Bedtime Story




     

「・・・・・・猟師の親子は、すっかり道に迷ってしまいました。日が暮れて夜になって、ますます吹雪はひどくなります。やがて彼等は、壊れかけた山小屋にたどり着きました」



ほの暗い部屋のなか、訥々と剣心の声が流れる。
子供用の布団の隣に肘枕をついて寝転がりながら、もう片方の手で時々、布団の上から剣路のお腹のあたりを撫でてやる。
その剣路は、夢と現の境界線を行ったり来たりしているところで、耳はしっかりと父親の紡ぐ昔話を聞こうとしているのだが、今にもまぶたの上下がくっついてしまいそうだ。

「小さな山小屋を、嵐ががたがたと揺すります。いろりに灯した火も、隙間から吹きつける風に、いつしか消えてしまいました。寒さで動けなくなった二人は、このまま死ぬのだろうか、と思いました」
語る口調はゆっくりと静かで、その調子がますます剣路を眠りの世界へと誘う。
「やがて、猟師の父親のほうは、目を閉じたまま動かなくなりました。息子の声にも返事をしません。そして息子も、どんどん身体が冷たくなってゆきました。それにつれて、目蓋もどんどん重くなってゆきましたが・・・・・・その時」
剣路が、「ここで眠ってなるものか」というように、小さな手で目をこする。剣心はその仕草に頬を緩めた。


「戸口がすうっと音もなく開き・・・・・・そこには、真っ白な着物を着た、女のひとが立っていました。それは、この山に住む雪女でした」

「ゆきおんな・・・・・・」
「そう、雪を降らせる、綺麗な女の妖怪でござるよ」
「かあちゃより、きれい・・・・・・?」
「どうでござるかなぁ」
剣路は質問をしつつ、とろんとした目であくびをする。

「雪女は二人を見て、こう思いました。『父親のほうはもう手遅れだ。でも、息子のほうは、まだ助かるかもしれない』。そこで、雪女は妖術を使って、小屋の周りにだけ風が吹かないようにしました。冷たい雪が吹きこまないようにしました。消えてしまった火がともり、猟師の男はゆっくりと、暖かい眠りにおちてゆきました。その耳に、雪女の声が響きます。『今夜のことは、誰にもしゃべってはいけない』、と・・・・・・おろ?」
我が子の顔を見て、剣心はくすりと笑いをこぼす。まるで、物語の流れに合わせたかのように、剣路も眠りにおちてしまっていた。


「・・・・・・眠った?」
「ああ、続きはまた明日でござるな」

もともと、寝かしつけるためにしていた昔話だ。実のところ、ひとつ語り終えてもまだ眠くならなかった剣路に「もうひとつ」とせがまれて語り出したのが、この「雪女」の話だった。

鏡台の前で、髪を三つ編みに結っていた薫が立ち上がる。その動作が普段よりもゆっくりなのは、大きくなったお腹の所為である。身につけているものが寝間着だと、その膨らみはかなり目立つようになっていた。
布団に入ろうとするのに手を貸してやる良人に、薫は「過保護!」と笑ったっが、その厚意には素直に甘える。身二つになるのは、季節が冬から春に代わる頃の予定だ。

「ねぇ、今の『雪女』、わたしの知っている話とちょっと違ってたみたいだけど」

たしか雪女は、父親を殺して息子のほうは見逃した―――のではなかったか。
「まぁ・・・・・・多少拙者なりに、脚色をしたのでござるよ

「ね、続き教えて」
「おろ?」

「わたしも、お腹の赤ちゃんも聞きたいって」
剣心は、いいよとやわらかく微笑んだ。薫とふたりで布団にもぐりこみ、さっき剣路にそうしたように、肘枕で語り出す。



「猟師の若者は無事に一夜を越え、翌朝、山を下りました。吹雪はうそのようにやんでいました。父親を亡くした猟師はひとりになりましたが、やがて彼は美しい女性に出会い・・・・・・恋をして、夫婦になりました。その女性は、あの日助けてくれた雪女に、よく似ていました」
「実は、雪女本人なのよね」
「そう、雪女は助けた男に、恋をしてしまったんでござるよ。どうしても猟師に会いたくて、人間の女に化けて、里に下りてきたのでござるな」

「猟師は、それに気づかないの?」
問いかける調子が剣路によく似ていて、なるほど親子なのだなぁと剣心は目を細める。そして、静かな声音で続きを語る。

「男も、自分の妻が雪女に似ていることが気になっていましたが、あの夜の『誰にも言ってはいけない』という言葉が耳に残っており、彼女にはそのことを言えませんでした。そして、ふたりの間には子供も産まれ、幸せな日々が続くかと思われました。しかし・・・・・・」
薫の頤が僅かに上を向いて、真剣に剣心の目を見つめる。おなじみの昔話とわかっていても、彼の語り口には引きこまれてしまう力があった。

「ある冬の日の夜、ほんの少し飲んだ酒のせいで、ほんの少しだけ酔った男は、つい、妻に言ってしまったのです。『おまえは、昔出会った雪女に、よく似ているなぁ』、と」

そこまで話して、少しだけ剣心は黙る。その先の展開を予想して、薫はわずかに眉をひそめた。
「その瞬間、雪女の妖術が解けました。猟師が阿野夜のことを誰かに喋ってしまうと、術が解けるさだめになっていたのです。部屋の中に、ざぁっと強い北風が吹きこみました。雪女は泣きながら、『術がとけたから、もう一緒にはいられない』と言いました。そして風に乗って、山へと去ってゆきました・・・・・・」



「・・・・・・それで、おしまい?」
薫の知っている「雪女」の筋ならばそうだった。しかし剣心は、そっと横に首を振る。
「猟師は、自分の所為で彼女の術を解いてしまったことを、後悔しました。もう一度、雪女に会いたいと思った男は、次の日から山に入りました。いくつもの山に登り、雪をかきわけ、彼女を探しました。そしてある日・・・・・・父親が死んだ日のような、酷い吹雪がやってきました」
薫は、脳裏に雪山の情景を思い描く。容赦なく吹きつける風と、横から叩きつける雪に息がつまる。白い吹雪は男から呼吸と視界とを奪ったことだろう。

「あの日のように山小屋に逃げ込んだ男は、やっぱりあの時と同じように、寒さに凍えて、もう死ぬのかと思いました。その時・・・・・・
「雪女が、来たのね?」
話の先を読んだ薫にむかって、剣心は笑って頷いた。
「そう、凍えそうな猟師を見るに見かねて、助けるために姿を現した・・・・・・彼女にむかって、彼は言いました。『雪女でいい、そばにいてくれと』、と」

「・・・・・・」
「その言葉こそが、いちばん強い『魔法』だったのです」



言葉には、ちからがある。
妖怪でなくとも、妖術など持たないただの人間が発したことばでも、心からの本当の言葉には、強いちからが。

「次の朝、雪女は男とふたりで山を下りました。子供の待つ家に着く頃には、雪女はほんとうの人間んいなっていました。そして、いつまでも幸せに暮らしました・・・・・・おしまい、でござる」



「・・・・・・すてきね」
たっぷり余韻に浸ったのち、薫は満足そうに、大きく息をついた。
「雪女のお話って、悲劇的な終わり方だったわよね?」
「ああ、でも拙者、悲しい話は苦手ゆえ」
「・・・・・・わたしも」
剣心は薫の髪をそっと梳いて、そのまま下ろした手で彼女の背中を優しく撫でる。

「いいお話ね」
「そうでござるか?」
「うん、だんなさんが奥さんを追いかけて探すっていうのが特に素敵」
つい、苦笑がこぼれた。出逢った年の五月の出来事は、ふたりにとって忘れようもない思い出のひとつである。
「まだ、その話をひっぱるでござるか・・・・・・」
「あら、でも、わたしが追いかけていかなかったら、今頃わたしたち、こうしていなかったかもしれないのよ?」
「情けない声を出す良人に、薫はくすくすと悪戯めいた笑いを返す。ごもっとも、と剣心は薫に寄り添って、彼女の額に唇を押しつけた。


「薫殿が追いかけてこなかったら・・・・・・『悲劇的な終わり方』だったでござろうなぁ」
志々雄との闘いで死を感じた瞬間、薫の姿が浮かんだ。
彼女の声が、「帰ろう」という言葉が、自分を生へと引き戻してくれた。
「・・・・・・そうね。ほんのちょっとの出来事で、物語は違った方向に進むのね」



猟師が雪女を追いかけたから。
わたしがあなたを追いかけたから。

雪女でもいい、そばにいてくれと言ったから。
あなたと、一緒にずっといたいと言ったから。

「でも、たとえどんな道筋を通ったとしても、結局拙者たちは、こうなっていたような気がするでござるよ」
言いながら剣心は、薫のお腹のあたりを、慈しむように手で触れる。愛おしさを、直に伝えるように。



「ねぇ、もうひとつ、お話して?」
子供のようなまっすぐな瞳で、薫がねだる。

「そうでござるなぁ・・・・・・」と、剣心は頭の中のひきだしを探った。

「それでは、むかしむかし、あるところに・・・・・・」
そうして語り出すのは、「めでたしめでたし」が待っている物語。我が子の安らかな寝息に重ねて、剣心は静かな声で、寝物語を紡ぐ。





どんな道筋をたどっても、辿り着く先には、必ず笑顔の君がいる。

悲しい話など、もういらない。
君と俺との物語には、幸せな結末しか必要ないから。













(了)


モドル。