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        昼食の後片付けは、ほとんど会話もないまま黙々と進んだ。

        薫としては「ねえねえ何があるのか教えてよー!」と問いただしたいところだったが、先程までの失態ですっかり萎縮してしまった剣心は、何が
        あるのか訊かれたらどうしようという空気を全身から発している。なんというか、おどおどびくびくしている。
        
そんな彼に詰問するのも酷だと思い、さりとて和やかにおしゃべりをするような雰囲気でもない。仕方がないので、薫は無言で左之助に届ける
        ためのおはぎを重箱に詰め直していた。



        これまでの会話から察するに、恵さんや左之助、近所のみんなも参加する「何か」があるらしい。
        弥彦が赤べこに行ったということは、燕ちゃんや妙さんも関わっているのかもしれない。


        「また、後ほど」と言っていた恵さん。
        そして弥彦はもう少し具体的に、「夕方」と言っていた。


        ―――今日の夕方に、何があるというのかしら?


        手がかりを頭の中で反芻していたら、ふいに「薫殿」と名前を呼ばれた。
        ふりむくと、思いがけず近くに剣心の顔があって、びっくりする。
        思いつめたような、真剣なまなざし。強い視線に射すくめられて、心臓がどきりと高く鳴った。

        「・・・・・・薫殿」
        「な、なに?」

        夏の陽は高くて、台所の奥までは差し込まない。
        薄暗い空間で、緊張した面持ちの剣心にじっと見つめられて、頬に血がのぼるのを感じる。


        やだ、きっとわたし、顔が赤くなっちゃっている。

        どうしよう、剣心に気づかれたら恥ずかしい―――と、どぎまぎしていたら、



        「今日は、晩ごはんは作らなくていいでござるから」
        「・・・・・・は?」



        真剣な顔で、何を言うのかと思ったら。
        予想外の言葉に、思わず気の抜けた声を返してしまったが、剣心の表情は大真面目である。


        「・・・・・・うん、わかった」
        張りつめた空気に飲まれた薫は、それ以上追及することもできなくなる。わけがわからないまま、素直に頷くしかなかった。





        ★






        「晩ごはんを作らなくていい」ということは、今日は剣心が作ってくれるのかな?―――とも思ったけれど、なんとなく、そういう意味ではない
        ような気がする。
さっぱりわけがわからないけれど、この後夕方にあるらしい「何か」に関係していることは確かだ。

        手がかりはひとつ増えたけれど―――いったい何があるというのかしら?

        そんなことを考えつつ、薫はおはぎが入った風呂敷包みを剣心に手渡した。

        「じゃあ、行ってらっしゃい。左之助によろしくね」
        「うん、行ってくるでござるよ」
        門の前で送り出された剣心は、少し歩いたところで立ち止まり、ちらりと振り向いた。薫はちょっと笑ってみせて、ふるふると胸の前で小さく
        手を振る。
剣心は、少しほっとしたように笑みを返して、再び歩きだした。


        後ろ姿を見送っていた薫は、ふいに、五月のあの夜のことを思い出した。

        あの夜、別れを告げた後、一度も振り返らなかった剣心。追いかけることもできず、ただ泣き崩れるだけだった自分。涙でかすんだ剣心の背
        中は、いつしか夜の闇に溶けて消えた。あれは、本当に辛い瞬間だった。今思い出しても、胸が痛むくらいに。



        「・・・・・・あの日にくらべたら、今日なんて、平和なものよねぇ」
        剣心の背中が、角を曲がって見えなくなったところで、薫はしみじみとつぶやいた。


        あの夜の別離に、その後起きた、志々雄真実にまつわる様々な出来事。薫や仲間たちも死に物狂いで戦ったし、闘いから帰ってきた剣心は
        しばらく生死の境をさまよっていたし、とにかく、短い間にたいへんなことが色々あった。ほんとうに、色々あった。

        そんなあれやこれやに比べたら、今日の剣心や弥彦の隠し事なんて、きっと可愛らしいものに違いない。
        どんな企みなのか、まるで見当はつかないけれど、それだけは確かだ。少なくとも、晩ごはんの話をしていたということは、ちゃんと帰ってくると
        いうことだし。ちゃんと帰ってくるって、それだけでもう―――すごく、嬉しいことだし。




        「さてと、どうしようかなぁ」
        母屋に戻りつつ、ひとりごちる。
晩ごはんを作らなくていいということは、その分の時間が空いたということだ。
        空いた時間で、他に片付けておくべき家事といえば―――そう思ったところで、薫は「そうだ」と手を打って、自室に向かった。


        畳の上に置いてあった風呂敷包みを手にとって、膝に乗せる。午前中、前川道場の奥方から譲られて、おはぎと共に持ち帰ったものである。
        結び目をほどいて包みをひらくと、白い地に咲く、水色や紫、桃色といった、優しい色彩があらわれた。愛らしさに、思わずふわりと口許がほこ
        ろぶ。



        「じゃあ、針仕事でもすることにしましょうか」



        
膝の上に広げた紫陽花柄の浴衣にむかって、薫はそっと囁いた。







        4 へ続く。