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        バルコニーの奥にあるレースのカーテンが揺れて、人影が現れる。
        一瞬、それは幸を迎えにきた花婿のように見えた。
        しかし、そうではなく―――先程から酔って泣きながらくだを巻いていた、あの青年だった。


        カーテンを払い除け、突如バルコニーに踏み込んできた青年に、新婦は驚いたように立ち上がる。
        青年は彼女の細い腕を手荒く掴むと、力任せに引き寄せた。



        異変に気づいたのは剣心だけではなかった。たまたまバルコニーを見上げた西洋人の婦人が、持っていた料理の皿を取り落として悲鳴をあげる。その声
        につられて、庭に集う人々も一斉に目線を上に向けた。
        バルコニーに現れた闖入者は、後ろから花嫁の首に腕をかけて拘束する。もう一方の手にはナイフが光っていた。



        声を上げる間もなく捕らえられた花嫁は、ベール越しに喉を圧迫している腕に指をかけて苦しそうに首を振ったが、青年のがっしりした腕は簡単には緩み
        そうもない。一方、彼女を締めあげてナイフを突きつけている青年は、かなり酔っているのだろう、真っ赤な顔をしており、そして―――目からは滝のように
        涙を流していた。
        人々の視線が集中していることに気づいた青年は、うおーんと一声意味を成さない咆哮をあげると、なにやら大声でまくしたて始めた。

        「あの青年は、ずっとミユキさんのことを好きだったと言っています、ミユキさんがお嫁に行ってしまうのが辛くて耐えきれなくて、それで・・・・・・」
        「彼女を殺して俺も死ぬー、って言ってるのか」
        動転しているのだろう、テイラー夫人はおろおろしながら律儀に弥彦たちに向かって通訳を始めた。しかし弥彦は至極落ち着いた様子で、口の中に残った
        肉を飲み込む。なんとなれば、この場には剣心がいるのだ。彼がいればこのくらいの荒事もたちどころに―――


        「って、あれ?剣心は?」
        いつの間にか、その剣心がいないことに弥彦は気づく。
        傍らに立つ燕を見やると、彼女の手には剣心から押しつけられたらしい肉料理の皿があった。



        異変を察するなり神速で地を蹴った剣心は、参列者の間をすり抜け庭を駆け抜け―――その姿は屋敷の中にあった。










        バルコニーを占拠した青年は、花嫁の首を腕で抱え込むようにして拘束し、もう片方の手に持ったナイフを振り回し、泣きながら喚き声をあげていた。
        涙ながらに、自分がどれほど花嫁を―――幸のことを好きだったのかを語っているらしい。英語がわからない日本人の客たちも、彼の様子からおおよその
        内容は察することができた。バルコニーの下には、先程まで青年を宥めていた友人たちが集まり、馬鹿なことはよせと説得の声をあげている。しかし、青
        年の耳にその声はほとんど届いていないようだった。

        彼が手にしているのは小ぶりの果物ナイフで、おそらくはパーティー会場のフルーツの皿に置かれていたものを掴み、凶行に走ったのだろう。小さなナイフ
        とはいえ切れ味は充分なはずだ。今にもベールが裂かれ、幸の顔に傷がつけられるのではないか。細い喉をかき斬られ、白いドレスが赤く染まるのでは
        ないかと、客たちは最悪の事態を想像し、顔色をなくしていたが―――



        ふいに、バルコニーの青年は、白いものが視界を掠めたことに気づいた。
        酒精で判断力の鈍った頭で、雪だろうか、と青年は思った。いやしかし今は雪の季節ではない。

        はらり、と。もう一片、二片、白っぽい何かが舞い落ちる。
        足許に落ちたそれを見て、青年は「何か」が花びらであることを理解する。
        何故、天からこんなものが?と。酔った頭で訝しんだ青年は、顎をあげて空を仰いだ。


        その瞬間。大量の花びらが塊のように上から降ってきて、青年の顔に直撃した。



        「ぶわっ!」



        突然の目くらましに驚いた青年の、腕が緩む。その隙を、花嫁は逃さなかった。
        全身の体重を一点に集中させるようにして、ヒールのかかとで彼の足を踏んづける。

        たまらず、青年は腕を離す。
        その瞬間、花びらに続いてバルコニーに―――今度は、人間が降ってきた。



        だん、と音をたてて着地するのと同時に、彼は―――剣心は抜刀する。



        鞘走った逆刃刀が、白昼の陽を浴びて白く弧を描く。切っ先は青年の手元をとらえ、硬質な音とともにナイフが弾け飛んだ。
        青年は衝撃によろけたが、攻撃はそれで終わりではなかった。

        間髪いれず、剣心の左手が疾る。
        握られているのは、抜刀の際手にした、鞘だ。



        「ぐぎゃっ!」



        濁音混じりの悲鳴があがり、鞘を叩き込まれた青年の身体が跳ね飛ぶ。
        どさ、と音をたてて、青年の身体は花嫁の足許に落ちた。
        刹那の出来事を、参列者たちは息をするのを忘れたように凝視していた。


        ふと、吹き込んだ風がバルコニーの床を撫で、目くらましに使った花びらが、雨のように庭へと降り注いだ。
        剣心は、すっと姿勢を正し鞘を腰に戻す。逆刃刀を納刀し、鯉口が鳴った。
        それを合図にしたように、庭から拍手喝采がわき起こる。



        注目を集めていたことに今更ながら気づいた剣心は、「おろろ」とたたらを踏み、参列者たちに向かって軽く頭を下げた。



        「飛天御剣流、双龍閃・・・・・・」



        鈴を転がすような声で呟いたのは、花嫁だった。
        その声を追いかけるように、慌てた顔の新郎がカーテンを開け放ってバルコニーに現れる。

        「無事だという様子を見せたほうがよいでござるよ」
        剣心の言葉に頷いて、新郎は花嫁の肩を抱く。ふたりが手を振ってみせると、庭の拍手がまた大きくなった。












        新郎新婦、そして剣心はすぐにレースのカーテンの向こう、室内へとひっこんだ。
        部屋の中に入るなり、新郎は「失礼しました」と言ってぱっと花嫁の肩から手を離す。それは、先程から剣心から注がれている明らかに不機嫌そうな視線
        を受けてのことだった。


        「本当に助かりました・・・・・・どうもありがとうございます」
        「いや、このひとを守るのは、拙者の役目ゆえ」
        その言葉に新郎は「頼もしいナイトですね」と微笑み、花嫁は羞じらうように俯いた。
        「僕は退散するので、おふたりともこの部屋で休んでいてください。じきに色直しなので、また声をかけますね」

        そう言って新郎は踵を返した。彼が出てゆき、部屋には剣心と花嫁が残される。
        ふたりきりになるなり、剣心は気遣わしげに花嫁の肩に手を添えた。





        「大丈夫でござるか?―――薫殿」





        花嫁が、ベールを持ち上げる。
        白い紗の向こうにあったのは、薫の笑顔だった。















        5 へ続く。