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        「大丈夫よ、どこも痛くしていないし、たいして怖くもなかったわ」
        「それならよいが・・・・・・これは一体どういう事でござる?!何故、薫殿が花嫁衣装を着て身代わりなどしているのでござるか?!」
        「ちょっと待ってよ、まずはお礼を言わせてちょうだいよ!」
        勢い込んで尋ねてくるのを制して、薫はきゅっと剣心の首に抱きついた。

        「助けてくれてありがとう、剣心」
        いつもと違って、肌に触れるのはドレスを飾るレースの感触である。しかし、優しい体温と甘い香りはいつもどおりの薫のもので、剣心は相好を崩す。薄い
        ベールごと薫の身体を抱きしめ返し、甘やかな時間を束の間味わったが―――


        「・・・・・・で、どういう事なんでござるか?」
        やはりそこが気になってしまう。しかし薫は「その前に、剣心こそどうやって助けてくれたの?いきなり上から降ってきたから、びっくりしちゃったわ」と逆に
        尋ねてきた。
        「そもそも、よくこの格好をしているのがわたしだってわかったわよね・・・・・・」
        「そんなの、一目でわかったでござるよ」
        拙者が薫殿を見紛うわけなかろう?と真顔で続けられ、薫は頬を赤く染める。そう、庭の皆がローストビーフを楽しんでいたとき、バルコニーに視線をやっ
        た剣心は、そこに居る花嫁が幸ではなく薫だということに、直ぐ気づいた。


        あんな格好で何をしているのだろう、本物の花嫁はどうしたのだろう。そう訝しんだのと同時に、あの闖入者が現れた。
        薫がナイフを持った青年に拘束されるのを見るや否や、剣心は屋敷の中に駆け込んだ。薫を無傷で救うのに、一瞬でいいから隙を作らねばと思った。そこ
        をついて奇襲をかければ―――


        その時、目にとまったのが、花びらが入った籠だった。


        「花びらって・・・・・・よくそんなものがあったわねぇ」
        「テイラー夫人がさっき言っていたでござろう。新郎新婦を祝福するのに花びらを撒く、と」
        「ああ・・・・・・そういえば。弥彦が塩を撒くみたいだって言っていたわね」

        後ほど使う予定で玄関に置かれていた花びらの籠。それを拝借し、剣心は二階へ続く階段を駆け上がった。そのまま、占拠されているバルコニーがある
        部屋とは別の窓から、屋根にのぼった。
        「そして、奴の真上で籠をひっくり返したんでござるよ」
        塊になって降ってきた花びらが直撃し、更には薫にしたたかに足を踏まれ、完全に「隙」ができた。その瞬間剣心は屋根から飛び降りた。バルコニーに着
        地するなり、双龍閃を打ち放ったのだった。


        「あれは・・・・・・ちょっとやりすぎだったんじゃない?」
        「あれでも、充分手加減したでござるよ」
        本気で打ち込んだら、青年の身体はベランダから吹っ飛ばされ庭に真っ逆さまだっただろう。そこは力加減をしたが、だからといって武器を取り上げるため
        の一撃だけで許す気にもなれなくて―――それ故の双龍閃だった。

        噂をすれば、というふうに、不意に窓の方が騒がしくなった。
        バルコニーは隣の部屋の窓からも繋がっている。どうやら件の青年を「回収」するために、男性陣が集まってきたらしい。のびたままの青年が抱えられて
        運ばれてゆく様子が、レースのカーテン越しにも確認できた。バルコニーが再び静かになると、薫は肩を落として同情するかのような表情を見せる。
        「・・・・・・でも、ちょっと可哀想よね。失恋が原因でお酒が過ぎて、あんな事をしでかしちゃったんだから。酔いが醒めたら、きっと反省するんじゃないかしら」
        「薫殿は優しすぎるでござるよ・・・・・・」
        剣心は額に手を当てて首を横に振る。今回危ない目に遭ったのは幸の身代わりとしてである。しかし、薫自身も人妻になった今でも、周囲の剣術青年た
        ちの憧れの的であることに変わりはない。と、いうことはいつ何時自分も同じ厄災に見舞われるかわからないという事を、もっと自覚したほうが―――


        「そう、身代わりでござるよ!一体どうしてこんな事になったのでござるか?!」


        改めて問い詰められて、薫は「身代わりっていっても、ちょっとの間なのよ。もうすぐ幸さん、帰ってくるはずだから」と答える。
        剣心が不審そうに眉をひそめ、薫は順を追って説明を始めた。








        ★








        「借りていたリボンを返したい」
        新郎にそう言われて、薫は屋内へ案内された。
        部屋には幸が待っていて、「三十分程だけ、身代わりになってくれないか」と頼まれた。



        その理由は、「結婚式を抜け出して、妹に会いに行きたい」というものだった。



        幼い頃、母親を事故で失った幸には、希という妹がいる。
        孤児になった幸はコリンズ夫妻の養女となり、希は夫妻の友人である日本人学者夫婦のもとにひきとられた。

        養父母同士が仲が良いこともあり、姉妹は頻繁に顔をあわせていた。別々の家庭で暮らすようになっても、寂しい思いはせずにすんだ。
        姉妹は成長し、幸は英国人の青年と想いあうようになり、この度祝言を挙げることとなった。
        同じ頃、妹の希も想い人との結婚が決まったのだが―――


        「希さんの結婚相手は植物学の学者さんで、しばらく研究のために東京を離れることになったんですって。それで、希さんもついてゆくことになって・・・・・・
        今日が出発の日だったの」
        「ああ・・・・・・だから、この祝言には参列できなかったんでござるか」
        そういえば先程テイラー夫人が、「妹はどうしても出席できないから、別に祝いの席を設けた」と言っていたことを思い出し、剣心は頷いた。


        姉妹は既に互いの門出を祝福しあい、しばしの別れの挨拶も済ませていた。
        しかし幸は今日の祝言を迎えて、旅立つ妹にある物を贈りたいと思った。



        それは―――挙式で彼女が手にしていた、ブーケである。



        「花嫁が持つお花の束を贈ると、贈られた相手には幸せが訪れる・・・・・・と言われてるんですって。だから、新しい土地でも幸せに暮らせますように、って。
        そんな想いをこめて、贈りたかったんですって」
        「では・・・・・・幸殿はその花を、妹殿のもとに届けに行ってる最中なんでござるか」
        「もうそろそろ、こっちに戻ってくる頃じゃないかしら?ここを離れている間にひと騒動あったことを知ったら、びっくりするだろうなぁ」

        部屋にあった置時計を見ながら、薫は笑った。
        剣心はだいたいの事情を察して、やれやれと肩を落とした。


        「幸殿が、今日になって花を贈ろうと思い立ったのは・・・・・・薫殿が参列していたからでござるか?」
        「さすが剣心!お見通しね」

        良人の察しの良さに、薫は感心する。
        そう、既に妹との別れは済ませていた。しかし、祝言の会場に、薫の姿を見つけた幸は―――身代わりを頼めないだろうか、と思いついた。


        妹のもとにブーケを渡して、戻ってくるまでの時間は、おそらくは四半刻、約三十分ほどだろう。色直しの準備をしていると言えば、その程度の時間花嫁の
        姿が見えなくても、参列客は納得するに違いない。
        しかし、不測の事態のためにも―――花嫁は会場にいるように「見せかけた」ほうが安心ではある。

        西洋の花嫁衣装には、顔を隠すベールがある。
        あれを被ってしまえば、距離があれば客達の目をごまかせるだろう。そこで、身代わりに見込まれたのが、薫である。
        なんとなれば―――会場にいる若い日本人の女性のなかで、薫が一番、幸と身長や体つき、髪の長さが似通っていたからだ。

        「あとは、わたしが剣術道場をやってるって事も知っていたみたいだし。きっと、そこらの女の子より肝が据わっていると思われたのね」
        そこで得意気に胸を張る薫に、剣心は彼女らしいとすこし笑った。


        薫は幸のドレスを身にまとい、動きやすい服装に着替えた幸は参列客の目から隠れて屋敷の敷地外に出た。
        その頃パーティー会場の庭では、ローストビーフを囲んで人々は盛り上がっており、幸の「外出」は誰に見咎められることもなかった。きっと今頃幸は、驚く
        妹に花束を手渡していることだろう。




        薫の説明を受けて、剣心はすべてに合点がいった。
        合点はいったのだが―――



        「・・・・・・それにしても、新郎はこの場に残ったのでござるな。花嫁の一大事なのだから、一緒について行けばよいものを」
        「やだ剣心、一大事ってほどではないでしょう、お花を届けるだけなんだから。それに新郎まで席を外しちゃまずいわよ、ビクターさんはベールをかぶってい
        るわけでもないんだから、身代わりだって立てれらないし」
        「ビクター?」
        「新郎さんの名前よ」
        「おろ、すっかり打ち解けたのでござるなぁ」
        「ちょっとなによその言い方、名前くらい教えてもらうでしょ・・・・・・っていうか剣心、なんでさっきからそんなに機嫌悪いの?!」
        しびれを切らしたように、薫は声を大きくする。そう、先程助けに来てくれたときから、どういうわけか剣心が不機嫌そうなのだ。

        出逢った頃の剣心は、感情を顔に表さず内に隠してしまうのが得意だった。しかし、薫と夫婦になってからの彼は、以前より大変わかりやすく、思ったこと
        を表情や態度で表すようになった。それは特に薫の前で顕著なのだが―――そんなわけで今の彼は、明らかに「おもしろくない」という顔をしているのだ。


        「・・・・・・別に、機嫌が悪いわけではござらんよ」
        「嘘!どこからどう見ても不機嫌よ!わたしが危ない目に遭ったから、それで怒ってるの?!」
        「あれは、悪いのは酔っぱらいのあの青年でござるよ。薫殿は少しも悪くないでござる」
        「じゃあ、何に怒ってるの?せっかくわたしがこーんな綺麗な格好をしてるのに、そんな面白くなさそうな顔して・・・・・・」
        「綺麗だからでござるよ」



        ドレスの裾を持ち上げるようにして言った薫の台詞に、剣心の声が重なる。
        その仕草のまま、動きが止まってしまった薫をじっと見つめながら、剣心は続ける。





        「拙者以外の男のために、そんな綺麗な姿をしているから・・・・・・それで、面白くないだけでござるよ」












        6 へ続く。