無限抱擁
ちいさな手をとって、引き寄せる。
君は自分の手を「竹刀だこだらけで恥ずかしい」と言うけれど、決してそんなことはなくて。手の甲なんて白くてすべすべで握るとふわふわやわらかくて、触れているととても気持ちいい。
引き寄せたまま、抱きしめる。
男性としては、恵まれた体躯に生まれてこられなかったことを残念に思うことは度々あるが、君をぎゅっとするのにちょうどいい肩幅や膂力は授かれたことに関しては、神に感謝したい。
抱きしめると君はやわらかくて、着物越しでもそれは充分に感じられて。あたたかくて、いい香りがして、ぴったり身体をくっつけあっていると、このうえなく幸せな気持ちになれる。
時折、髪を撫でて耳の後ろをくすぐってみる。君の唇からくすくすと笑い声がこぼれて息づかいを感じて、ああもうずっとこうしていられたらいいのにと思う。
許されることなら、このまま何時間でも、何日でも。
そんな幸せな体勢をとっていたのだが―――ふいに、君からの「ね、ちょっと離して?」との言葉によって、腕をほどかれた。
「ねぇ、交代してもいい?」
「交代?」
「そう、ちょっと頭下げてて」
君の言葉に従ったとたん、視界にあふれる淡い桃色。君の、着物の色だ。
きゅっと巻きついた腕に頭を抱き寄せられて、ふわりと、胸に顔が押しつけられる。
あ。
うわ、これは。
・・・・・・どうしよう。
控え目に言って、これはものすごく気持ちいい。
「・・・・・・薫殿」
「はい?」
「その、交代って・・・・・・?」
「ほら、剣心いつもわたしの事こうやって、ぎゅーってしてくれるでしょう?」
「うん」
「いつも抱きしめてもらっているから、たまにはわたしが抱きしめてあげたいな、って思ったの」
・・・・・・ああ、なるほど。そういうわけだから「交代」なのか。
しかし、これは、何と言ったらいいのか―――
「薫殿」
「はい?」
「困ったでござる」
「え、何が?」
「気持ちよすぎて、ずっとこうしていてほしくなる」
困惑気味にそう言うと、君はころころと笑った。
いやだって、ついさっき君を抱きしめながらこのまま何時間でも何日でもこうしていたいと思ったばかりなのに、一瞬にして正反対のことを考えてしまうなんて、参ったな。
「わたしだって、いつもそう思っているのよ?ぎゅってしてもらえるのが嬉しくて気持ちいいから、剣心にも同じように感じてほしかったの」
時々はわたしからぎゅってしてもいい?と聞かれて、そんなのは勿論大歓迎だと首肯した。しかし、そう考えると―――
「拙者たちの間に生まれる子供が、うらやましいでござるな」
「え、なぁに突然?」
「こんなふうに、いつも薫殿に抱っこしてもらえるのだから」
まだ子供を授かってはいないけれど(はやく授かるといいなと思っているけれど)、勿論授かったら、俺も率先して抱っこして世話をするつもりでいるけれど。
とはいえ、それでも世間一般の家庭の様子を見るに、幼子は母親の腕をより好むものだろうし。そう考えると、存分に薫に甘えることができるであろう未来の我が子がうらやましい。こんな風に考えてしまうのは、父親失格だろうか―――いやまだ父親にはなっていないけれど。
そんな益体もない発言に、君は呆れるわけでもなく、「そうねぇ」と言って背中をぽんぽんと叩いてくれた。それこそ、母親が甘えん坊の子供をあやすように。
「でも、子供はいつか巣立つものでしょう?でも、あなたとわたしは夫婦だから、その後もずーっとこうしていられるわ」
あ。
ああ、確かに。
言われてみればそのとおりだ。
でも、そうなると―――
「・・・・・・薫殿」
「はい?」
「今、生まれてはじめて、『長生きしたい』と思ったでござるよ」
思ったことを素直に口にしたのだが、その発言に君は「はじめて?!」と色をなす。
「はじめて思ったの?!ちょっと、そういうことはもっと早く思ってよ!せめてわたしと結婚したときにとか!」
「いや、拙者は『薫殿に長生きしてほしい』とはいつも思っているでござるよ?」
「わたしだけ長生きしてもしょうがないでしょー!」
「・・・・・・本当に、そのとおりでござるなぁ」
「すまない」と謝罪をすると、「罰として、交代しなさい」と命じられた。それは、あまり罰になっていない気もしないでもないが。
君が腕を解いて、今度は俺が腕をのばす。いつものように、君をぎゅっと抱きしめる。
「これで、許してくれるでござるか?」
「仕方ないわねぇ」
重なった頬が、やわらかくてあたたかい。
くすぐったそうにうふふと笑う気配が伝わってきて―――ああ、よかった。許して貰えたようだ。
うん、やはりこうして俺から君を抱きしめるのも、気持ちいい。
この先、生きていればいろいろと辛いことや面倒なことにぶつかったりもするのだろうけれど、君とこうして触れあうひとときの幸福を思うと、そういう「人生の困難」なんて易々と乗り越えていけそうな気がする。
抱きしめて抱きしめられて、しあわせな永い瞬間をいくつも重ねて繰り返して。そうしているうちにあっという間に年をとって、気がつくと「ああもうこんなに長い時間一緒にいたんだなぁ」とふたりで笑い合うような―――
君となら、そんな人生を送れるような気がする。
いや―――そんな人生を送るんだ。君と、一緒に。
「薫殿」
「はい」
「好きでござるよ」
そんなこととっくの昔に君は知っているだろうけれど、今この瞬間にふさわしい言葉は他に見つからなかったので、口に出して言ってみた。
「・・・・・・剣心」
「うん」
「嬉しいから、交代!」
何時間でも何日でも、ずっと君とこうしていられたら。
そう願ったのはつい先程のことだったけれど―――このまま繰り返していたら、願いは本当に叶ってしまうかもしれない。
優しい腕に抱きしめられながら、そう思った。
了 or endless・・・・・・
モドル