縁側で針仕事をしていたら、玄関のほうから「ごめんください」とおとのう声が聞こえた。
声の主はすぐに知れたので、薫は針を運ぶ手を止めずに「どうぞー」と大きめの声で答えた。案の定、勝手知ってる様子で庭から縁側に回ってきた
のは恵だったが―――
薫は目をみはった。
なんとなれば、恵の出で立ちは浴衣姿。
紺色の地に、すっきりと白で書かれた桔梗の柄。きりりと締めた帯は、目にも鮮やかな赤い色である。
「きれい・・・・・・」
思わずこぼれ出てしまったような賛辞に、恵は紅を塗った唇の端をあげる。
「わたしが?それとも浴衣が?」
「浴衣がです」
「ちょっと」
「冗談です。浴衣もですけど、恵さん、きれい・・・・・・」
「うふふ、ありがと。もっと褒めなさいな」
そういえば、恵の服装といえば、白地の着物に道行きを羽織った仕事着が定番で、それ以外の格好は寝巻姿くらいしか見たことがないかもしれない。
長い髪を結い上げて、ぱりっとした浴衣を身にまとった恵は何とも婀娜っぽく、薫の目にも「きれいな大人の女性」と映った。
「あら、あなたのそれも浴衣?かわいいじゃない」
恵は、薫の膝の上にあるものに目を留める。
「そう、さっき出稽古先の奥さんからいただいたの」
午前中、おはぎ作りを教わるために前川道場を訪ねた際、奥方から「娘時代のが出てきたから、よかったらあなたが着てちょうだい」と譲り受けた物。
それは、愛らしい紫陽花柄の浴衣だった。
「直していたの?」
「うん、でも後は糸の始末をするだけで、そろそろ終わるところ」
「ふぅん、その柄わたしにはちょっと子供っぽいけれど、あなたには似合いそうね」
「それ、褒めていませんよね・・・・・・?」
さらりと憎まれ口をからめてくるのが、いかにも恵らしい。とりあえず「似合いそう」という部分だけ、ありがたく拝受しておこうと思う。
「ところで、恵さん、何か用事があってうちに来たんですか?」
珍しく、普段と違った服装でやって来たのには、何か理由があるのだろう。そう思って聞いてみると、恵は「そうなの、実はちょっと剣さんに頼まれちゃ
ってぇ」としなを作る。
思わせぶりな口調に、薫は顔をしかめたが―――ぴんと来た。
「あっ!さっき剣心が『晩ごはんの支度はいらない』って言ってたけれど、その関係?やっぱり何かあるんでしょう?」
「あらやだ、気づいてたの?」
なんだつまらない、というふうに恵は肩をすくめる。
「そんなの、気づかないほうがおかしいでしょう。恵さんはあからさまに匂わせてくるし、剣心も弥彦も何かを計画しているみたいなこと話しているし。
だけど、わたしが聞いたらのらりくらりとはぐらかすし・・・・・・なんでわたし、仲間はずれにされているんですか?」
「だから、その件で剣さんに頼まれたのよ」
頼まれたというのは、口から出まかせではなかったらしい。
よく見ると、恵は仕事道具の薬籠をしっかり持参していた。それを縁側に置いてから、自身も薫のとなりに腰をおろす。
「あなたのこと怒らせてしまったから、どうにかしてとりなしてくれって」
「剣心が?」
「そうなのよ。ていうか剣さん人選間違ってるわよね?わたしに頼んで余計にこじれるとは思わなかったのかしら。わたしたち、犬猿の仲だっていうの
にねぇ」
からりとした物言いが可笑しくて、薫は「恵さん、正直すぎ!」と笑ってしまった。その様子を見て、恵は「やっぱりね」と可笑しげに口許を緩める。
「やっぱりって、何が?」
「あなた、それほど怒ってるわけじゃないんでしょう?」
「・・・・・・うん、怒ってない」
昼に、前川道場から帰ってきて、三人の会話を耳にした時は、自分だけが仲間はずれにされていることに、かちんと来た。しかも、弥彦はともかく
として、剣心までもが加担しているのが腹立たしかった。とはいえ、そう思ったのは一瞬のことである。
あれやこれやの手がかりから察するに、きっと今日の夕方以降、何らかの催しが企画されているのだろう。恵に声をかけられて誘われた剣心たちが、
その計画を手伝っているとしたら―――それならそれで、何かあるのか種明かしはされずに、秘密にされたままでいるのも楽しいかもしれない。わ
たしもさっき、おはぎを作ったことは内緒にして剣心たちをびっくりさせようと思っていたわけだし、そう考えると、お互い様だ。
薫は、そう思っていたのだが―――
「それならひとこと『怒ってないわよ』って言ってあげればよかったのに。剣さん、あなたを怒らせてしまったって、相当落ち込んでいたわよ」
「・・・・・・うーん、それはそうなんですけど」
先ほど、台所で並んで後片付けをしていた時の、おどおどびくびくしていた剣心を思い出して、薫は困ったように眉を寄せる。
剣心が意気消沈しているのは、薫の目から見ても明らかだった。明らかだったけれど、でも、だからこそ―――
「なんていうか、剣心がわたしのことでおろおろしているのを見るの、ちょっと・・・・・・嬉しいなぁ、って思っちゃって」
剣心と出逢ってから、色々な出来事があって、その度に心配したり困惑したりやきもきしたり、何度も心をかき乱されてきた。怒ったこともあったし、
泣かされたこともあった。
そう、だいたいにおいて薫はかき乱される側で、薫が原因で剣心がおろおろすることなど滅多になくて―――
だから、我ながら意地悪だなぁと思いつつも、「怒ってないわよ」と言えなかったのだ。
たまには、翻弄する側になってみたかったから。
「嫌だ、日頃ひとのことを女狐呼ばわりしているくせに、あなたのほうがよっぽどじゃない」
「う・・・・・・それは、すみません」
「でもまぁ、わからないでもないわ。剣さんが京都に行っちゃったときの、わたしたちの気にもなってみろ、ってことよね」
「そう!それ!まさにそういうことです!」
薫は我が意を得たりと大きくうなづく。そしてふたりは、顔を見合わせてくすくす笑った。
さよならを言われた者と、さよならさえ言われなかった者。その違いはあれど、あの時同じ気持ちで―――想い人に去られた喪失にうちひしがれて、
涙を流した者同士として。
「でもちょっとつまらないわねぇ。あなたのことだから、仲間はずれにされたと知ったら拗ねていじけて泣きべそかくかと思ってたのに、すっかり大人
になっちゃって」
「大人に・・・・・・なれてるかしら?」
「色気とか艶やかさの面では全然なれていないわよ?でも、ちょっと前のあなたなら、気に入らないことがあればへそを曲げるか、そうじゃなきゃすぐ
手が出てたでしょ」
さりげなくけなされた事にいちいち突っかかるのは、それこそ大人気ないので流すことにして―――手が出たという言については「あー・・・・・・ありま
したね、そんな事」と苦笑しつつも認めた。剣心をぶん殴った場に恵が居合わせたのは、おはぎの事を泥まんじゅう扱いされた時だったか。
「まぁ、ちょっと前なら手も出ていたかもしれないけど・・・・・・この数ヶ月で、いろんなことがあったじゃないですか。たぶん、そのおかげでわたしも鍛え
られたんですよ。今日のことくらいじゃ、怒ったりはしません」
「鍛えられた、ねぇ。確かに、いろんなことがあったものね」
幕末の頃の関係者が次々に現れて、剣心が京都に行ってしまって。京都での戦いは熾烈を極めて、剣心だけではなく薫を含めた他の面々も死力を
尽くして。やっと決着はついたものの、剣心は満身創痍で、快復するまでは薫も生きた心地がしなかった。
そんないろんなことを経験すれば、心持ちだって鍛えられるというものだ。
今では剣心が元気になって、こうして東京に帰ってきてくれたということそのものが、得がたい幸福だと思う。
そう、思えるようになったことが成長と言えるのなら、この数か月間で味わった痛みも悲しみも無駄なものではなく、貴重な糧となったのだろう。
「・・・・・・ほんと、つまらないわ。もうちょっと子どものままでいなさいよね」
心底残念そうにため息をつくを恵に、薫は「だから、もっとしっかりしろって言ったのは恵さんでしょ」と呆れた声で返し、ふたりはまた一緒に笑った。
―――実を言うと。
ほんとうは、ひとつだけ、「あること」についてはしっかり怒っていたりするのだけれど。
わざわざ申告することでもないし。というか、それについて恵さんに知られるのは業腹なので―――黙っておくことにしよう。
心の中で、薫はこっそりつぶやいた。
「さ、その浴衣さっさと仕上げちゃいなさいな。剣さんが待っているから行くわよ」
「え?行くって、どこへ?」
きょとんとする薫に、恵はうふふと含み笑いを漏らし、「いいところよ」と意味ありげにささやいた。
5 へ続く。