道場に通された真太は、持参してきた竹刀をするりと袋から出した。
それを手に、道場の中央に歩を進める。
剣心も、壁に掛けられた竹刀を取り、真太の正面へと進み出た。
「お願いします」
互いにそう言って、一礼する。
頭を上げた真太は、竹刀を構え剣先を剣心の喉元へと向ける。剣心も、彼に合わせて同じ形に構えた。
真太からの食らいつくような視線を感じながら、剣心は「相手からは絶対に目を逸らすなと教えられたのかな」と思う。もっとも、彼の視線からは「敵意」と
しか表現できない意思がびしばしと伝わってきて―――これは、教わったものではないだろう。
「どこからでも、どうぞ」
静かな声音でそう言われ、真太の顔つきが更に険しくなった。
「・・・・・・はぁっ!」
気合とともに、真太は床を蹴る。
真っ正面から打ちに来たのを、剣心はすっと身体をずらして避けた。
一撃目をあっさりかわされた真太はたたらを踏んだが、すぐに一歩下がって竹刀を構え直した。二打目を打ち込もうと再び飛び込むが、剣心はそれをまた
かわす。続けざまに攻撃を避けられた真太は悔しそうに歯噛みをし、それでも繰り返し腕を振り上げた。
剣心は小さな動きで竹刀をよけながらも、「成程、見どころはあるかもな」と思った。
真太が剣術を始めたのはつい最近である。当然足捌きも竹刀を返す動きもまだまだぎこちない。しかし、振り下ろす竹刀にこもった力の具合や発条のきい
た体捌きを見るに、この少年は伸びそうな気がする。また、剣術を始めた動機は不純であったが、それでも日々の稽古には真剣に取り組んでいるのだろ
う。でないと、いくら素質があったとしても短期間でここまで行き着くのは無理である。
剣心は少なからず真太の素質と努力に感心したが―――まだ彼の攻撃に一太刀も応じていなかった。
打ち込んでくるのを払うわけでもなくただかわし続け、体当たりを仕掛けられてもぱっと飛び退いて間合いから逃れる。
真太は剣先が延々と空を斬り続けることに業を煮やし、だん、と足を鳴らすと苛立たしげに怒鳴った。
「いい加減にしてください! 俺を馬鹿にしているんですかっ!?」
勝負が始まってからずっと一方的に動かされてきた真太は半ば息があがって、顔もすっかり紅潮している。もっとも、顔が赤いのは怒りによるところが大き
いだろう。しかし剣心は真太の激昂に眉ひとつ動かさず、「馬鹿にしてなどおらぬよ」と涼しい声で言った。
「してるじゃないですか! さっきから避けるだけでまったく相手にしようとしないで・・・・・・俺だって、あんたと俺とじゃ実力に天と地くらい差があることはわ
かっています! だけど、勝負を受けたからにはちゃんと相手をしてくれよ!」
剣心の実力については、前川道場に通う他の門下生たちから嫌というほど聞かされてきた。
とにかく強くて、明治になる前の戦争でも活躍をして維新志士の中では英雄と呼ばれていて、現在は警察からの信頼も篤く帯刀することも認められている
という。そんな相手に勝負を挑むなんて馬鹿げていると、自分でもわかっている。
だけど―――俺は負けて当然と思って、その覚悟で勝負を挑んだんだ。
それなのに、馬鹿にされて相手にすらされないなんて、そんなのは、納得がいかない。
真太は怒りをこめた目で剣心を睨む。もしも視線が刃の形をとれるのならば、それだけで相手を斬り裂けるような目であった。
が、剣心は表情を動かさないまま竹刀を右手に持ち替えて、すっとその手を下におろす。
「確かに、勝負は受けたでござる。だが―――おぬしが前川殿や薫殿から教わったのは、そんな剣でござるか?」
「・・・・・・え?」
真太は、訝しむように眉を寄せる。
剣心は指の関節が白くなるほど束を握りしめた真太の手を見て、それから彼の目に視線を戻した。
「そんな、人を傷つけようとして振るう剣は、おぬしは教わっていない筈だ」
真太の瞳が、動揺にゆらいだ。
「おぬしが拙者に叩きつけているのもは・・・・・・闘気や敵意というよりは、もはや殺意の一歩手前でござるよ。相手を害する意思をもって剣を振るうなら、そ
れは勝負とはいえぬ」
真太は肩で息をしながら、剣心が静かにそう説くのを黙って聞いていた。
繰り返す大きな呼吸がようやく落ち着いてきた彼は、そのまま目を閉じた。そして―――
「・・・・・・お願いします」
長い沈黙の後、目を開けた真太は改めてそう言って、もう一度竹刀を構えた。
剣心はじっと真太の目を見て、ゆっくりと頷く。
腕は、下ろしたままの無形の位だった。
けれど、真太は今度こそ剣心がちゃんと剣を交わしてくれることを確信していた。
いや、違う。「今度こそ」なのは俺のほうだ。今度こそ、前川先生や薫さんから教えられたとおりの剣で、あいつと、勝負をするんだ―――
「・・・・・・やあっ!」
裂帛の気合とともに、まっすぐに飛び込む。
相手から目を離さずに、狙いを定めて渾身の一撃を打ち込む。
しかし、真太の竹刀は剣心には届かなかった。
それまで床を向いていた剣先がどのようにして動いたのか、真太の目はその速さを捉えることはできなかった。
ただ、素早く跳ね上がった剣心の竹刀が、自分の力の限りの打ちを難なく払ったのはわかった。竹刀を取り落とさないことが、精一杯だった。
剣心は、竹刀を返してそのまま振り下ろす。そこにあるのは、何の防御もされていない真太の左肩だった。
打ち込みはしなかった。
振り下ろされた竹刀は、空を切って真太の肩の上、触れるか触れないかの位置でぴたりと止まった。
しかし、それだけで―――ろくに触れてもいないのに、真太の肩に衝撃が奔る。
「・・・・・・!」
痛みはなかった。ただ、肩から強烈な痺れが腕に伝わって、たまらず真太は竹刀を手から落とす。
衝撃の余波に、真太はがくりと膝をついた。
竹刀が黒ずんだ床の上に落ちて転がるのが、視界の隅に映りこむ。
「大丈夫でござるか?」
剣心の声が上から降ってきた。
のんびりとした緊張感のない声だったが、今度は馬鹿にされているとは感じなかった。
真太は頷くと、床に手をついて立ち上がる。痺れは既に、嘘のように消えていた。
「・・・・・・参りました」
悔しかった。
しかし―――自分はちゃんと「勝負」をしたのだから、それを締めるこの一言はきちんと口にしなくては、と思った。
7 「ただひとり」へ 続く。