11  決戦の縁日









        水色の地に、白い夏椿が染め抜かれた綿絽の浴衣に、生成の帯を締める。
        リボンはどれを結ぼうかな、と鏡を見ながら唇に指をあてた薫は、思いついて鏡台のひきだしを開けた。



        「お待たせー!」
        数分後、薫の姿を見た剣心は思わず顔をほころばせた。
        いつもと違って、薫の長い黒髪は頭の上のほうでまとめあげられ、青い蝶の飾りがついたかんざしが挿されている。それは少し前に剣心が贈った物だ。

        「どうかしら?」
        小さく頭を揺すると、しゃらん、と蝶も揺れる。剣心は目を細めて「似合っているでござるよ」と答えた。
        「うちの旦那様の見立てが好いおかげです」
        「いやいや、うちの細君は何を身につけても似合うゆえ」
        互いに、おどけた口調でそう言いあって笑って、ふたりは薄暮の中縁日へと出発した。











        「わぁ、燕ちゃんかわいいー!」


        燕の浴衣は、白い地に色とりどりの毬が散らされた愛らしい意匠だった。縞や花柄の手毬が転がる模様の浴衣に珊瑚色の帯を文庫に結んだ燕は、挨拶
        するより早く「かわいいかわいい!」と薫に連呼され、顔を真っ赤にしてうつむいた。
        「なんだよ、お前もしかしてそっちの趣味もある人かよ?」
        「何よー、かわいい子をかわいいって言うのは当然の事でしょう? あんたが言ってない分わたしが代わりに言ってるんだから、ありがたく思いなさい」
        「へいへい、それはお気遣いアリガトウゴザイマス」
        弥彦はまったくの棒読みでそう返す。いつもなら「あんたの代わり云々」などと茶化すようなことを言われたものなら黙ってはいないのだが、この後起こる
        予定の事についてを考えると、そんな気も見事に削がれてしまう。

        傍らに立つ剣心をちらりと見上げた。すると、彼は弥彦の視線をどういう意味に受け取ったのか「いや、薫殿にそっちの趣味はないでござるよ。あったら拙
        者が困る」と大真面目に言ったので、弥彦はひとつ大きくため息をつく。


        「そういえば燕ちゃん、風邪は大丈夫だったの?」
        「あっ、いえ、その・・・・・・ぜんぜんだいじょうぶですっ! ごしんぱいをおかけしましてっ!」
        何故か、半分以上ひっくりかえった声が返ってきて、薫は目をぱちくりさせた。







        ★







        「・・・・・・来たか?」
        「うん、薫さんと剣心さんと、弥彦と燕ちゃんもいる」
        「ここまでは、予定どおりだな」
        「じゃあみんな、時間になったら」
        「ああ、作戦開始だ」



        参道から少し離れた藪越しに様子を窺っていた少年たちは頷きあって、用意しておいた揃いの面に手を伸ばした。







        ★







        「結構人が出ているでござるなぁ」


        延々と途切れない人波に、剣心は驚嘆の声をあげる。
        初夏の長い日も落ちて空は夕闇の藍色を深めてゆくが、沢山の灯籠や提灯がともされた縁日の会場は昼間のように明るく、また人出もどんどん多くなっ
        てくるようだった。
        「ここ、初日はいつもこんな感じなのよ。はぐれないよう気をつけなくちゃね」
        「はいっ、気をつけますっ」
        ぴしっと背筋を伸ばして、燕が返事をする。その様子に剣心と薫は「今日はずいぶんかしこまっているなぁ」と不思議に思ったが、弥彦と一緒に夜店という
        状況に緊張でもしているのかな、と揃って考えていた。一緒とはいっても、保護者同伴ではあるのだが。


        「しっかし、こんなに混みあっていたら落ち着いて飲み食いもできないなー」
        鼈甲飴を舐めながら目は白玉売りに向けている、という忙しい状態の弥彦がそう言い、薫はちょっと首をかしげて「あとで、お社のほうで一休みしましょう
        か」と提案した。
        「おろ? しかし、あちらはもっと凄い人なようだが・・・・・・」
        縁日の客たちの頭の向こうにある、神社の拝殿を眺めながら剣心は尋ねた。が、薫はそう訊かれるのは想定済みだったようで、ぴっと人差し指をあさって
        の方向へと向ける。
        「うん、本殿のほかにもね、むこうの方にももうひとつ、ちっちゃなお社があるのよ」

        薫の説明によると、この神社の敷地内にはもうひとつ小さな摂社があるらしい。中央の参道から少し脇にそれた先にあるので、その辺りなら人も少ないだ
        ろう、ということだった。

        「別の神様を祀っているのでござるか」
        「うーん、わたしもよく知らないんだけれど、この神社ができる前からこの場所に祀られていたみたい。だから、土地神様みたいなものじゃないかしら。で
        も、そのお社が古いんだけど可愛くてね、こんなに小さくて、お堂の扉に花の模様が木彫りされていて・・・・・・」
        薫が「小さなお社」について話し出したのを聞いて、弥彦は慌てたように棒に残った飴を噛み砕いた。口の中に残った甘い欠片をまとめてごくんと飲み込
        む。


        「剣心、時計持ってるか?」


        おもむろに訊いてきた弥彦に、剣心も薫もきょとんとする。白っぽい縮を着流しにして逆刃刀を落とし差しにした剣心は、帯に挟んでいた時計を引き出して
        みせた。
        「持っているでござるが・・・・・・」
        「今何時だ?」
        「そろそろ七時でござるな」
        「正確には? 何時何分だ?」
        「六時五十分、でござるが」
        「・・・・・・悪ぃ、あんがとな」

        薫は「何か、予定でもあるの?」と首を傾げたが、弥彦はそれに答えず「今の時間」とはまったく関係のなさそうな言葉を口にした。
        「なぁ、あっちに鳩笛を売ってる店が出てるんだ。行ってみねーか?」
        女子ふたりは可愛らしいキーワードにきらきらと目を輝かせて、「行く!」と声を揃える。ただし燕は、すぐに何かを思い出したかのように、ぐっと顔を引き締
        めた。







        ★







        「今、何時だ?」
        「えーと、六時五十五分」
        父親から時計を借りてきたという少年が、暗がりの中眉間に皺を寄せ文字盤を読み上げる。
        「あと五分か」
        「いよいよだな」
        「怒られるだろうなぁ・・・・・・」


        「位置」についた少年たちは、皆すっぽり面を被っており互いの表情を知ることはできない。
        だが、顔は見えなくてもその声で、誰もが少なからず緊張していることは判った。


        「ま、ひとつ腹をくくって、後のことは考えないようにしようぜ」
        皆を鼓舞するように、ひとりが殊更に明るい口調で言い、全員がその声に大きく頷いた。







        ★







        「見てみて、この子すっごく可愛い!」
        「薫さん、ほら、こっちの子も・・・・・・」


        売台に並ぶ、鳩をかたどった笛を前にして、薫と燕ははしゃいだ声をあげる。
        店番の若い女性がふたりに「津軽の鳩笛ですよ」と解説をする。鳩笛作りは津軽の焼き物職人の冬の間の仕事で、雪の季節に作りためておいたのをこの
        ように春夏にかけて売るらしい。白の地の美しさを生かすように、明るい藤色や緑色で羽の模様が描かれて、瞳はつぶらで南天の実のような赤。並んだ
        鳩たちは同じ色彩と筆遣いで色がのせられているが、顔つきは一羽一羽が微妙に違っている。

        鳩笛たちの前にしゃがみこんだ薫と燕は、「いちばん可愛い子を探そう」と熱心に吟味をし始め、男ふたりはその後ろに立って彼女たちの背中を眺めてい
        たが―――ふいに、剣心は弥彦に尋ねた。


        「あらかじめ、調べておいたのでござるか?」
        「え?」
        「鳩笛の店が此処に出ている事を、調べておいたのか、と」
        薫と燕に聞かれないように、と、剣心はごく抑えた声で訊いた。
        「そりゃあ、まぁ・・・・・・一応な」
        それに対する弥彦の返答はどうも歯切れが悪く、剣心はすっと目を細くする。

        「本当は、何を企んでいるのでござるか?」
        「え?」
        「弥彦も燕殿も、先程からどうも様子がおかしいでござるからな。こうして拙者たちを縁日に連れ出したのは、何か目的があってのことでござろう?」
        やはり声は小さかったが、しかしその声音には有無を言わさぬ迫力があり、弥彦は思わず何もかも正直に話してしまおうかと思った。実際、ここまできた
        らもう話してしまっても同じ事なのかもしれない。でも―――


        「・・・・・・あのさ、剣心」
        「うん?」
        「・・・・・・ごめん」


        出しぬけの謝罪に、剣心は眉をひそめた。
        と、同時に時計の針が午後七時を指し―――その、瞬間。



        どぉん、と。
        縁日の会場に、大きな音が響いた。



        驚きに言葉を失った人々の上に一瞬の静けさが降り、すぐに前以上のざわめきが戻ってくる。
        何だ何だと皆がどよめく中、音はまだ続いていた。
        どぉん、どぉん、と。地面を震わすような低く大きな音が。


        「・・・・・・太鼓?」
        鳩笛を置いて立ち上がった薫は、小さくそう呟いた。そうだ、神社には盆踊りや神輿が出るときに鳴らす太鼓があった筈だ。普段は仕舞ってあるそれを、
        誰かが叩いているのだろうか。
        しかも、太鼓に重なってめちゃくちゃな調子で吹かれる笛の音や、乱暴に鳴らす鐘の音も聞こえる。ばちばちと、爆竹のはぜる音まで。
        どう考えても、これは神事でも縁日の余興でもないだろう。と、いうことは何者かの悪戯だろうか。


        「こら待てぇぇぇ! この悪餓鬼どもぉぉぉ!」


        わっ、と。参道にあふれる人波の一部が揺れた。
        どうやら、悪戯の犯人は子供たちだったらしい。神社に忍び込んで仕舞ってあった太鼓や祭りの鳴り物を勝手に使って大騒ぎをしたようだ。悪さをした子供
        たちは数名の大人に追いかけられ、縁日の人混みをかき分けるようにして逃げ惑う。

        その子供たちのいでたちが、なんとも奇妙だった。背格好はばらばらだったが、皆揃いの白い狐の面を被って、顔を隠しているのだ。
        十名程の少年が狐面を被って逃げ走る異様さに、縁日の客たちはぎょっとして道をあける。すれ違った娘が驚いて悲鳴をあげ、避けそこねた小さな子供
        が尻餅をついて泣き出したりと、あたりは瞬く間に騒然となった。

        剣心は騒がしい気配が近づいてくるのを感じて、薫たちを庇うようにして参道側に立った。大人たちの怒声と、賑やかな足音が迫ってきて―――人々の間
        を縫うようにして逃げる一団の先頭の、白い狐の顔が、剣心たちの視界に入る。



        「きゃあっ!?」



        薫が悲鳴をあげたのは、狐面の集団に驚いたからではない。
        隣にいた弥彦が、突然ものも言わずに薫の腕を引っ張り、そのまま道の真ん中へと突き飛ばしたからである。



        「薫殿っ!?」
        「・・・・・・ごめんなさいっ!」
        すぐに薫を救けに動こうとした剣心の腰に、がばっと燕が抱きついた。
        「っ!? 燕殿、何を・・・・・・」
        思いがけない方向からの「妨害」に剣心は驚き、そして困惑する。がっちりとしがみついてくる燕を、無理に振りほどくわけにもいかない。たたらを踏む剣心
        の目の前を、少年たちが走り抜けてゆく。

        そのうちのひとりが、弥彦に突き飛ばされて参道によろめき出た薫の身体をぱっと受け止めた。
        「えっ・・・・・・?」
        振り向くと、自分を支えてくれた少年の顔が見えた。と、いっても顔は狐の面に隠れているのだが―――



        「きゃっ!」
        少年は、薫の手を取ると無言のまま駆け出した。
        ぐい、と引っ張られて、薫の足も一緒に前に出る。

        「かおるっ・・・・・・!」
        背中から剣心の声が聞こえて、薫は足を止めようとした。
        引っ張る力はそれなりに強いけれど、このくらいならその気になれば振りほどけるだろう。でも―――



        手をひいて走る少年の後ろ姿を見て、薫はこんな状況だというのについ口許をゆるめた。
        顔は見えないけれど、誰なのかはすぐにわかった。だって、高い位置で結った緋い髪が揺れている。剣心と、同じ色の髪だ。



        加減を知らないみたいに、ぎゅっときつく握られた手から、彼の―――真太の懸命さが伝わってくるようで、それがなんだか微笑ましかった。








        薫は心の中で「・・・・・・ごめんね」と呟き、真太に導かれるまま人波の中を走った。













        12 「真太と薫」 へ続く。