7  ただひとり











        「・・・・・・言っておくが、普段はこんなふうに勝負を挑まれても、受けることはないのでござるよ?」




        竹刀を壁に戻しながら、剣心はそう言った。
        そう、普段は弥彦や神谷道場に通う門下生たちの稽古を見てやることはあっても、彼らや、ましてや他流の門下生から勝負を挑まれても剣心は受けるこ
        とはない。もっとも、そんな無茶をしかけてくる者はいないとも言えるのだが―――



        「それをあっさり受けてくれたということは、俺が薫さんのことを好きだからですか?」



        いきなりずばりと確信をついてきた。いっそ清々しいくらいの直截的な物言いに剣心は目を丸くして、そして、その瞳を柔和に細める。
        「そうでござるよ。おぬしが本気で薫殿に懸想をしているなら、ここは多少大人気なくとも勝負は受けておかねばと思ってな」

        なにせ、真太は自分の半分以下の年齢である。そんな彼からの勝負を受けるなど大人気ないにも程があると、剣心も承知の上だった。
        それでも、真太が本気で薫に想いを寄せているというのなら。自分という良人がいるにもかかわらず諦めきれないくらい好きだというなら―――年齢と実
        力に開きはあっても、対等に彼にぶつかってやらねば、と思ったのだ。

        「勝負してくれたのは、ありがたいですよ。こっちとしては、覚悟の討ち入りのつもりで来たんですから」
        「討ち入り、でござるか」
        「もしくは殴り込みですよ。言いがかりだと承知の上で言いますが、俺はあんたが気に入らなくて仕方がないから―――だから、駄目もとで一太刀浴びせ
        られないかと思ってやって来たんです」


        覚悟の、と言うだけあって、真太は微塵も悪びれずにのたまった。子供らしい素直さと大胆さに、剣心はますます可笑しくなってつい口許を緩めたが、真太
        にしてみれば笑い事ではない。最初に剣心に竹刀を向けた時のような剣呑な光を再び瞳に宿し、自分と似た容貌の恋敵を睨みつける。
        「あんたと薫さんが出会ったのは、一年半前だって聞きました。悔しいですよ、なんで俺はあんたより早く会えなかったんだろう、って」
        「拙者より早く会っていたら―――今とは違っていたと?」

        真太としては歯軋りする思いで心情を吐露しているのに、対する剣心は落ち着き払ったもので、それがまた癪に障った。しかし、こうして「討ち入り」を決行
        したからには、言うべきことはすべてこの男にぶつけてやらなければ、と腰を据える。

        「わかっていますよ。あんたより早く出会えていたとしても、俺と薫さんの年の差は変わらないんですし。今だって薫さんが、俺のことを男として見ていない
        こともわかっています。俺が年下だってことは何をしたって覆らないこともわかっているから―――だから、俺だって必死なんですよ。少しでも、男性として
        あの人に近づけるようにって・・・・・・あんたには、わからないことでしょうけど」
        「いや―――判るでござるよ。拙者にも、覚えがあるでござる」


        先日、薫に指摘されたときはそれこそ動揺してしまったが、自分が巴に出会ったのも彼と同じ年の頃だった。
        真太と薫の年の差も、自分と巴と同じくらいである。


        巴と出会ったばかりの頃の自分は「まともじゃなかった」から、彼女に調子を狂わされる事にただただ面食らって―――しかしそのお陰で、まともな自分に
        戻れたと思っている。その後、巴への好意を自覚しだしてからは、つかみどころのない独特の空気を纏った彼女の心を年下の自分がちゃんと繋ぎとめるこ
        とが出来るのか、不安に思うこともしばしばだった。
        とはいえ、あの頃はただ「生きる」という事すらも困難を伴う時代だったから、そんな迷いを悠長に抱いている暇もなかったのだが―――それでも、改めて
        目の前にいる真太を見て、十代だった当時の自分もこんな感じだったのかな、と思った。

        剣心は、懐かしいとも言える感情に駆られふと表情を緩めた。
        そんな彼を見て、真太はますます眉根を寄せる。


        「・・・・・・俺が年下だってことは、どうにもならないんで受け入れますよ。でも、あんたのことは受け入れられないし、認められません。だって・・・・・・」
        そこで一旦言葉を区切り、殊更にゆっくりと、真太は続けた。



        「あんたは・・・・・・薫さんに、ふさわしくない」



        その言葉に、剣心の表情が僅かに揺らいだ。



        「何故、そう思うのでござる?」
        「単純な事実だからですよ。薫さんのことを世界で一番好きなのは、あんたじゃなくて、俺だからです」



        何を根拠に断言するのかと思わず身構えたが、本当に単純すぎる答えに剣心は拍子抜けした。
        真太が自分の過去についてどこまで知っているのかはわからないが、ひょっとして「あんたみたいな人殺しは薫さんにふさわしくない」とでも言われるので
        はないか、と予想をしていたから。
        そんな予想をするあたり我ながら自虐的だなと思うが、仕方ない。それは自分自身が散々悩み、迷ってきた事実なのだから。

        もっとも、たとえそう糾弾されたとしても、それに対する答えは既に自分の中にある。
        沢山のひとに怨まれても憎まれても、お前は人殺しだと詰られようとも、それでも俺は、薫のそばにいることを諦めることはできない。
        薫のそばを離れることなど―――もう、考えられない。


        だから俺は、決めたんだ。
        罪も過去もすべて背負ったまま、それでも彼女を愛してゆこうと。

        過去を変えることは出来ないけれど、この先の未来は自分の意志で拓くことができる。
        だから、これからは彼女と生きるのにふさわしい自分であろうと―――絶対に彼女を幸せにしようと決意して、俺は彼女と一緒になったのだから。


        「それはおかしいでござるな。拙者も、薫殿のことを世界で一番好きなのは、拙者だと思っているが」


        大人気ないという自覚はあったが、実際そう信じているのだから仕方ない。剣心は真太の主張に真っ向から異議を唱える。
        真太は自信たっぷりの剣心に鼻白んだ様子だったが―――ふっと表情を改めると、静かに首を横にふった。それは、子供らしからぬ仕草だった。
        「いいえ、違いますよ。薫さんのことを一番想っているのは、やっぱりあんたじゃない。俺です」
        「それはまた、どうしてそう言い切れるのでござるか?」
        このままだと正に、子供の喧嘩のような水掛け論になりそうだ。そう思いながらも、剣心は真太に尋ねる。すると彼は、むしろそう問われることを待ってい
        たかのように、口を開いた。



        「はじめて、好きになったひとだからです」



        予想外の返答に、剣心は虚を突かれる。
        「これまで、こんなふうに誰かを好きになったことはなかったんです。薫さんに出会って、こういう感情があるってことをはじめて知りました。俺の―――初
        恋、なんです」
        初めて好きになったそのひとのことを想いながら、ひとことひとことに気持ちをこめるように、丁寧に音を紡ぐ。その言葉そのものを、優しく慈しむように。
        そして真太は、眼差しに力をこめて、きっと剣心を睨んだ。

        「俺の心の中には薫さんしかいないんですよ。ほかには誰もいません、彼女で、もう一杯なんです。あんたが今までの人生でどれだけの人を好きになって
        きたのかは知りませんが―――俺は違う。俺の心にいるのは、薫さん、ただひとりだけです」


        あるいは、先程の剣心の「覚えがある」という台詞に薫以外の女性の存在を感じとって、その言葉尻をとらえたつもりなのかもしれない。挑みかかるように
        そう言うと、駄目押しのようにもう一度「だから、薫さんのことを世界で一番好きなのはあんたじゃない。俺ですよ」と言い放った。

        真摯に語る真太の雰囲気にのまれて、剣心はすぐに言葉を返すことができなかった。
        ―――そうじゃない、人の心はそんな、器に満たされた水を量るみたいに、単純に比べられるものなんかじゃない。
        そう反論することも出来ただろうが、真太のあまりにも純粋でまっすぐな薫への想いに、圧倒されてしまっていた。

        困惑したように黙ってこちらを見ている剣心に深々と礼をすると、真太は竹刀袋を手に一直線に戸口へと向かった。そしてもう一礼して道場から辞そうと
        して―――びくっと、肩を竦ませる。



        「薫、さん・・・・・・?」



        その声に、剣心もばっと振り返る。
        戸口の向こう、身を隠すようにして立っていた薫がおずおずと顔を出した。その頬は、見事に真っ赤に染まっている。

        真太は、じっと薫を見つめて、ぺこりと頭を下げると足早に立ち去った。
        遠ざかる、足音。
        道場には、剣心と薫のふたりが残された。







        「・・・・・・おかえりでござる」
        「・・・・・・うん、ただいま」
        「雨、当たらなかったでござるか?」
        「うん、大丈夫。まだ降り出してない、から・・・・・・」


        そこで一旦、会話が途切れた。
        なんとなく、取り繕うようにまず天気の話などふってしまった。
        が、今の状況とこの空気をそのままなかったことにするのは、到底無理な話で―――
        「いつから、いたんでござるか?」
        剣心から、口火を切った。

        「あ、えーと・・・・・・真太くんの、『世界で一番好きなのは』ってあたり、から・・・・・・」
        薫の頬が、ますます赤くなる。あの状況で、自分が話題の中心になっていて、まさかひょっこり途中で顔を出すなどできるわけがなかった。
        そして、子供相手に必死になっていた剣心も薫が傍にいることには全く気づかなかった。


        「・・・・・・きゃっ! ちょ、ちょっとちょっと、何っ!?」


        がしっ、と。両手首を剣心に捕まえられた。力をこめて押されて、薫はばたばたと後ずさりしながら壁の方へと追い詰められる。
        「ひゃっ・・・・・・」
        どん、と背中に壁が当たる感触に、薫は驚いて目を閉じた。掴まれた手首が、そのまま壁に貼りつけられる。

        「・・・・・・違うから」
        目を開けると、すぐ近くに剣心の顔があった。暗く影が落ちて判りづらいけれど―――なんだか苦しそうな、思いつめたような表情に見える。
        「違う・・・・・・って、何が?」
        「初恋だから、彼のほうが拙者より薫殿のことを好きだというのは・・・・・・あの理屈は、違うでござるから。間違っているから」
        ぎゅっと、剣心は薫の細い手首をつかんだ手に力をこめる。彼女が逃げ出すわけがないとわかっていながら、そうせずにはいられなかった。


        「あの、そんなこと勿論、わかっているけど・・・・・・ねぇ、剣心」
        壁に押しつけられた薫は、剣心のあまりに必死な様子に戸惑って、気遣わしげに彼の目をのぞきこむ。







        「えっと、ひょっとして・・・・・・巴さんのこと、気にして言ってるの・・・・・・?」















        
8 「彼女の思い出」へ 続く。