酩酊バラドクス




     

お酒の席において「酔っていない」としきりに主張する人こと、実際は酔っぱらっているものだ・・・・・・と、思う。
現にいま、左之助を相手にくだを巻いている弥彦は、しきりに「酔っていない」と繰り返しているけれど明らかに呂律がおかしくなっているし。でも。






「・・・・・・剣心、酔ってるの?」



隣にいる剣心に、訊いてみる。
「酔っていないでござるよ」
・・・・・・と、いうことは、酔っぱらっていると判断していいのかしら。
確かに、酔ってでもいない限り、こんな状況になるわけがない・・・・・・わよね?




剣心が、わたしの肩に頭を預けるようにして身体を傾けて寄り添って、左手はわたしの右手をしっかり握って離そうとしない―――なんていう、現在のこの状況には。

















京都から帰ってきてから連日飽きもせずという感じだけれど、今日も赤べこで宴会が開かれた。
鍋が空になって注文したお酒がなくなって、それでも「飲み足りない」と男性陣が主張するため、酒屋経由で道場に帰り二次会が始まった。

最初はみんなで車座になってわいわい飲んでいたのだけれど、そのうち「ちょっと疲れたなぁ」と思って、わたしは輪から離れて壁に寄りかかった。ひとやすみしながら皆が飲んでいる様子をぼんやり眺めていたら、やがて剣心がふらりと立ち上がった。おや、と思う間もなく彼はこちらに近づき、そして隣に腰をおろす。


・・・・・・剣心?」
「うん」
「あの、大丈夫?」
「ああ・・・・・・ちと飲みすぎたかな」


うん、そうかもしれない。

何故わたしが、彼に「大丈夫なのか」と訊いたのかというと―――剣心が、随分と近い距離に腰をおろしたからだ。

っていうか・・・・・・これ、距離なんてほとんど無いんだけれど。
だって、くっついちゃっているんだもの。


わたしの肩と、彼の肩が。まるで、寄り添うみたいに。


「・・・・・・剣心?」
「うん」
「酔っているの?」
「酔っていないでござるよ」

いかにも、酔っている人がしそうな返答。と、いうことは・・・・・・酔っているのかしら。
じゃないと、明らかにおかしいもの。この距離感は。

「・・・・・・剣心?」
「うん」
「眠いの?」
「ああ、少し」

・・・・・・そっか、眠いんだ。
だからこんなふうに、ぐらっと身体が傾いちゃったんだ。


そして、わたしの肩に、ことんと頭を乗っける姿勢になっちゃったのね。


・・・・・・って、いやいやいや、ちょっと待って!
わたしも今日は飲み過ぎて、今の今までほろ酔いなのを自覚していたんだけれど。
なんだか、その酔いが、一気に醒めてしまったような・・・・・・


「・・・・・・剣、心・・・・・・」
「うん」
「あの・・・・・・くどいようだけれど、酔っているのよね?」
「酔っていないでござるよ」

ああああもう!同じことを繰り返し訊いて、これじゃあわたしのほうが酔っぱらっているみたいじゃないの!
でも、やっぱり剣心こそ酔っている・・・・・・の、よね?だって、そうじゃないとこの手の説明がつかないわ。



ほんのちょっと指と指が触れ合ったと思ったら―――あっという間に捕まえられて、ぎゅっと握られてしまった、この手のの。



ど、どうしようどうしようどうしよう。鼓動が速さを増しているのがわかる。
っていうか、いいのかしら今わたしたちふたりきりじゃないのに、こんなふうになっちゃっていいのかしら・・・・・・

ちらりと視線を動かして、弥彦と左之助のほうを見てみる。ふたりは「飲み比べだ」などと言いながらひたすらに盃を重ねており、こちらの様子にはまだ気づいていない。ひとまず安心して―――ほんの少し首と目線を動かして、肩に寄りかかっている剣心の顔を見る。
眠い、と言っていたとおり、今は彼は目を閉じている。そういえば、こんな近い距離のこんな角度から、剣心の顔を見つめるのは初めてかもしれない。
長い睫毛に、きりりと涼しい眉。ほどよく高く、すっと通った鼻梁に、形のよい唇。改めて、綺麗だなぁと思う。


彼の顔立ちは極めて端正で、つい見とれてしまうくらい繊細で。
でも、こうして間近から見ると、肌の感じとか首の太さとかは、当然男のひとのそれで―――あ、しまった。こんなこと考えていたら、ますますどきどきしてきたかも。

身体つきも細身で小柄なほうだけれど、重なった肩から伝わる感触はがっしりと力強い。なんだろう、「頼もしい」って感じがする。
視線を下に落とすと、繋いだ手が目に入る。沢山のひとを守ってきたその手も、わたしのとは全然違っていて。乾いていてわたしのよりひとまわり大きくて、よく見ると古い傷の痕もいくつか残っている。少し筋張った甲や、指の関節の感じとかも、やっぱり女性のとはまるで違う、男のひとの手で―――


なんてことを考えていたら、きゅ、と。握られた指に、軽く力がこめられた。
おや、と思って。わたしも、きゅ、と。同じ加減の力で握り返してみる。

きゅっ、と。今度はもう少し強い力で握られた。
お返しに、わたしも同じだけ力を強くして、きゅっと。


そんなことを何度か繰り返していたら、しまいには「きゅっ」が「ぎゅー」になって―――そこでわたしは、「ちょっと、痛い」と苦情を申し立てた。


「うん、すまない」
目を開けて詫びる剣心は、そう悪びれた様子もなくて・・・・・・うーん、これはやっぱり、酔っているのかしら?
「起きてたんだ」
「起きてたでござるよ」

とろんとした目でそう答えながらも、剣心はまだわたしの手を離そうとしない。
どきどきするけれど、恥ずかしいけれど、だけと彼にこうされるのは嬉しいに決まっているので、わたしから「離して」なんて言えるわけがない。まぁ、弥彦と左之助が同じ部屋にいることを考えたら、言った方がよいのかもしれないけれど。

―――と、握られたままの手が、すっと持ち上げられた。
少し、わたしの肩から頭を起こした剣心は、繋いだ手を自分の顔の高さまで上げて、しげしげと見つめる。
彼の手の上に乗せられた格好になっている、わたしの手を。



「薫殿の手は、きれいでござるなぁ」



・・・・・・ええと、酔っぱらっているの、確定?
いや、酔っているとしてもそうじゃないとしても、こんなの・・・・・・こんなの、なんて返事をすればいいの!?


「そっ・・・・・・そんなことないわよ。竹刀だこだっていっぱいできてるし、だから・・・・・・」
そう、毎日竹刀を握っているから手のひらの内側が硬くなっていて、それが女の子らしくなくて悩みの種だったりするのだ。もっとも、そんな事を気にするようになったのは、剣心への想いを自覚するようになってからなんだけど。

「でも、指なんてこんなに細くて・・・・・・ほら」

剣心は空いているもう片方の手を、わたしの手に添えた。
彼の指が、手の甲に触れる。そこを伝って指の方へ、ゆっくり線を引くように撫でてゆき―――その感触に、思わず、どきりとする。

「爪が、桜貝みたい。きれいでござるよ」
顔が、急速に熱くなってゆくのがわかる。ううん、顔だけじゃなくて、頭の中も。
どうしよう、きっとわたしの顔、みっともないくらい赤くなっちゃっている。さっきまで飲んでいたお酒でも、ここまで真っ赤にはなっていなかったはず。


慈しむように、わたしの手の上で動く、剣心の指。
ぞくぞくする感じに、胸が苦しくなる。でも、振り払うこともできなくて、ただただされるがままになるしかなくて。


―――と、剣心の首がふと前に倒れて、僅かばかり、手を引かれる。
指先に、彼が触れた。
手ではなく、唇で。


びく、と。思わず肩が大きく震える。
そんなふうに反応してしまったことが恥ずかしくて、真っ赤になったまま固まってしまい、いよいよ動けなくなる。すると、剣心は少し目を上げてわたしの顔を見て、にっこりと笑った。

子供みたいに無防備な笑顔に、引き寄せられそうになる。
指先に触れた唇が、手の甲にも押しつけられた。



「・・・・・・きれい」



触れたまま、甲の上で彼は唇を動かす。
くすぐったい感触に、指が震えそうになる。


「あの・・・・・・剣、心・・・・・・」
どうしたらよいのかわからなくて、掠れそうな声で彼の名前を呼ぶ。剣心は、顔の前から少し手をおろして、じっとわたしの目を覗きこんだ。
ただ、それだけのことで、完璧に「捕まえられてしまった」ように感じるのは、何故だろう。

動けない。逃げられないまま、彼の顔が近づく。
ううん、違う。逃げる必要なんかないんだ。だって、わたしは、あなたのことが―――


明るい色の剣心の髪が、わたしの前髪に触れる。
次にどこに触れられるのかは、考えずとも明白だった。だから、おずおずと瞳を閉じる。
しかし―――



「いっ・・・・・・!」



ごつん、という音に、わたしの声が重なる。
触れ合った、というか勢いよくぶつかり合ったのは、互いの額と額だった。



「いよー、ご両人!飲んでるかー!!!」
大きな声とともに、ずしっとのしかかってくる体重。
その声と重さと、視界に入った酔いつぶれて畳に突っ伏している弥彦の姿に―――何が起きたのかを理解する。

飲み比べの対戦相手が撃沈してしまった左之助は、新たに絡む相手を求めてこちらに侵攻してきたらしい。わたしの横に座ろうとして、酔っているゆえに目測を誤って体当たりをかましてしまい―――その衝撃で、わたしと剣心は額と額をごっつんことぶつけてしまったわけだ。
「んだよー、ふたりして楽しそうじゃねーかよ俺も混ぜてくれよー」
「ち・・・・・・ちょっとちょっと!左之助重い!重いってばどいてー!」
のしかかったままぐいぐい押してくる左之助に辟易して、思わず抗議の悲鳴をあげる。だって左之助と剣心じゃ体重が違うもの、このまま押しつぶされるなんて御免だわ―――なんてことを思っていたら、ぱっとわたしの目の前で、剣心の手がひらめいた。


一瞬の出来事だった。


ぎりぎりで視認できるくらいの速さで左之助の頭をむんずと鷲掴みにした剣心は、そのまま畳に向けてその手を下ろす。
・・・・・・いえ、下ろすというより「叩きつける」と言ったほうがいいのかもしれない。だって、「ごん」って鈍い音が聞こえたもの。


「・・・・・・」
わたしは膝先の畳に沈められた左之助(の、後頭部)を見て、それから剣心の顔を見る。
彼は明らかに、「しまった」という表情をしていた。

幾許かの沈黙が流れ、やがて剣心はぼそりと「おでこ、大丈夫でござるか?」と、呟くような声で訊いてきた。
「あ・・・・・・うん、大丈夫。剣心は?」
「うん、拙者も別に」
「じゃあ、えーと。左之助、大丈夫・・・・・・?」
うつぶせのまま動かないでいる左之助に声をかけてみると、彼はぴくりと肩を動かし、むくっと起き上がった。そしてふらふらと居間の真ん中まで歩くと、力尽きたようにばたっと倒れた。大丈夫じゃないのかしらと思ったけれど、倒れてすぐに大きないびきをかきはじめて寝入ってしまったので、まぁ大丈夫ということにしておこう―――さて。

「しまった」から「ばつの悪そうな」に表情を変化させた剣心は、わたしと視線を合わさないよう、あさっての方向を向いている。
左之助がぶつかってきた拍子に、繋いだ手はほどけてしまっていた。


「・・・・・・剣心」
「うん」
「酔っているの?」
「・・・・・・ああ、酔っているでござる」

先程「酔っていない」と主張したときよりよっぽどしっかりした声音で、剣心はそう言った。確かに、僅かに頬に血は上っているけれど―――それはきっと、お酒の所為ではないと思うのだけれど。


さっきまでの剣心は、本当に酔っていたのかしら。
それとも、酔ったふりをしていたのかしら。

気になることは気になるけれど、なんだかどっちでもよくなってきた。だって―――本人に言ったら気分を害するかもしれないけれど、珍しく、こんな「可愛い」剣心を見ることができたんだもの。
わたしは、くすりと笑って肩をすくめると、そのまま身体を傾けた。さっきとは反対に、剣心の肩にわたしの頭を乗せる。


「・・・・・・薫殿?」
少し、驚きの混じった彼の声。でも、構わずに目を閉じる。
「わたしも、酔っているの」


・・・・・・あれ?こう言ったら「酔っていない」ふうに受け取られてしまうのかしら?まぁ、でも、そんなのもう、どっちでもいいや。
剣心は黙って肩を貸していてくれたけれど、やがて指に彼のそれが触れたのを感じた。もう一度、さっきみたいに手を握られる。

柔らかい体温に、包み込まれる感覚。
まだちょっとどきどきするけれど、このまま目は閉じたままでいよう。



このまま朝まで眠ってしまったら、どんな夢が見られるかしら。
いや、弥彦と左之助に何て言われるかを心配したほうがいいのかもしれないけれど―――
でも、「ふたりとも酔っていたから仕方ない」という事にでもしておけばいいわよね。






そんなことを考えながら、わたしはふいに湧きあがってきた眠気と、そして半身に感じる剣心の優しいぬくもりに、身をゆだねた。










(了)


モドル。