せなかあわせ


 

      



      
 「どう? 財宝は見つかった?」



       寝所の襖を閉めながら、薫は剣心に尋ねた。
       片膝を立てて布団の上に座りこんでいる剣心は、うつむいたまま薫のほうを見ずに答える。
       「まだ。もうすぐ姫たちとは合流できそうでござるが」
       「あ、じゃあ今、戦ってる真っ最中?」
       「うん・・・・・・なかなか厳しい状況でござるな」


       傍から聞くと妙な会話だが、寝間着姿の剣心の手には一冊の本。
       つまり、ふたりが話しているのは本の中の出来事についてだ。


       「あんまり長い時間そうしていると、目に悪いわよ。夜なんだし」
       「ああ、そうでござるな」


       本に視線を落としたまま答える声が明らかに生返事なので、薫は肩をすくめて剣心の背後から手元を覗きこんだ。
       残りの頁はあと僅か、佳境である。
       貸本屋から借りたこの本は薫も先に読んでいるから内容はわかっている。軽い筆致の冒険活劇で、一度読み始めたら止まらなくなるような物語
       だ。ここまで読み進んだのなら、続きは明日にしろと言うのも酷だろう。そう思いながら、薫は膝をついて剣心の顔の横に落ちた髪をすっとまとめ
       て、視界が明るくなるよう背中のほうに流してやる。

       「ん、かたじけない」
       「どういたしまして」
       「先に寝てていいでござるよ」
       「んー」
       緩く編んだ三つ編みの先を弄びながら、薫は首をかしげた。


       ―――まぁ、でも、あと少しで読み終わることだろうし。


       薫は、くるりと回れ右をして、布団の上に腰をおろした。
       ぴたりと、剣心の背中に、自分の背中をくっつける姿勢で。
       軽く、寄りかかる。
       剣心は僅かに一度身じろぎをしただけで、何も言わずに頁を繰っていた。
       薫はくすりと小さく笑って、目を閉じる。


       互いに身につけているのは、薄い寝間着だけ。着慣れた柔らかい生地を通して、ぴったり合わせた背中から、じんわりと体温が伝わってくる。
       自分のそれよりひとまわり大きい剣心の背中はぽかぽかとあたたかくて、正面から抱かれているのとはまた違った安堵感があった。
       しばらく黙ってそうしていると、背中から感じる体温が心地よくて、ふわふわとした眠気が迫ってくる。
       つい、船をこぎそうになると剣心はその気配を察したのか、ぐい、と背を反らして体重をかけてきた。
       「ひゃっ・・・・・・」
       突然のしかかられて、一気に目が覚める。と、剣心は何事もなかったかのように姿勢を戻して、再び読書に戻った。


       ―――先に寝てていいって言ったくせに。


       薫は剣心の子供じみた行為が可笑しくて、また少し笑った。
       時折、かさりと頁をめくる乾いた音。それ以外は、無音の寝室。
       黙って背中を合わせていると、互いの鼓動まで聞こえてきそうな気がする。
       穏やかな静けさにぼんやりと身をおいていた薫は、ふと思いついて口を開いた。


       「ねー」
       「んー?」
       「その主人公の腹心の部下、剣心にちょっと似てない?」
       「え?」
       「剣の達人だし、飄々とした雰囲気とか、出会った頃のあなたみたい」
       「そうでござるかなぁ」

       いまいち身の入らない声が返ってくる。
       けれど薫はそれで満足したらしく、伸び上がるようにして剣心の髪に頭を擦りつけた。
       再び、静寂がおりる。
       剣心はもう一頁めくって数行読み進んだところで、やはりふと思いついたように呟いた。

       「薫殿は」
       「んー?」
       「この姫君とは、あんまり似てないでござるな」
       「えー!?」

       薫は口を尖らせて、紅一点の登場人物・やんごとなき姫君のひととなりを思い返してみる。
       か弱くて、控えめで、しとやかで・・・・・・確かに、これっぽっちも似てはいない。しかしながら。
       「仕方ないじゃない、そのお姫様がおしとやか過ぎるんだもの」
       「まぁ、大抵の女子は薫殿よりしとやかとも言えるが」
       ごすっ、と肘で鋭く脇腹を突かれて、剣心は「うぐっ」と呻き声を漏らした。
       「そんなこと今更言われなくても、わたしが一番わかってますよー、だ」

       今の行為がもう、思い切り淑やかの逆を行っているわけだし。
       子供の頃からずっとじゃじゃ馬だの男勝りだの言われてきて今に至るわけだし。それは自分でも認めているし。
       だけど、認めてはいても改めてそう言われるのは、あまり愉快なことではない。ましてや好きなひとから言われるのは。
       薫はむくれた顔で、自分の膝を抱き寄せた。


       「・・・・・・薫殿は、それでいいんでござるよ」
       少し間をおいて聞こえた背中越しの声に、薫は拗ねたように答える。
       「なぁに? もう直しようがないから諦めろ、って事?」
       「いや、そうではなくて」
       僅かに首を動かして、本から顔を上げる。剣心の髪がさらりと揺れるのを、薫は肩で感じた。



       「拙者はそういう薫殿が好きだから、そのままでいいでござるよ」



       不意打ちだった。
       あまりに何気ない口調だったものだから、一瞬聞き間違えたのかと思った。


       「・・・・・・っ?!」
       薫は慌てて両の手で頬を押さえる。あっという間に熱くなる頬を覆いながら、背中合わせでよかった、と思った。真っ赤になっているだろうこの顔を
       見られるのは、恥ずかしいから。
       「あっ・・・・・・あり・・・・・・がと」
       「うん」
       やっとのことでそう言った薫に対して、剣心の返事は短い。
       明らかに照れ隠しとわかるような、不自然に素っ気ない声。



       ・・・・・・あ、ひょっとして。



       平静を装っているようだけれど、いま剣心も真っ赤になっているんじゃないかしら。
       ああそうか。顔が見えていないから、だから剣心、今みたいな言葉をくれたのかしら。
       背中合わせなら、赤くなった顔を互いに見られないで済むものね。


       嬉しいのと照れくさいのとでゆるんでしまう頬を持て余しながら、薫はもう一度目を閉じる。
       穏やかな沈黙。そして、ぱらり、と頁をめくる音がまた続いて。
       やがて、ぱたん、と本を閉じる音がした。


       「読み終わった?」
       「うん」
       言うなり剣心は後ろに身を倒してきた。ずし、と薫の背中に体重がかかる。
       「やっ?! 剣心っ! 重い! おーもーいー!」
       遠慮なくのしかかってくる剣心を支えきれなくなった薫は、押しつぶされるのは勘弁、とばかりに横に身体を倒して逃れる。そのまま、ころんと布団
       の上に転がると、剣心も読み終えた本を脇に置いて、薫に並んで横になった。今度はちゃんと正面から、互いの顔を見られる姿勢だ。

       「ねえ」
       「うん?」
       「感想は?」

       たった今剣心が読了した本。わくわくするような冒険や息を飲む闘いのシーンがいっぱいで、薫もかなり楽しめた。剣心も気に入ったなら、また同じ
       作者のものを借りてこよう。そう思って訊いたのだが―――



       「うん、やっぱり顔が見えたほうが落ち着くでござるな」



       返ってきた答えは、まったく見当違いのもの。
       それも、嬉しい方向への見当違いだ。
       薫は目を丸くして、そして口元を手で押さえてくつくつと笑い出す。

       「薫殿?」
       剣心は薫が笑う意味がわからず、不思議そうな顔で薫の髪に触れた。
       「わ、わたし・・・・・・本の感想を訊いたつもりだったんだけど」
       「あ」

       しまった、という表情で剣心の顔が固まる。
       みるみるうちに頬に血が上り、「いや、それは、えーと」と意味を成さない呟きを漏らしながら薫の髪を撫でる。いや、本人は撫でているつもりかもし
       れないが、動揺しているせいか実際はわしわしとかき乱すような手つきだ。
       「あん、やだ、ぐちゃぐちゃになっちゃう」
       「っあ、すまな・・・・・・」
       剣心は慌てて離れようとしたが、薫はそっと手を伸ばし彼の頬に触れ、それを制する。


       剣を取らせると誰よりも強くて、わたしよりも人間としてずっと大人で、いつも口でも勝てたためしがなくて、そんな事がちょっと悔しく感じることもある
       けれど。
       けれども時折わたしには、こんなに可愛くて、愛おしい一面も見せてくれる。



       「わたしも、そういう剣心が、とても好き」



       真っ正面からそう告げられて、剣心はまばたきを忘れたようにまじまじと薫を見つめる。
       そして大きく息をつくと、額をこつんと薫のそれに軽くぶつけた。
       「・・・・・・参った」
       「あら? これって何かの勝負だった?」
       「そうではないが・・・・・・なんとなく」


       薫はくすっと笑って、剣心の唇に小さく口づけた。
       背中合わせもあたたかいけれど。大事なことは、ちゃんと目を見て話して欲しい、だから。



        「ねえ、さっきのもう一回聞かせて?」



       観念した、というよりむしろ開き直ったのか。
       甘い声でねだられて、剣心は自分から薫に強く唇を押しつける。
       そしてきっぱりはっきり大きな声で、「好きだ」と言った。













       
モドル。