12  真太と薫









        「こら待て・・・・・・! ええい、待てと言うのに!」



        縁日の会場で騒ぎを起こした少年たちと、それを追いかける大人たちの追いかけっこはしばらく続いたが、結局はひとりまたひとりと捕まえられて、残すは
        最後のひとりとなった。
        夜店が賑わう通りから逸れて、参道の脇の道に逃げ込んだそのひとりにも追っ手は迫り―――

        「くそっ! この、ちょこまかと・・・・・・!」
        狐面の少年と追っ手の大人は、小さな社の周りをぐるぐる走り回る。しかし、じきに少年の肩に大きな手がかかった。
        「うわぁっ! ごっ、ごめんなさいっ! 放してー!」
        「って、こら! 放すのはお前のほうだろうが!」

        捕まった少年は、半ば反射的にそばにあった社に手を伸ばす。
        お堂の扉のあたりを掴んだ少年はそのままそこにしがみつき、彼を追いかけてきた男は引き剥がそうとして少年の腰を抱えて引っ張った。


        がたん、と。鈍い音がした。


        引っ張られるのに音をあげたのは、少年よりもお堂の扉のほうが先だった。固く閉じられていた観音開きの扉の片側が開き、そして少年が指をかけていた
        扉の木彫り細工の部分が、ぱきっと乾いた音を立てて折れた。

        「あああああっ!」
        追いかけっこをしていたふたりは、図らずも声を揃えて叫んでしまった。
        「あああ・・・・・・ったく、なんてことするんだこの罰当たりが・・・・・・」
        男は少年から手を離し、壊れた扉に触れる。
        「ごめんなさいっ! 壊すつもりなんてなかったんです、ほんっとーにごめんなさいっ!」
        面を外して、地に頭がつくくらい深いお辞儀を繰り返す少年に、男はため息をついてその頭をぽかりとひとつ殴った。
        「まぁ、古い社で相当ガタもきていたから、仕方はないなぁ・・・・・・それにしても、手間をかけさせるからこんなことになるんだぞ」
        男は「他の連中とまとめて灸をすえてやるからな」と言うと、しおらしくうなだれた少年を連れていこうとする、が―――


        「そういや、さっき・・・・・・もうひとり誰かの声が聞こえなかったか?」
        先程扉が壊れたとき、声を揃えて叫んでしまったときの事である。
        「・・・・・・いえ、聞こえませんでしたよ?」
        「そうか? 女の声が聞こえたような気がしたんだが・・・・・・まぁ、気のせいか」



        男は首を傾げながらも「空耳」で納得したようで、少年の襟首を捕まえると「じゃあ行くぞ」と促した。






        ★






        「・・・・・・危なかったぁ」
        「薫さん、声出さないでくださいよ。見つかっちゃうところでしたよ」
        「ごめんごめん・・・・・・だって、びっくりしたんだもん」


        彼らが充分遠ざかってから、近くの茂みに身を隠していた薫と真太はがさがさと藪をかきわけ姿をあらわす。
        薫は社に駆け寄ると、壊れてしまった扉に手をかけて、眉を下げた。
        「ああ・・・・・・ほんとに折れちゃってる・・・・・・この飾りの部分、可愛くて好きだったのに」
        先程剣心にもちらりと話したが、この小さな社の扉の木彫りはお気に入りだったのだ。格子の上に花や小鳥の意匠が散りばめられ、子供の頃から可愛い
        なぁと思っていたのに―――
        「・・・・・・すみません、俺たちの所為で壊れちゃって」
        「ううん、きっとちゃんと直して貰えるわよ。だいぶ古くなっていたから、ひょっとしたら両方の扉とも新しくしてもらえるかもしれないし」
        そう言って薫は扉から手を離し、くるりとつま先と真太のほうに向けた。

        「・・・・・・『俺たち』って言ったけれど、当然前川道場の子たちよね」
        「あと、騒ぎには直接かかわっていませんけれど、弥彦と燕ちゃんにも協力してもらいました」
        素直に「白状」する真太に、薫は「ずいぶん大がかりねぇ」と笑った。縁日の会場までも巻き込んでのこの大騒ぎは、真太が薫を連れ出すためだけに練ら
        れた計画なのだろうから。


        「だって、こうでもしなきゃ俺、薫さんとふたりきりにはなれないじゃないですか。だから皆、やるなら思い切ってやろうって言ってくれて」
        薫は、そんなことはないと言いかけてとどまった。確かに、ここ最近の剣心は出稽古先までついてくる程の牽制っぷりだったし、その上昨日は道場での
        「あんたはふさわしくない」の一件もあった。あれで彼の防御がさらに堅牢になることは想像にかたくない。薫は少し苦笑して「うん、確かにそのとおりか
        も」と真太の言を認めた。

        「それに俺・・・・・・もう、あんまり時間が残ってないから、悠長に機会を待っていられなかったんです」
        「え?」
        先程までかぶっていた狐の面を弄びながら、真太は続けた。


        「俺、東京を離れることになったんです。もう来週には、叔父さんの家を出ることになりました」
        「え、どうして・・・・・・? だって、それじゃあ真太くん・・・・・・」


        もう、家族もいないのに、独りでどこに行くのだろうかと、薫は気遣わしげに眉を曇らせた。しかし真太はそんな薫に笑顔をむける。
        「大丈夫ですよ。ちゃんと行くところも決まっているし、待っていてくれるひともいるんです」
        「そう・・・・・・なの? えっと、叔父さんたちと、何かあったとかじゃなくて・・・・・・」
        「いえ、叔父さん家族はとてもよくしてくれました。別に、出ていけって言われたわけじゃないですよ?」
        「待っててくれるひとって・・・・・・他のご親戚とか?」
        「はい、そんなところです。俺も大好きなひとたちなんで、心配しなくてもほんとに大丈夫ですよ」

        真太の声には前向きな張りがあって、薫を安心させるためにでまかせを言っているようには聞こえなかった。彼の瞳を覗きこむようにして話を聞いていた
        薫は、それを確認してふっと肩から力を抜く。
        「それに、剣術だって続けますから。せっかく前川先生や薫さんに教えてもらったのに、ここでやめるなんて勿体ないし悔しいですから」
        「・・・・・・そうなんだ」
        薫は微笑んで、小さく首をかしげた。髪に飾られた蝶のかんざしが、しゃらんと涼しい音を鳴らす。
        真太は今更ながら、いつもと違った髪型の薫が、いつもより大人の女性らしく見えることに気づき―――なんだか胸が苦しくなって視線を手元に落とした。


        弥彦はたびたび薫のことを「美化しすぎだ。あいつは淑やかさのかけらもない凶暴な男女だぞ?」などと評しているが、彼はあんまり近くにいすぎるから判
        らないだけなんだろう、と心の中で反証を唱える。
        ―――俺からしてみると薫さんは元気で明るくて、でも、やっぱり俺より年上なぶんちゃんと大人な、ひとりの女性だ。

        その、年の差と。彼女には既に大事なひとがいるということが決意を鈍らせるけれど―――
        それでも、みんなの力を借りてこの状況をつくることができたんだ。だから、これだけは、きちんと言わなくては。


        「薫さんは、聞いていたんですよね。昨日の、俺と剣心さんとの会話」
        「あ、うん・・・・・・途中からだけど」
        「俺の気持ちも、知っているって事ですよね」
        「・・・・・・うん」

        いきなり自分から核心を突いてきたので、却って薫のほうが戸惑った。
        そうだ、昨日は剣心の発言に舞い上がってしまったが―――真太だって「好き」と言ってくれたのだ。あんなに力をこめて、まっすぐに。


        「・・・・・・薫さん」
        「・・・・・・はい」


        かすかに震えた語尾から真太の緊張が伝わってきて、薫も思わず神妙に返事をする。
        「俺、東京を離れますけれど―――いつかまた、薫さんに会いに来ます」
        知らず知らずのうちに、張り子の面を縁を掴む指に力が入る。もう片方の手も、てのひらに爪がくいこむくらい固く固く握りしめる。



        「もっと剣の修行をして、もっともっと強くなって、薫さんにつりあうくらいの大人になったら会いにきますから、その時は―――」



        そこで、真太は言葉を途切れさせた。ほんの一瞬目を閉じて、息をすっと吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
        そして、心を決めたように目を開けて、告げた。








        「俺と、夫婦になってください」















        13 「返事」へ 続く。