スノースマイル










        冷え込む日が数日続いた後、東京の街に雪が降った。



        いつものように神谷道場にやってきた門下生たち―――特に少年少女たちは大はしゃぎで、稽古中は常よりもどこか浮かれた雰囲気が漂ったが、薫は
        あえて彼らを諫めはしなかった。何故なら、はしゃぎたい気持ちは自分も同じだったからだ。

        午後になっても雪は降り止まず、白一色に染まった道場の庭では、剣路が稽古を終えた弥彦と一緒に、雪の中を転げ回っている。
        赤い綿入れを羽織った薫は雨戸を開けてその前に座り込み、彼らが仔犬のように雪だらけになって遊ぶのを眺めていた。しかしその表情は、「我が子を
        微笑ましく見つめている」というよりは、「憮然として拗ねた目を向けている」という顔である。


        「薫殿、冷やすと身体に障るでござるよ」
        「わかってるわよー」
        後ろから剣心に注意され、薫は渋々といった様子で腰を上げる。その動作は平素よりゆっくりと注意深かったが、それは無理もないことだった。
        ふっくらと目立つ、お腹のふくらみ。二人目の産み月はもう間近だ。


        薫が居間にひっこむのを見届けてから、剣心は「あるもの」を弥彦と剣路に渡すため、庭に降りた。








        座布団に腰を下ろしながら、薫はため息をつく。
        「不機嫌そうでござるなぁ」
        「ゆきだるまー・・・・・・」
        恨めしい声に、剣心は苦笑する。
        「雪合戦もしたかったし、雪の中にばふーっと倒れ込んで人型つくったり・・・・・・」
        「てきめんに冷えるでござるよ」
        「かまくらー・・・・・・」
        「いや、さすがにそれは無理でござろう」

        せっかく雪が積もったのに、表で剣路たちと遊べないのがよほど残念なのだろう。意気消沈、というふうに眉が下がってしまっている。
        子供をひとり産んだとはいえ、時折こんなふうに、娘らしい顔を見せる妻。そんなところが可愛らしくて、剣心は口許をほころばせた。


        「そんなに嘆かずとも、冬は毎年やってくるでござるよ。次の冬は、お腹の子も一緒に雪を見られるでござろう?」
        「・・・・・・そうよね!」
        薫の顔がとたんに輝く。
        「でも、次の冬だと、まだこの子は雪遊びには早いかしらね」
        「そうでござるなぁ。その頃には、ようやく歩けるかどうかでござろうか」
        言いながら、剣心の目線の先は薫の帯のあたりにあった。お腹の子に問いかけているような口ぶりにくすくすと笑いながら、薫は彼の手を取る。そのま
        ま、お腹のほうへと導いた。

        「剣路は、弟と妹、どっちがいいと?」
        「よくわかっていないみたい。この中に赤ちゃんが入っているって言っても、不思議そうにしているものね」


        手のひらから、暖かさが伝わってくる。
        それは薫と―――彼女に宿る、新しい命の体温。



        「かあちゃー!」
        小さな足音とともに、剣路が居間に入ってきた。寒さで頬を真っ赤にした彼は、手に小さな盆を持っていた。
        「はい、これー!」と、その盆を薫に向かって差し出す。


        その上にいたのは、白い身体に南天の赤い目、ゆずりはの長い耳をはやした―――雪うさぎである。


        「わぁ!可愛い!」
        薫は瞳を輝かせて、雪うさぎを受け取った。
        「わたしに作ってくれたの?ありがとう!」
        頭をくしゃくしゃ撫でられた剣路は、きゃーと声をあげて母親の膝に飛びついた。

        「上手に作ったわねー。でも、よく雪うさぎなんて知ってたわね?弥彦に教えてもらったの?」
        「んーん」
        剣路は薫の膝にしがみついたまま、ふるふると首を横に振る。
        「とーちゃが、かーちゃにつくってあげなさいって!」
        「まあ、手伝ってやったのは俺だけどなー」
        遅れて居間に来た弥彦も、剣路と同様に頬を真っ赤にしていた。今や頼れる師範代となった彼も、今日のところは雪遊びに興じる子供に戻ってしまった
        らしい。
        「お母さんが雪遊びができなくてかわいそうだから、作ってやれってさ。なー剣路」
        「そうなの、お父さんが・・・・・・」
        薫は剣心のほうに首をめぐらせ、ふわりと頬をほころばせる。


        「ありがとう、剣心」


        剣心が照れくさそうに微笑むのを見て、薫も笑顔になる。
        彼が一番好きな、きらきらと光があふれるような、まぶしい笑顔。


        「次の冬が楽しみね。きっと今年の冬より、もっと賑やかでもっと楽しいわ」
        よいしょと立ち上がった薫は、剣路の小さな手をとる。
        「ふたりとも寒かったでしょ?お汁粉と甘酒があるから、温めてきましょうね」
        剣路と弥彦が歓声をあげた。ふたりを促して台所にむかう薫の背中を見送ってから、剣心は雪うさぎに視線を移した。


        赤い目に緑の耳、ただそれだけのうさぎの顔が、何故か笑っているように見えるのは、今の自分の気持ちの所為だろうか。


        冬は嫌いだった。かつて愛したひとを永遠に失った季節だから。
        雪を見ると胸が疼いた。あの時も、雪が降っていたから。



        でも、今はとても自然に、とても素直に―――冬が来るのを待ち遠しく思える。



        凍てつく空気に赤く染まる頬が、雪のひとひらを融かす指先の体温が、生きている喜びを実感させてくれる。
        寒さを言い訳に触れあって抱きしめあって、愛するひととぬくもりを分け合える幸せに、胸がふるえる。

        降る雪にはしゃいで、真っ赤な頬で笑う剣路と。我が子から贈られた雪うさぎに、優しく目を細める薫と。
        冬は、こんなにあたたかな笑顔を連れてくる季節だということを、今はもう、ちゃんと知っているから。


        そして―――自分をこんなふうに変えてくれたのは、薫と、彼女が授けてくれた剣路だ。



        「・・・・・・ありがとう、は、こっちの台詞でござるよ」



        きっと次の冬も、その先の冬も思い出すことだろう。
        大雪が街を白一色に染めた頃、自分が父親になったと告げられたことを。あるいは、今日剣路がはじめて作った雪うさぎのことを。

        そうやって、幸せな冬の思い出は、年を重ねる毎に増えてゆく。
        やわらかな雪が、ふわりふわりとやさしく降り積もるように。






        耳をすますと、楽しげな笑い声が台所のほうから聞こえてくる。
        次の冬がもっと幸せな季節であることを祈りながら、剣心は居間に近づいてくる足音に耳を傾けた。












        了。








                                                                                          2018.01.27






        モドル。