「わたしが知らない十代の剣心に、わたしも会えたような気がして・・・・・・嬉しかったのよ」
そう言って、薫は照れくさげに笑った。
光がさすような―――いや、薫自身が身のうちに抱く輝きが溢れてきらめくような、それは剣心が愛してやまない、彼女の笑顔。
剣心は、ふっと肩から力を抜いた。
それを感じて、薫は彼の首から腕をほどく。
「・・・・・・そうか、そうでござったか・・・・・・」
「そうよー、納得した? だいたい、わたしはめちゃくちゃ嬉しかったんだからね? さっきの剣心の台詞」
「え?」
「わたしのことを世界で一番好きなのは、真太くんじゃなくて・・・・・・あなたなんでしょう?」
「あ・・・・・・」
剣心の頬に、さっと血がのぼる。
確かに、言った。まさか、薫に聞かれているなんて夢にも思っていなかったのだが―――
「あんまり嬉しすぎて、そのまま気絶しちゃうんじゃないかと思ったんだからね? それなのに、剣心ってば見当違いのことばっかり言うんだもん」
先程の嬉しい瞬間を思い返してか、ほんのり頬を桜色に染めて、薫はくすくす笑う。
見当違い―――まったくその通りだ。
こと君の事となると、冷静でいることができなくて、日頃の自分だと思いつきもしないような馬鹿な心配や勘違いばかりしてしまう。
それもこれも、ただ君に嫌われたくないという単純な感情の所為だ。
君はさっき「迷子の子供みたい」と表現したけれど、それこそ十代の自分が内側に棲みついているかのように、君の前では度々、幼く情けない自分に立ち
戻ってしまう。好きな相手の前では常に格好をつけていたいのが男というものだが、結局は好きな相手の前だからこそ、格好悪いところばかりを晒してし
まうのだから―――実に、滑稽だと思う。
「・・・・・・すまない、薫殿」
「何に対する謝罪?」
「面倒くさいことを言って、困らせてしまったことへの謝罪」
剣心の口調が先程よりずっと軽くなっていることに薫はほっとして、「さっきの嬉しい台詞、もう一度言ってくれたら許してあげる」とおどけてみせた。剣心は
うっと喉の奥で呻くと視線を泳がせる。
「いや、えーと、あれは本人の前ではちょっと言いづらいというか・・・・・・」
「本人にこそ聞かせるべきなんじゃないの?」
「・・・・・・うん、確かに」
それは間違いなく正論だったので、剣心は「参った」というふうに笑みをこぼす。
腹を決めるようにひとつ咳払いをしてから、薫の両肩に手を置いた。
「・・・・・・好きだ」
「どのくらい?」
「誰にも、負けないくらい」
「真太くんにも、勝てるくらい?」
からかうように雑ぜ返す薫に、剣心は「もちろん」と大真面目に頷いてみせる。
気恥ずかしい要求に狼狽えはしたが、いざ「告白」を始めると、照れくささはどこかに消え飛んでしまっていた。
「薫殿のことを世界で一番好きなのは、拙者でござる。それに―――」
剣心は、薫の肩からそっと手を滑らせて、そのまま白い手を取り両手で包み込んだ。
そして、黒曜石のような瞳をまっすぐに見つめる。
「拙者も、はじめての恋でござるよ」
誓いの言葉を口にするような厳かな声が、ふたりきりの道場に静かに響いた。
剣心の目は真剣だったが、薫は「え?」と困惑した呟きを漏らす。
―――だって、さっきまで巴さんの話をしていたのに。剣心は確かに、彼女のことが好きだったのに。
わたしは、あなたが歩んできた過去や思い出も全部含めて、そのまま剣心のことが好きなのに―――
あれだけ言ったのに、まだ妙な気を回しているのだろうかと、薫の眉が悲しげに曇りかけた。
しかし、剣心は彼女の心中を察し、ゆっくりと首を横に振る。
「いや、もう言わないでござるよ、薫殿が悲しむようなことは」
「でも」
ほんの少し、手に力を入れる。
彼女が痛いと感じないよう、優しく。けれど、決して離さないという意志が伝わるように、しっかりと。
「拙者にとって、はじめての・・・・・・終わらない恋だから」
「・・・・・・終わらない、恋・・・・・・?」
「ああ、絶対に終わらない。この先、何が起こっても。どれだけ、時間が経っても」
動乱の時代、まだ十代だった頃、懸命に恋をした。
とても好きだったひとと、ずっと一緒にいられると信じていたけれど、あの恋は終わってしまった。
だけど―――君に出逢って始まったこの恋は、違う。
君との恋は、あんなふうに終わりをむかえたりはしない。どんなことが起こっても、君のことを手離しはしない。
絶対に、君を不幸になんてしない。ずっとずっと君のそばで―――君を守ってゆくんだ。
「・・・・・・何があっても、終わらないの・・・・・・?」
少しの間、言葉を忘れたかのように目の前にいる剣心をじっと見つめていた薫は、やがて唇を震わせながらそう尋ねた。
「うん、何があっても」
「この先、何年経っても?」
「何年、何十年経っても」
「わたしが、おばあさんになっても?」
「拙者が、おじいさんになっても」
「・・・・・・死が、ふたりを分かつまで?」
ひとつひとつの質問に優しく頷きながら答えていた剣心が、その問には首を横に振った。
「死も、ふたりを分かちはしないでござるよ」
ずっと、終わらない想いを抱きながら、一緒に人生を歩んで、一緒に歳月を重ねていって。
そしていつか時間の大河に飲まれるように、生命が尽きるときがやってくるのだろう。
どちらが先に彼岸の人となるかはわからないけれど、たとえその時が来たとしても―――
「死んだって、魂だけになったって離れないでござる。次に新しい生を受けたとしても、拙者はそこでまた薫殿を探して、薫殿を好きになる。そのまた先の
一生だって・・・・・・この気持ちは消えないでござるよ」
だから絶対に、この恋は終わらない。そう結ぶと、薫の瞳にふわりと涙が浮かんだ。
包み込んだ小さな手が微かに震えるのがわかったが、剣心は「泣かないで」とは言わなかった。
これまで―――夫婦になるまでに、自分は散々彼女を泣かせてしまったけれど。今のこの涙は、まったく違う意味を持つ涙だから。
「初めてのって・・・・・そういう意味で、はじめて、なのね」
あふれた涙が薫の長い睫毛をきらきらと飾り、珊瑚色の唇が柔らかにほころぶ。その表情を、ああなんて綺麗なんだろう、と思う。
「最後の恋、とも言うでござるな」
「・・・・・・そっか」
首を傾けて、彼女の頬に唇を寄せる。頬を伝う涙をぺろりと舌ですくい取ると、薫はくすぐったそうに肩をすくめた。
「じゃあわたしは、初恋が最後の恋になるのね。そんなふうに考えたことなかったけれど、素敵ね」
「・・・・・・え?」
顔を離して、剣心は薫の目をまじまじと覗き込む。
「初恋・・・・・・で、ござるか?」
「あれ? やだ、剣心知らなかったっけ?」
明らかに驚いた様子の剣心に、薫は小さく首を傾げる。
「そっか、そういえば言ってなかったかも・・・・・・」と呟いて、手のひらで頬を濡らした涙をぬぐう。そして、先程の剣心を真似るかのように咳払いをした。
「・・・・・・さっきの真太くんの言葉を借りれば・・・・・・あなたに逢うまで、わたしは知らなかったのよ。こんな気持ちがあるってこと」
雨上がりの空がいっそう透き通って美しく見えるように、幸福な涙を流した後の薫の瞳には晴れやかな輝きが満ちていた。
そして、その目に映っているのは、生まれてはじめて好きになったひとの姿。
「剣心、あなたがわたしの・・・・・・初恋なの」
笑顔で告白をされて、剣心はかくんと顎を下に落とす。
見る間に顔に血が上り―――剣心はずっと握っていた薫の手を離すと、がばっと彼女に抱きついた。
「・・・・・・剣心?」
「・・・・・・そういう事は、もっと早く言ってくれ・・・・・・」
出逢ってからおよそ一年半、夫婦になってから約半年で初めて知った事実に、剣心は情けない声をあげる。
彼の身体を受け止めながら、薫は思わず「え、えーと、ごめんなさい」と謝ったが、剣心は薫を抱きしめたままぶんぶんとかぶりを振った。
「謝ることじゃないでござるよ・・・・・・いや、何だかこみ上げてきてしまって」
「え?」
「・・・・・・好きでござるよ」
剣心の腕の中、薫の頬がまたもやぼわっと赤く染まる。
こんな続けざまに嬉しい言葉を貰ってはバチがあたるのではないかしら―――と、嬉しすぎてときめきすぎてちょっと不安になった。
一方、こみ上げてきた愛しさを言葉にせずにはいられなかった剣心は、薫の髪を撫でながら改めて思った。
―――大切にしよう。
ただひとつの想いを捧げてくれる、君を。
君と始まった、この最後の恋を。
10 「作戦会議」 へ続く。