「夢のようだ」という表現は、概して素晴らしく良い状況を語るときに使われる言葉だ。
だが、それが「ようだ」ではなく、本当に「夢」だったならどうなんだろう、と。
布団に入る前に、ふと、そんなことを考えた。
つまり、今の君との暮らしとかこれまで築いてきた時間とかはすべて俺の見ている夢で―――
明日の朝目が覚めると、俺はひとり旅空の下にいるのではないか、と。
Over the dream
鏡台にむかって髪を編んでいる君に、それをそのまま口に出して言ってみた。
すると君は振り向いて軽く目をみはり、人差し指を頬にあてて「うーん」と小さく唸った。
「それって、いつ頃の剣心が見ている夢なのかしら?」
・・・・・・そんなところまでは想像していなかった。
と、いうか何故そんな質問をするのだろうかと少し驚きながらも、とりあえず考えてみる。
「そうでござるな、きっと・・・・・・薫殿にはまだ逢っていない、流浪人の頃の拙者が見ている夢でござろうな」
「そっか、それなら良かったわ」
これまた思いがけない台詞が返ってきて、今度こそ驚いた。いったい、今の話のどこに「良い」要素が含まれているというのだろう。
「だって、まだ逢っていないってことは、これから逢うってことじゃない」
頬から指を離して、君は楽しげに唇の端を上げた。
膝で歩いて、布団の上に座る俺のとなりにすとんと腰をおろす。
「ほら、よく正夢とか夢のお告げとかって言うでしょう? 剣心が見ているのは、きっとそういう類の夢なのね」
「お告げ・・・・・・でござるか?」
「それでね、目覚めた後、じきにわたしに出逢ってね、そして『ああ、夢で見た女性だ!』って恋に落ちるのよ」
・・・・・・つい、吹き出してしまった。
「駄目かしら、恋に落ちるの」
不満げに唇を尖らせた君に、俺はふるふると首を横に振る。
「いや、駄目じゃない。実際、そうだったでござるし」
そうだ、初めて逢った二年前の夜、今にして思うと、あの頃から想いは始まっていた。
そうか、これがもし夢だとしたら―――目が覚めた世界で俺はやっぱり君と出逢って、君と恋に落ちて君と夫婦になるのだろう。
「・・・・・・だとしたら、その出逢いでは今度こそ、薫殿を泣かせたりはしないでござるよ」
もしも、これが夢だとしたら―――目が覚めた世界では、今度こそ君を悲しませたりはしない。
さよならを告げて突き放したり、危険に晒してしまったり離ればなれになったり、そんな辛い目には二度と遭わせたりするものか。
「ありがとう。でも、そういうのも全部含めて、わたしは剣心に出逢えてよかったと思ってるんだからね?」
気持ちだけで充分よ、と微笑んだ君が、そっと身体を傾ける。
支えるようにして肩を抱きながら「身体は大丈夫?」と訊くと、くすくす笑いが返ってきた。
「そんな一日に何度も訊かなくても大丈夫だってば。妊婦は病人じゃないんだから」
「・・・・・・やっぱり、夢じゃないんでござるなぁ」
「なぁにー? 当たり前でしょうそんなのー」
笑いながら子猫のように頭を擦りつけてくる君を、抱きしめる。
お腹を押しつぶしてしまわないよう、気をつけながら。
―――ああ、そうか。「夢のようだ」というよりは、「夢にも思わなかった」と言うべきなんだ。
ほんの数年前、ひとり流れていた頃の自分は、こんな未来を想像することなんて出来なかった。
心から大好きなひとと巡り逢えて、想いを交わして結ばれて。
そのひとが妻になって、新しい命を宿してくれるなんて、夢にも思ったことはなくて―――
「・・・・・・つくづく、夢より現実のほうがよっぽど予測不可能でござるな」
「それって、いい意味で?」
隣で横になった君が悪戯っぽく尋ねてきたので、布団の中にある小さな手を探し、きゅっと握りしめてやった。
「勿論、いい意味で」
殊更に真面目くさって答えると、君はふわりと柔らかく目を細める。
「・・・・・・ねぇ、せっかくだから、今夜はわたしの夢を見てね」
そう言って笑う君に、微笑みと「おやすみ」を返して、目を閉じる。
こうして手を繋いだまま眠れば、きっと夢の中でも君に逢えるだろう。
「夢のような」を遥かに超える―――今という現実をくれた、大切な君に。
了
2014.02.08
モドル。