13  返事









        「・・・・・・で、前川道場の子たちと一緒に、弥彦もその『計画』に加担した、と」



        こめかみをひきつらせながらそう言う剣心に、弥彦は「・・・・・・ごめん」と小さく頭を下げて謝った。
        縁日会場で騒ぎを起こした実働部隊の少年たちは真太を除く全員が召し捕らえられ、今は神主たちからみっちり説教をされているところだ。弥彦と、そし
        て燕は騒ぎには直接関与していないので捕まることはなかったが―――そのかわり、こうして縁日の賑わいからすこし離れた場所で剣心から尋問を受け
        ている最中である。

        殺気までとはいかないが、それでも剣心からは触れれば切れそうな怒りの気配が発せられていて、弥彦は「だから嫌だって言ったんだ」と真太や他の少
        年たちにむけて心の中で毒づいた。


        「どうして協力などしたんでござるか・・・・・・常識的に考えておかしいでござろう、薫殿は拙者の妻でござるよ!?」
        「いや、俺はだからこそ大丈夫だよなーと思ってさ。だって薫がお前以外の男になびく訳ねーから、真太も当たって砕けりゃ諦めるだろうなーと思って」
        「それはそうかもしれないが、だとしてもこんな馬鹿な話・・・・・・」
        剣心は額に手を当てて首を横に振り、「だいたい、燕殿まで巻き込むことはないでござろう・・・・・・」と疲れたような声で呟いた。縁台に腰かけた燕はびくっ
        と肩を竦めると、おずおずと唇を動かす。

        「あの、すみません・・・・・・わたしも弥彦くんから頼まれたときは、剣心さんと薫さんを騙すみたいで、こんなこといけないなって思いました。でも・・・・・・」
        燕はうつむいていた頤をあげ、剣心の顔を見る。そして、小さいけれどはっきりした声で言った。


        「・・・・・・真太くんが、悲しいなって思ったんです」


        剣心は、怪訝そうに眉をひそめた。
        それは弥彦も聞いていなかった話だったので、彼も剣心と同様の反応を示す。
        「だって・・・・・・好きなひとに、他に大好きなひとがいるのって、悲しいじゃないですか。どんなに願っても真太くんの想いは、絶対に叶わないわけじゃない
        ですか。だから、叶わなくてもせめて、ひとこと好きだって言う機会だけでもって、そう思って、わたし・・・・・・」

        燕が語った思いがけない「協力した理由」に、剣心は曰く言い難い表情で天を仰ぐ。
        そして、弥彦は弥彦で―――なんというか、感心してしまった。


        今の発言からすると、燕は純粋に真太に同情してこの計画に協力したといえる。しかし燕は、真太の想いをきっぱりと「叶わない」と言い切ったのだ。
        燕自身、意識はしていないのだろうが―――それはかなり容赦のない発言で、そして、それこそが真実なのだ。

        真太は、望みがない恋と自分でも思いながらも、万が一億が一の可能性に賭けて、今日の日に臨んだ。
        一方の剣心は真太の恋に望みがないとわかっていながらも、万が一億が一の不測の事態を恐れて今も落ち着かずにいる。
        彼らよりも燕のほうが、よっぽど本質を見極めているように思った。


        「・・・・・・きっと、薫もそうなんだろうな」
        弥彦は剣心と燕には聞こえないように、口の中でこっそり呟く。そして漠然と「女って強ぇなー」と思っていると、ぽん、と剣心の手が頭に乗せられた。

        「薫殿が言っていた『小さい社』とは、あちらでござるか?」
        顎をしゃくった剣心に、弥彦は「そうだけど」と頷く。
        「じゃあ、ちょっと行ってくるから、ちゃんと燕殿を送ってやるでござるよ」
        「おい、待てよ! どうして社に薫たちがいるってわかっ・・・・・・」

        そこまで言ってから、弥彦はしまったと手のひらで自分の口を覆った。
        「なに、先程薫殿と社の話をしているとき不自然に遮られたから、そうではないかと思ってな。野暮な真似はしないつもりだが、奴が薫殿に妙な真似をしな
        いよう見張っておかねば」
        「・・・・・・薫だったら真太に何かされそうになっても、余裕で撃退できるだろ」
        「だとしても、とどめを刺すのは拙者だ」
        「って、おい! とどめって・・・・・・」
        「言葉の綾でござるよ」
        剣心はそう言って軽く手をあげると、社へと向かって歩き出した。




        弥彦は剣心の背中が小さくなるのを見送ってから、燕に「縁日、もうちょっと見てから帰るか?」と尋ねる。
        真太の「叶わぬ恋」の事を思ってか浮かない顔をしていた燕だったが、弥彦の提案に少し微笑んで、頷いた。







        ★







        真太の告白―――というか求婚に、薫は目が点になった。
        いや、だって、夫婦にって、それは―――無理に決まっている。




        「・・・・・・あの、真太くん? 知ってのとおりだと思うんだけど、わたし、剣心の奥さんなんだけれど・・・・・・」


        明らかに困惑している薫に対し、真太は「はい、知っています」と大真面目に答える。
        「だから、俺が薫さんにとって剣心さんと同列かそれ以上の存在になるとしたら、薫さんと夫婦になるしかないじゃないですか」
        「でもわたし、いっぺんにふたりの奥さんになんてなれないわよ?」
        「はい、あと何年かたってまた会えたとき、俺が剣心さん以上の男になっていたら、剣心さんとは別れてください」

        薫は、危うく吹き出してしまいそうになるのを、すんでのところで押しとどめた。
        確かに、薫は既に剣心と「夫婦」という関係にあるのだから、それに対抗し尚且つ超えるためには他に方法はないだろう。ずいぶんと単純というかいっそ
        滅茶苦茶な論法ではあるが、わからない理屈でもない、と薫は思った。


        滅茶苦茶ではあるけれど、真太が本気なのだということは、目の前の彼の表情を見ればすぐにわかる。
        本気で、薫と結ばれたいと思って、そのためにはどうしたらよいのか熟考して行き着いた結論が、この「求婚」なのだろう。

        彼は、真面目にわたしとのことを考えている。そして、真剣に想いをぶつけてきた。
        それなら―――わたしも、真剣に答えなくては。



        「・・・・・・ごめんなさい、それはできません」



        稽古をつけるときと同じ、はっきりと通る声で、薫が言った。
        張りつめていた糸が切れたかのように、真太の表情が揺れた。


        断られることはわかっていた。けれど、一縷の望みもかけていた。
        だから、こうやってきっぱり告げられるのは、相当に―――きつかった。



        「・・・・・・やっぱり、駄目ですか」
        「うん、ごめんなさい」
        「俺・・・・・・少しの望みも無いですか? 今の俺じゃなくて、未来の俺にも」
        時が経てば、人は成長するし、人の想いも変わるだろう。そこに僅かな期待をこめて訊いたが、薫は首を横に振った。
        「わたしね、一年半前にはじめて剣心に逢ったの。出逢ってすぐに、彼のことを好きになったわ」

        ふっと、薫の目が遠くを見るような色を帯びる。
        一年半など、たいして昔のことでもない筈なのだけれど、それから起こったさまざまな事件や別れや再会などのことを思うと、あの冬の終わりの出逢いが
        遥か前の出来事のように感じられる。

        「一緒にいるうちにもっともっと好きになって、剣心も同じ気持ちでいてくれたから―――夫婦になったの」
        「・・・・・・それが、半年前ですか」
        どうして、それより前に出会えなかったんだろう、と。繰り返し何度もそう思っていたから、真太はその年数をそらんじることができた。薫は頷いて、唇に優
        しい笑みを乗せる。
        「それでね、夫婦になってから、わたしはもっともっと剣心のことを好きになったの。出逢った頃よりも祝言を挙げた頃よりも―――どんどん剣心を好きにな
        ってるんだ」


        物語なら、困難の末ふたりが結ばれたら、そこで「めでたしめでたし」で幕は下りる。けれど、実際はそこからが始まりと言ってもいい。
        剣心との関係が「夫婦」というものに変わって、ふたりで一緒に幸せを作りながら歩いて行こうと約束をして―――そうして日々を過ごしてゆくなか、彼へ
        の想いが確実に育っているのを、薫は感じていた。
        きっと明日は、今日よりも彼のことを好きになっている。明後日にはもっと、その先も、もっともっと―――

        「これから何年か経って、真太くんが会いに来てくれる頃のわたしは、きっと今とは比べものにならないくらい、ずーっと剣心の事を好きになっているわ。だ
        から・・・・・・」
        「・・・・・・同列に追いつくことも、それ以上にも、なることは、できないんですね」


        これ以上、その事実を薫の口から聞くことに耐えられなくなって、真太は自分から言った。
        どうしてだろう。きっと、想いはちゃんと届いている。俺がどれだけあなたのことを好きなのかは、きっとわかってもらえている。



        でも、想いが届いても―――決して、受け入れられないのは、どうしてなんだろう。



        「昨日、聞いていましたよね。薫さんのことを世界で一番好きなのは俺だって、剣心さんに言っていたのを」
        「・・・・・・うん」
        「今でも、俺はそう思っています。俺の心の中にいるのは、薫さんただひとりだからです。それでも・・・・・・」
        剣心さんのほうがいいんですか、と。最後は口の中で小さく呟くように言った。悪あがきだと知りながらも、言わずにはいられなかった。

        薫は、昨日の剣心と真太の会話を思い出す。
        「初めての恋だから、俺の心の中には薫さんしかいません」と真太は言った。
        もしも、「心」というものに目に見える大きさがあって、その「容量」が限られているとしたら、真太の理屈は通るのだろう。
        けれど、それは違うということを、薫はちゃんと知っている。



        「わたしはね、剣心が今まで好きになったひととか、出会ってきた様々な出来事とか、彼が過ごしてきたこれまでの時間とかを全部含めて、剣心が好きな
        の。だって―――それがなかったら、今の剣心はないんだもの」

        出会いや別れ、喜びや悲しみ、経験してきた出来事や様々な感情。そのすべてが、今の剣心を形成している。
        いや、彼だけではなくて―――ひとは、誰もがそうなのだ。



        「それに、気づいていないかもしれないけれど、真太くんが好きになってくれたわたしだって、『剣心のことが好きなわたし』なんだよ?」
        「・・・・・・意味、わかりませんよ」
        俯いてそう答えた真太に、薫は少し困ったように微笑む。
        そして、ちらりと社の後ろの藪に視線を走らせてから、改めて彼を見据えて、ぺこりと頭を下げた。



        「ごめんなさい・・・・・・でも、ありがとう。東京を離れても、元気でね」



        それだけ言って、薫はそっと一歩後ずさり、真太に背を向けた。
        そして、縁日の喧騒へ向かって歩き出す。








        真太は、顔を上げられなかった。
        顔を上げたら、こらえている涙が目からこぼれ出てしまいそうだったから。

        しばらく下を向いたまま、薫の気配が充分に遠ざかるのを待って―――
        手にしていた狐の面を、思い切り地面へ叩きつけた。






        「八つ当たりは良くないでござるよ。物とはいえども可哀想だ」






        がさ、と社の後ろの藪が音を立て、のんきな声とともに顔を出したのは、剣心だった。


















        14 「決着」へ 続く。