお、元気でやってるか?仕事のほうはどうだ?」と、むしろ親しく声をかけられる。
        つくづく、この学校を卒業してよかった、と。尚且つ高校大学と部活で実績を残しておいてよかった頑張っておいてよかったありがとう当時の俺―――と、
        昔の自分に感謝したくなる。
        ともあれ、「今日はこのまま直帰なので、寄らせていただきました」と如才なく答えておいたが、実のところ部活の指導に顔を出したわけではない。



        君に会って謝りたい。ただそれだけが目的だった。







     そばかす  剣心ver.








        戸の隙間からこっそり道場の中を覗くと、残っているのは君ひとり。既に他の部員たちは帰ってしまったようで、今度はその幸運に「神様ありがとう」と頭を
        下げたい気持ちになる。

        防具をつけず、制服の短いスカートのまま、君はひとりで素振りをしていた。
        上げ下ろしする腕越しにちらりちらりと見える顔は、怒っているようで、すこし悲しんでいるようにも見えた。


        俺との喧嘩が原因かな、と思う。
        胸が痛んだが、それと同時に「今この瞬間も俺のことを考えてくれているんだろうか」と思ったら嬉しくて。そしてそう思ってしまった自分に「それは彼女に
        対して失礼だろう」と突っ込みを入れ、即座に反省する。

        失礼といえば、稽古をこっそり覗き見るのも(楽しいけれど)失礼だと思い、足音をたてないよう注意しつつ戸から離れる。
        冬の陽がかたむくのは早くて、既にあたりは暗くなっている。だんだんと気温も下がってきていることだろう。手に提げた袋の中の牛丼も、とっくに冷たくな
        っているかもしれない。
        ついでに革靴のなかのつま先や北風に吹かれている鼻の頭も、どんどん冷たくなっていくのがわかる。
        しかし、こうして寒さを味わうことも、君を傷つけたことに対する罰だとしたら―――それならば、喜んで受けよう。いやむしろこんなのが罰だとしたら、あま
        りに軽すぎる刑だろうけれど。





        反省と、君を想うことで時間を潰していたら、やがて道場の扉が開いた。
        現れた君は、俺の姿にまず目を丸くして―――次いで、牛丼のにおいに反応したのだろうか、お腹を盛大にぐうっと鳴らした。

        うっかり笑ってしまいそうになり、慌てて表情を引き締める。
        君は顔をくしゃっとさせてとびきり可愛く笑ったかと思うと、俺がそれに見惚れる時間も与えないくらいの速さで駆け寄ってきて、飛びつくようにして抱きつ
        いてきた。


        一瞬、寒さもここが学校であることも、何もかも忘れた。









        「特盛りにしておいたから」と言って、公園のベンチに座った君に、牛丼をうやうやしく手渡す。
        「この前、焼肉屋さんで笑ったくせに」と、口許に悪戯っぽい笑みを乗せて、君は受け取る。

        「違うよ、あれは―――薫の、ああやって美味しそうに沢山食べるところが好きだなぁと思って、嬉しくなって笑ったんだよ」
        あの時、照れくさくて素直に言えなかった台詞を、今度はちゃんと口にする。
        君は真っ赤になって、「・・・・・・ありがとう」と蚊の鳴くような声で返す。


        「いずれにしても、ごめん。嫌な思いをさせて」
        「わたしこそ、ごめんなさい。あんなに怒ることなかったわよね」
        「・・・・・・許してくれる?」
        「牛丼、特盛りだったから許すわ」
        そう、笑って。君は「いただきます」と箸をとった。
        すっかり冷たくなってしまった牛丼を美味しそうに食べている君を見ていたら、ああ可愛いなぁ好きだなぁ抱きしめてキスしたいなぁ・・・・・・等々、様々な感
        情がぶわっと勢い込んで溢れてきて苦しくなった。

        「剣心、食べないの?」
        「・・・・・・うん、ああ、いただきます」
        このまま君を眺めていたら、そんな様々な気持ちをそのまま口に出してしまいそうで。更には実行に移してしまいかねなくて―――これは危険だと思い、
        視線を手元の牛丼へと落とす。


        「でも、謝ろうと思っていたなら、すぐに電話してくれればよかったのに」
        「いや、ちゃんと顔を見て言いたかったし。それに、サプライズのほうが許してくれる確率が上がるかと思って」
        「サプライズ、ねぇ」
        確かに成功はしたけれどね、と。君は牛丼を頬張りながらくすくす笑う。
        ―――まぁ、あまり上等なサプライズではなかったと、自分でもわかっている、けれど。

        「今度仕掛けるときは、薫がもっともっと驚くような、凄いのを仕掛けるから」
        「はい、期待してます」
        何度もしつこく繰り返してすみません、でもおどけたようにそう言って俺に向ける笑顔が実に可愛くて。可愛くてとにかく可愛くてもう可愛いとしか言いよう
        がなくて―――「来年までは我慢しよう」と心に決めている台詞を、うっかり口にしてしまいそうになる。これは本当に、危険だ。




        君が卒業するまで、あと一年。卒業式のその当日に、君に結婚を申し込む。
        それは今から計画している―――プロポーズと言う名のサプライズ。




        「ごちそうさまでした!」
        特盛りをきれいにたいらげて満足そうな君の横顔を眺めながら、俺は来年の春に思いを馳せる。

        門出の日、牛丼ではなく指輪と花束を携えて、君のもとへと駆けつけよう。
        願わくば、どうか君が最高の笑顔で喜んでくれますように。











        了。






                                                                                         2016.01.18






        モドル。


        
「そばかす」薫ちゃん視点はこちらをどうぞ。