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        「気軽に楽しく、誰もが参加できるように」というのが、この度の婚礼の「方針」らしい。乾杯に続いて始まった宴席は立食形式で、庭に用意されたテーブル
        の上には、和と洋の様々な料理が揃えられた。色とりどりのカナッペや小さなサンドイッチと一緒に、かわいらしい手まり寿司が。砂糖菓子やプティフール
        の横には小ぶりの紅白饅頭が並んだ。
        弥彦は飲み干した乾杯のグラスを給仕係に押しつけると真っ先に料理のテーブルへと突進し、燕も慌てたようにそれに続いた。

        楽団が奏でる軽快な音楽に何組かの西洋人がダンスのステップを踏み始め、自然と手拍子が沸き起こる。宴席は賑やかにつつがなく進み―――やが
        て、蒸したての餅米が運び込まれた。
        参列した日本人たちは、ふいに漂った馴染みの香りに「おや」と反応し、西洋人たちは何が始まるのだろうかと首を傾げた。薫は「そろそろ出番だわ」と目
        を輝かせ、袂から襷を取り出した。


        「おろ、準備がいいでござるなぁ」
        「そりゃそうよ、餅搗きをするっていうのに、黙ってなんかいられないもの!」
        子供のような笑顔を返す薫に、剣心もつられて頬をほころばせた。コリンズ邸の庭には、あらかじめ湯をはった臼が用意されており、西洋人の客達が「こ
        れは何をするものだろう」と興味深そうに眺めている。
        薫がわざわざ襷持参でやって来たのは、宴席で餅つきが行われるのを知っていたからで―――そもそも、この餅搗きが「企画」されたのは、遡れば剣心
        と薫の祝言が発端なのだった。


        剣心たちが「猛獣誘拐事件」をきっかけに、テイラー家と知己になったのは、昨年の冬のこと。その後年が明けて、季節が春に移る前に剣心と薫は祝言を
        挙げたが、テイラー夫妻も紅白のワインを携えて祝いにかけつけてくれた。その際、道場の庭で餅搗きが行われるのを目にして、更にはそれに参加して
        搗きたての餅を口にしてみて―――いたく、気に入ってしまったらしい。
        そんなわけで、親しくしているコリンズ家の娘御の慶事を知ったテイラー夫妻は、「先日、日本人の知人の祝言でこんなことが・・・・・・」と説明をした。すると
        コリンズ夫妻は多いに興味を示し、「では我々もやってみよう」と、すぐに臼と杵を手配したのだった。

        蒸した米を臼の中で充分に潰してから、かけ声とともに餅搗きが始まる。薫は弥彦と燕を連れて順番待ちの一団に加わり、皆と一緒にかけ声の拍子を取
        る。剣心はその様子を見ながら、自分たちの祝言のことを思い出していた。



        あの日も、今日のようなよい天気だった。
        快晴の青空から降り注ぐ陽の光はあたたかく、春がすぐそこまで来ていることを感じさせる―――まさに、門出に相応しい佳い日だった。


        道場の庭には、次々と祝いの言葉を贈ろうと友人知人たちが訪れた。
        この地に流れ着いたときは、一人の知辺もいなかったが―――東京に住まうようになり一年が経ち、気がつくと「神谷道場の赤毛の剣客さん」と慕ってく
        れる人たちがいて。また当然、両親とともにこの街で育った薫には親しくしてきた者も多くて―――ああ、こんなにも沢山のひとたちが、俺たちの門出を祝
        福してくれるのか、と。そのことにただただ感謝の念を抱いた。

        思えばあの日は、人生でいちばん「おめでとう」と言われて、いちばん「ありがとう」を返した日だったかもしれない。
        次に、あれだけの祝福を受けることがあるとすれば―――子供を授かったときだろうか。

        そんなことを考えてしまいうっすら頬に血をのぼらせていると、薫の「剣心ー!見ててねー!」という元気な声が飛んできた。見ると、順番がまわってきた
        薫が笑顔でふるふると手を振っている。少々赤面しつつ手を上げて応えると、薫は「そーれっ!」と一声気合を入れて、杵を振りかぶった。
        枝垂れ桜の着物をまとった小町娘が、細腕に似合わぬ杵を軽々と扱う様子に、西洋人からも日本人からも歓声があがる。剣心はその様子を誇らしい気持
        ちで眺めていた。



        「ちょっと思い出すよな、お前らの祝言」
        燕の返し手で餅搗きに参加した弥彦は、剣心の隣に戻るとそう言った。
        「ああ、拙者も思い出していたところでござるよ」
        「そっか、だから鼻の下が伸びてんだな」
        その言葉に剣心がさっと手を上げ顔半分を隠し、弥彦は「ばーか、冗談だよ」と笑った。

        「つーか、外国人の祝言ってどんなもんかなぁと思ってたんだけど、案外雰囲気は似たようなもんなんだなぁ」
        それにも、剣心は頷いた。牧師を前に誓いをたてたり、皆の前で口づけをしたり杯を交わしたり―――儀式や祝宴で行われる内容は、確かに日本のそれ
        とは大きく異なっている。しかし、結婚式全体に流れる空気そのものは、剣心と薫の祝言とよく似ていた。


        臼の前では、新郎新婦の両親が腕まくりをして初めての餅搗きに挑戦するところで、参列客たちからの楽しげな応援の声があがる。剣心はそれに耳を傾
        けながら、「祝福する心には、どの国にも変わりはないのでござろう」と答える。弥彦はそれに首肯してから、「それに、ああいうのも似たようなもんなんだ
        な」と、庭の一角を指さした。

        剣心がそちらを見ると、西洋人の若者がおんおん泣きながら酒を飲んでいた。傍らにいる友人らしき青年たちは、しきりに何か言いながら彼をなだめてい
        るようだった。
        剣心も弥彦も彼らの言葉は理解できないが、若者が何を嘆いているのかは何となく察することができた。何故なら、剣心たちの祝言の際も、同じような光
        景を目にしたからである。


        「ああ、本当に西洋も日本も似たようなものでござるなぁ」
        にこにこ笑って頷く剣心に、弥彦は「そういう台詞を得意気に言うんじゃねーよ」と呆れた声を出す。

        おそらく、あの若者は花嫁に恋心を抱いていたのだろう。そして、その恋が今日完璧に破れてしまったことを嘆き悲しんでいるのだろう。
        剣心と薫の祝言の席でも、やはり薫を剣術小町と慕い憧れていた青年たちが、同様の涙を流していた。しかしそんな場面を笑顔で懐かしむのはあまり趣
        味がよいこととは思えず―――こと薫に関しては素直になりすぎる剣心に、弥彦は思わずため息をついた。


        「剣心ー!お餅もらってきたわよ、一緒に食べましょうよ」
        振り向くと、薫と燕がそれぞれ二人ぶんの餅と箸を手に立っていた。
        「ああ、これは美味そうでござるな」
        「でしょう? ね、ずいぶん楽しそうだけど、何話してたの?」
        「うん、拙者たちの祝言を思い出すなぁ・・・・・・と」
        その言葉に、薫はぱっと笑顔になる。
        「わたしも思い出してたの!なんだか、もう一度挙げたくなってきちゃったわ」
        屈託なく笑う薫に剣心は「まったくでござるな」と目を細め、弥彦は燕から餅を受け取りながら、もうひとつ深く息をついた。









        「すみません、よろしいですか?」


        不意に話しかけてきた声は、微妙に日本人のそれとはイントネーションが違っていた。声の主は、本日の主役のひとり―――新郎である。
        「ミユキがこれから着替えるのですが、あなたにリボンを返したいそうです。すみませんが、あちらに来ていただけますか?」
        声をかけられたのは薫だった。餅を頬張った口許を指で押さえながら、新郎が指さした「あちら」の方向を目で追う。
        そういえば、先程から花嫁の姿が見当たらなかったが、新郎が示した先はコリンズ邸の二階だった。バルコニーの先、レースのカーテンがかかった窓の
        向こうに、ウェディングドレス姿の新婦が佇むのが見えた。

        「ご案内します、どうぞ」
        「あ、すみませんありがとうございます・・・・・・じゃあ剣心、ちょっと行ってくるわね」
        口の中の餅を飲み込んだ薫は、少しばかり緊張した様子で彼の後に続いた。すぐ傍にある建物の中へ連れていってもらうだけとはいえ、西洋の男性に案
        内をしてもらうのは初めてのことだ。
        薫から皿を預かった剣心は、「ああ、行ってらっしゃい」と見送りつつ、若干面白くなさそうに眉を寄せた。庭は大勢の参列客で賑わっている。体格のよい
        西洋人も多い中、新郎は薫をさりげなく庇う姿勢をとりながら彼女を邸内へと連れて行ったが―――微妙に近い距離感が、なんというか、気に食わない。
        西洋のひとびとは挨拶がわりに抱擁を交わしたりするからつまりは国民性の違い、習慣の違いというのだろうが―――


        「日本語では、こういうのをなんと言うんでしたっけ・・・・・・確か、餅を焼く?」
        ひょい、と。そこにテイラー夫人が顔を出した。燕が笑って「やきもちを焼く、です」と訂正し、剣心はばつが悪そうに眉間の皺を指でのばした。
        「あんなふうに、男性が女性を尊重するように振る舞うのは西洋では普通のマナーですから、やきもちを焼くことはありませんよ」
        「まなー?」
        「ええと、作法とか、礼儀というのかしら」
        「だってさ、剣心」
        明らかにからかいの色を含む声で弥彦にそう言われて、剣心はいささか居心地悪げに肩をすくめた。

        「さあ、新郎新婦はお色直しで中座ですが、その間にお肉料理の仕上げがありますよ。近くで見ましょうか」
        「肉って、牛鍋か?!」
        目を輝かせた弥彦に、テイラー夫人は「牛の料理ですが、牛鍋ではありませんよ」と微笑んで訂正する。
        「オーブンで蒸し焼きにした肉料理ですが、今日は最後に仕上げをこの場でするそうです、わたしたちも近くに行きましょうね」
        夫人に促され、剣心たちはそちらへと移動する。庭の一角には既に人だかりができており、その中央には、厨房から運ばれてきたワゴンがあった。
        ワゴンの上では火が起こされており、更にその上には鉄板が置かれている。なるほど、あの熱した鉄板の上で肉を焼くのか―――と思いながら剣心が眺
        めていると、やがて白い服を身にまとった料理人が、大きな肉のかたまりを運んできた。


        オーブンでじっくりと火を通した肉を鉄板の上に置くと、じゅうっと食欲をそそる音がした。そこで既に、観客となった参列者のなかから小さな歓声があがっ
        たが、見せ場はこれからだった。テイラー夫人は弥彦と燕の肩に手を置いて、「よーく見ていてくださいね」と楽しそうに囁く。


        肉と、炎の具合を確認していた料理人は、頃合を見計らって、鉄板の上に洋酒を注ぎかけた。
        強いアルコールに火が入り―――大人の身長ほどもある、大きな炎の柱が立つ。

        わあっ、と驚きの声があがった。
        炎が立ったのは一瞬のことで、幻のようにすぐ消える。料理人が一礼をし、大きな拍手が沸き起こった。


        「すげー!すげー!格好いいー!」
        「びびびびびっくりしたー!すごいっ!火の熱いのが、ここまできたー!」
        子供ふたりが興奮して口々にまくしたてるのに、テイラー夫人は嬉しそうに「そうでしょうそうでしょう!」と同意する。
        「ああやって直に火を通すことで、お肉の余分な脂を落とすんです。お肉がより美味しくなるわけですが、見た目が派手なので、お客様の前でやると盛り
        上がりますよねぇ」
        剣心は夫人の解説をうんうん頷いて聞いていたが、うっかり志々雄の無限刃を思い出してしまい、頭の中では苦笑していた。めでたい席でとんでもないも
        のを連想してしまったな、と反省する。

        ともあれ、仕上げのフランベをした肉料理―――ローストビーフからは、火を入れたことでより美味しそうな香りがたっており、客たちの食欲はおおいに刺
        激された。その場で切り分けられた肉に、彩りの野菜とソースが添えられ配られだすと、参列客は我先にと受け取りはじめる。
        「今のは薫にも見せたかったな」と思いながら、剣心は彼女のぶんの皿も受け取った。首をめぐらせて屋敷のほうを見ると、バルコニーにはやはり花嫁が
        佇む姿があった。







        異変は、その時起こった。













        4 へ続く。