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        「この者を生涯にわたし、愛し、慈しむことを誓いますか?」




        晴れ渡った淡い水色の春空の下、牧師の声が響く。
        西洋式の、神様に誓いをたてる形の結婚式だが、参列者の半数は日本人だ。牧師は英語で問うた後日本語で同じ質問をし、新郎新婦も同様にふたつの
        国の言葉で「はい、誓います」と答える。

        「それでは、誓いのキスを」
        新郎新婦が向かい合い、新婦はそっと膝を折った。新郎はベールに手をかけ、花嫁の顔をあらわにする。
        互いに、少し緊張した面持ちで唇を重ね―――ゆっくりと離れてふたりは見つめあい、ぱっと笑顔になった。

        祝福の拍手が、盛大に沸き起こる。
        剣心と弥彦は、手を鳴らしながらそれぞれの隣にいる女性の顔をちらりと盗み見た。薫も燕も、ぽーっと頬に血をのぼらせて、うっとりと新郎新婦を見つめ
        ており、燕に至っては拍手を贈るのも忘れてしまっていた。弥彦はそんな彼女を見てつられたように自身も顔を赤くして、剣心は妻の可愛らしい反応にい
        とおしげに目を細めた。







        ★








        「まあまあ皆さん、今日は来てくださってありがとうございます!」


        式が終わると、今度は祝宴が始まる。会場となっている居留地の洋館の庭にはテーブルがいくつも並べられ、そこに次々と料理が運び込まれてきた。剣
        心と薫、弥彦と燕は配られた小さなグラスを受け取りながら祝杯の発声を待っていたが、そこで英国人の女性から声をかけられた。
        「こちらこそ、お誘い頂きかたじけないでござる」
        流暢な日本語で話しかけてきたのは、テイラー夫人だった。
        数ヶ月前、居留地に住むテイラー夫妻の家で飼われていた「猛獣」が誘拐される事件が起こり、この時解決に一役かったのが弥彦と剣心だった。それが
        きっかけで夫妻と親しくなり―――この度は夫人の友人の娘御が祝言を挙げるということで、招待を受けたのである。

        当然、外国人の結婚式などには参列したことがなく、一同は慌てた。しかし、「近所の方が集まって、お庭で気軽に食事をするだけなんですよ。日本の方
        も大勢いらっしゃいますし、お祝い事は賑やかなほうが楽しいですから、ぜひいらしてくださいな」と言われて、こうして足を運ぶことにしたのだ。
        夫人の言葉どおり、会場となった邸宅の庭に集まった客の半数は日本人で、殆どが気軽な普段着で、もの珍しげな顔で参列をしている。



        「薫さんも燕さんも、今日は一段と可愛らしくて・・・・・・まあ、帯の模様も、よく見るとお花になっているのですね?」
        ふたりの着物の柄をしげしげと眺めていた夫人は、薫の帯に興味を引かれたらしい。今日の薫は、淡い水色の絹の着物を身につけて、柄は春らしく枝垂
        桜である。また、帯には丸い円を描く刺繍がいくつも入っているが、ひとつひとつの円の中に、桜や梅、撫子といった花々の模様が見える。

        「これ、『丸紋』っていって、おめでたい柄なんです」
        まるい円には「終わり」がない。なので、「この円のように、幸せが永遠に続きますように」という願いがこめられている模様だ。そのことを解説すると、夫人
        は「日本の着物の柄には、様々なおまじないがあって素敵ですねぇ」と感心したように頷いた。


        「でも、西洋にもそういうものはあるんですよ?たとえば、ほら、花嫁さんのかぶったベール。あの布には花嫁を、悪魔や悪霊といった悪いものから守る、と
        いう意味があるんです」
        剣心たちはその言葉につられるようにして、少し離れたところで談笑している花嫁のほうを見た。
        「誓いのキスのとき、新郎があのベールを上げたでしょう?ベールアップには、『これからは新郎が、悪しきものすべてから、新婦を守ります』という意味が
        こめられているんですよ」
        薫と燕は、説明を聞きながら先程の挙式の場面を思い出しているらしく、再び頬を染めながら「素敵ですねぇ」とうっとり口を揃えた。

        「他にも、お洋服のおまじないではありませんが、結婚式では参列者が新郎新婦にむけて、沢山の花びらをまいて祝福するんです。これも、花びらでその
        場の悪いものを追い払うという意味があるんですよ」
        「それって、日本で塩を撒くのに似てるなぁ」
        「やだ、似てるけれど全然意味合いが違うでしょ」
        「でも、花びらを撒くなんて綺麗でしょうね・・・・・・」
        「今日、結婚式の最後に皆さんも見られますし、参加もできますよ。今朝からおおわらわで花びらの準備をしましたからね」
        わたしも手伝いました、と言ってテイラー夫人は燕の顔の前に手のひらをかざした。花びらを摘んでいた指からふわりと甘い香りがたって、燕は「わ
        ぁ・・・・・・」と目を細める。


        「ところでテイラー殿、あの花嫁は・・・・・・英国の方ではないのでござるか?」
        それは、薫たちも気になっていたことだった。それこそ誓いの口づけの、ベールアップの時に気づいたのだが―――白くけぶるような薄い布の向こうにあっ
        た花嫁の顔立ちは、東洋人のそれだった。髪も目も黒く、年頃は薫と同じくらいである。しかし、彼女と親しげに話している花嫁の両親は、どうみても白い
        肌に青い目の西洋人なのだ。

        「ええ、ミユキさんはコリンズ夫妻の養子さんなんですよ」
        花嫁の名は、幸せ、と一字で書いて、ミユキというらしい。
        夫人はごく自然な調子で、その経緯の説明を始めた。
        「まだ明治が始まったばかりの頃でしたが・・・・・・ミユキさんのお母様が、事故で亡くなられてしまって」


        馬車にはねられての事故だったらしい。
        母親は幸とその妹を連れて、地方から東京に出稼ぎに来ていた。その現場を偶然、コリンズ夫妻と、彼らと昵懇の日本人の学者夫婦が目撃した。
        母親に、東京への縁者はいなかった。幼い姉妹に話を聞くと、父親も既に亡いという。行き掛り上、コリンズ夫妻と学者夫妻は母親の葬儀の世話をした。
        そして二組の夫婦は善良で裕福だったが、子供がいなかった。
        相談の上、姉妹はそれぞれの家に養子としてひきとられることになり、幸はコリンズ夫妻の養女となった。

        「妹さんも同じ東京に住まわれていますから、ミユキさんとはちょくちょく会われているんですって。今日はどうしても出席できないということで、別の日にお
        身内だけでのお祝いの席を設けたそうですが・・・・・・」

        と、夫人の話が耳に入ったわけでもないであろうが、花嫁がふいに剣心たちの方を向き、おもむろに歩み寄ってきた。
        テイラー夫人が花嫁―――幸に「今日はほんとうにおめでとう!」と言うのに続き、剣心や薫も祝いの言葉を述べた。祝福を受けた幸は、ありがとうござい
        ますとはにかみながら一同に礼をする。そして彼女はふわりとベールを揺らすと、薫にむかって「あの・・・・・・」と躊躇いがちに切り出した。


        「突然すみません、あなたに、お願いがあるんです」
        何だろう、と首をかしげた薫に、幸はレースの手袋をはめた手で、自分の顎のあたりを指差してみせた。
        「あなたのリボンを・・・・・・わたしに、貸していただけませんか?」


        薫と、そして傍にいた剣心たちも、咄嗟に意味がわからずきょとんとする。いや、言っている意味はわかるのだが―――いったいどういう理由で、薫が髪に
        結んでいるリボンを所望するのだろうか。
        しかし、テイラー夫人はすぐにその訳を察したらしい。「something borrow?」と尋ねると、幸は「yes!」と笑顔で頷いた。
        「これもね、西洋のおまじないですよ。something fourといって・・・・・・花嫁が身につけると良いと言われる、四つの物があるんです」

        「新しい物」「古い物」「借りた物」そして、「青色の物」。
        この四つを身につけた花嫁は、幸せになれると言い伝えられている―――そう、夫人は説明した。


        「『新しい』ドレスと・・・・・・このベールは母からもらった『古い』ものなんです。あとひとつ、会場のどなたかから、何かをお借りしたいと考えていたんです
        が・・・・・・」
        そして、幸の目に留まったのが、薫がつけているリボンだったらしい。「もし、ご迷惑でなければ・・・・・・」と遠慮がちに願いを口にする幸に、薫は「いえ!迷
        惑どころか光栄です!」と嬉しそうに答えた。手にしていたグラスを隣の剣心に預けると、頭の高い位置で結ったリボンに指をかけた。ふわり、と長い髪が
        薫の背中を隠す。
        「そんな素敵なことに使ってもらえるなら嬉しいわ。どうぞ!」

        リボンは、枝垂桜と揃いになるよう選んだ、手に優しい触り心地の桜色だった。幸は「ありがとうございます!」と顔を輝かせて受け取ると、すっと貝細工の
        ブローチを取り出した。器用にリボンにひだを寄せて、白いブローチを使ってドレスの腰のあたりに留める。淡い桜色のリボンは、清楚な白のドレスに優しく
        映えた。
        幸はもう一度薫に礼を述べ、パーティーの間に必ず返すと約束をすると、花婿の方へと戻っていった。




        長いベールの後ろ姿を見送りながら、燕が「すてきな風習ですね」と頬を緩ませる。
        ほんとにそうねと答える薫にグラスを返しながら、しかし、と剣心は首をかしげた。

        これで「新しい」「古い」「借りた」ものが揃ったわけだが、あとひとつ、「青色」のものが欠けている。見たところ、あの花嫁衣装に青い色は入っていなかっ
        たようだが、これから用意をするのだろうか。
        そんなことを考えているうちに、グラスが参列者すべてに行き渡ったらしい。テイラー夫人が「皆さんも、ほら」とグラスを少し持ち上げて見せた。

        新郎の親族らしい恰幅のよい男性が満面の笑みで祝辞を述べ、そのまま「Cheers!」とグラスを掲げる。日本人の参列者も見よう見真似で唱和して、剣
        心と薫も同様にグラスをそっと合わせる。
        澄んだ音が軽やかに響いて、薫は「これ、楽しいわね」と笑った。剣心は「そうでござるな」と頷きながら、今年のはじめに挙げた自分たちの祝言のことを
        思い出していた。




        あのときの白無垢姿は夢のように美しかったけれど―――薫には、あんなドレスもきっと似合うだろうな。
        そう思いつつ、剣心はグラスに口をつけた。













        3 へ続く。