「おはよう」  薫











        随分と今日は、早く目が覚めてしまった。





        師走の日の出は遅く、まだ寝所の中はぼんやりとした薄い闇に包まれている。
        今年も最後の月を迎え、冬の寒さも本格的なものになってきた。

        しんと静かな部屋の中は冷え切っているが、薫を抱いているおかげで身体の前半分はあたたかい。
        更に体温を求めるように、夜着に包まれた身体を抱く腕に力をこめると、薫が僅かに身じろぎをした。



        長い睫毛に縁取られた目蓋がふるえて、うっすらと黒い瞳が覗く。
        起こしてしまったのを申し訳ないと思いつつも、見とれてしまう。

        朝露を受けた蕾がひそやかに花びらをほころばせるように、薫がゆっくりと目蓋を開いてゆく。それは、一日に一度しか目にする事のできない瞬間だ。
        そんな、彼女の目覚めの様子を隣で眺めるのが、剣心は好きだった。



        「・・・・・・う、ん?」
        自分が何処にいるのかを認識するかのように、薫はまばたきを繰り返したが―――剣心に抱かれていることに気づくと、さっと頬に朱を上らせた。
        そのまま慌てて、彼から距離をとろうとする。

        「ごっ・・・・・・ごめんなさ・・・・・・」
        「こら」
        剣心は薫が逃げようとするのを許さずに、引き戻して再びがっちりと抱きしめた。
        弥彦が長屋に引っ越して、ふたりが同じ部屋で夜を明かすようになってからまだ日は浅く、薫は未だに、起き抜けに剣心に触れられる度どぎまぎと動揺し
        てしまう。


        「どうして謝るんでござる?」
        「え・・・・・・だって、重いでしょ・・・・・・」
        「何が?」
        その言葉の意味がわからずきょとんとする剣心に、薫はつんつんと彼の二の腕をつついた。
        「・・・・・・まくらに、してるから」
        成程、と納得して、剣心は笑う。

        「平気でござるよ」
        「そ、そうなの?どうも、いつも気になっちゃって・・・・・・」
        「薫こそ、いつも拙者の下になって、重いでござろう」
        きわどい台詞に、薫の赤い頬が更に鮮やかに染まった。
        「そういう、恥ずかしいこと言わないでっ!」
        少し怒ったような声で剣心の胸を小突くと、頭の下からおもむろに腕が抜かれる。
        「ほら」
        「きゃ!」


        そのまま布団の上に仰向けにされ、組み敷かれる。
        動きを封じるように、身体を重ねられぐっと体重をかけられて、薫は苦しげに息を吐いた。

        「重い?」
        「お・・・・・・も・・・・・・」

        答えを待たずに、剣心は薫の唇を自分のそれで塞ぐ。
        びく、と跳ねた肩を敷布に押しつけるようにして、深く求める。
        「ん、んっ・・・・・・!」
        重ねた唇と密着させた身体から、彼女が震えるのが伝わってくる。


        まだ、怖いのだろうか。
        ―――まぁ、無理からぬことかもしれないが。

        少し前まで生娘だった彼女を、いつも自分は思うままめちゃくちゃに愛してしまうから。
        狂おしいほどの愛しさが、たびたび自制心の箍を外してしまうから。


        「・・・・・・ねぇ」
        「やぁんっ!」

        寝間着の襟元を開いて肩から胸までずり下げると、薫は悲鳴を上げて首を横に振った。
        「重いでござるか?」
        「やっ・・・・・・わかんないよ、そんなの・・・・・・」
        頬に首筋に口づけを落としながら問うてみても、答える余裕をなくした薫は剣心から逃れようとして、ただ身をよじるだけだった。それに構わずしごきを解い
        て、素肌を直に抱きしめる。


        触れ合ったところから感じられる、彼女の鼓動。


        ああ、生きている。
        彼女が生きているんだと実感させてくれる、確かな響き。
        伝わってくる心音と体温。戸惑い怯える震えすら、嬉しくて愛しくて。



        「・・・・・・好き」



        水が、堰を切って流れ出すように。溢れた気持ちは、自然に言葉になってこぼれ出た。
        耳元に唇を寄せて囁かれ、薫は抗うのをぴたりと止める。


        「・・・・・・こんな時に言うの、ずるいわ」
        「今、言いたかったから」
        ちょん、と。鼻と鼻を触れ合わせて、子犬のようにこすり合わせると、薫はくすりと笑った。
        つられて剣心も同じ笑みを浮かべる。そして薫が大人しくなったのをいいことに、彼女の太腿の方へと指を伸ばした。

        「ちょ、剣心、もう朝なのに・・・・・・」
        「まだ薄暗いでござるよ」
        「・・・・・・助平」
        「なんとでも」
        非難を軽く受け流した剣心だったが、ふいに表情を改めると、薫の瞳をじっと見つめる。


        「・・・・・・どうしたの?」
        「薫殿、拙者に何か言い忘れていないでござるか?」
        「え?」
        薫は束の間真面目に考えて、ああ、と納得したように頷いた。



        「おはよう」



        ・・・・・・まぁ、それは、確かにそうなのだけれど。



        「って、わたしまだ言ってなかったわよね?なぁに?そうじゃないの?」
        自分の上で、くつくつと笑いをこらえて肩を震わせ始めた剣心に、薫は不思議そうに尋ねる。
        欲しかったのは違う言葉だったが―――まぁいいか、それはこの先別の機会に言ってもらうことにしよう。

        「ねぇ!剣心、何なのよー!」
        「薫はかわいいなぁ」
        「は?・・・・・・って、あっ!嘘っ、やだー!」
        「こら、逃げるな」




        暢気な冬の太陽が遅い朝を連れてくるまで、まだ、もう少し。












        了。



        次は、誰のおはよう?









                                                                                         2015.07.20