夏の秘密





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        春の彼岸の頃にほころぶ牡丹にちなんで、春の呼び名は「牡丹餅」。
        秋の彼岸の頃には萩の花が咲くので、秋は「おはぎ」。
        そして、夏の呼び名は「夜船」と言う。

        おはぎの中の餅米は、搗くのではなく、米の粒が残る程度に突きつぶされている。
        暗い夜に漕ぎ出した舟は、いつ岸に「着いた」のかわからない。それを「搗いた」のかわからない、にかけて、夜船である。


        そんなわけで、暑い盛りの、間もなく昼時。薫は夜船が―――すなわち、作りたてのおはぎが詰まった重箱を抱えて、さらにはその上に風呂敷
        包みを乗せて、乾いた道をひとり歩いていた。


        重い荷物ではないが、均衡がとりづらくて、歩きにくい。やはり剣心か弥彦についてきてもらえばよかっただろうか。
        しかし薫は、ふるふると首をふって、頭に浮かんだその考えを打ち消した。それだと、種明かしをしてしまうようでつまらない。



        事の始まりは、春だった。

        出稽古に行った際、前川夫人に「おいしいおはぎの作り方を教えてください」とお願いしたら、薫の料理の腕前を案じた夫人は「まずは日常のお菜
        から!おはぎはその後!」と、基礎から料理を指南してくれるようになった。
        
これまでに数回、前川道場に通って味噌汁やら煮物やらの作り方を教えてもらっていたが、五月の半ばに剣心が京都に旅立って、薫が彼を追いか
        けたため、料理教室は中断せざるを得なかった。


        やがて夏が来て、薫は剣心をはじめ、仲間とともに東京へ帰ってきた。前川道場に帰着の挨拶をしに行ったところ、前川夫妻は薫たちの無事をたい
        そう喜び―――そして夫人は「せっかく帰ってきたんですから、おはぎに挑戦してみましょうか」と、薫に耳打ちしてくれた。

        かくして今日。薫は念願のおはぎ作りに挑み、素晴らしいできばえとまではいかないが、泥まんじゅうとは呼ばせない程度には、形の整ったおはぎを
        完成させた。薫としては快挙といえよう。

        「これでじゅうぶん、お昼ご飯になりますよ」と、前川夫人は重箱の上の段に、野菜の煮たのと漬物を入れてくれた。ついでにもうひとつ、食べ物ではな
        いが「おまけ」が入った風呂敷包みも持たせてくれた。




        剣心と弥彦、びっくりするかな。美味しいって言ってくれるかな。
        いや、弥彦はともかく、きっと剣心は言ってくれるよね?
        そんなことを考えていると自然に頬がゆるみ、足取りも軽くなる。
        とはいえ、両手がふさがったこの状況で転んだりするのは笑えないので、薫は改めて姿勢を正して、腕の荷物を抱え直す。

        我が家の門をくぐった薫は、ふと聞こえた話し声に、立ち止まる。
        縁側の方だろうか、楽しげに笑いさざめく、剣心と弥彦と―――もうひとり、女性の声。聞き覚えのある人物の声だ。


        少し考えて、声のする方へと足を向ける。なんとなく、足音をひそめながら。
        縁側に面した庭へまわると、見えたのは剣心と弥彦の背中だった。彼らに向かい合う形で立っていたのは、思ったとおり、恵である。

        そんな位置関係ゆえ、薫の帰りにまず気づいたのは、恵だった。確実に、両者の目はあった。
        しかし、恵は薫が「ただいま」と声を発する前に、にんまりと意味ありげな笑みを浮かべて―――



        「じゃあ、そういう訳ですので、この事はこだぬきちゃんには黙っていてくださいね」



        
薫は、ただいまの一言を飲み込んだ。
        恵が口にした聞き慣れない呼称に、剣心は「こだぬき・・・・・・?」と首をひねる。一瞬早く理解した弥彦が「ああ!」と笑い声混じりの声をあげ、続いて
        剣心も「おろ、薫殿のことでござるか」と合点する。




        「承知したでござる。薫殿には内緒にしておくから安心するでござるよ」



        ―――聞き捨てならない台詞。
        それが、小さな嵐の端緒となった。


        「ところで・・・・・・恵殿は、本当に出番がなくていいのでござるか?」
        「ええ、いいんですよ、私は今回は裏方で。なんていうんですか『あとは若い者にまかせよう』って感じですね」
        恵はそう言っておどけてみせる。
        「それは残念でござるなぁ。恵殿ならきっと似合ったでござろうに」
        心底惜しむような口調に、「嫌だわ剣さん、そんなお世辞なんていいんですよ?」と、恵は笑う。
        「いやいや、世辞などではなく、本当に・・・・・・」
        「だとしても、女性に軽々しく、そんなことを言って、喜ばせるものじゃありませんよ?―――ねぇぇ薫ちゃん?」

        恵の言葉に、剣心は凍りつく。
        先に振り向いた弥彦が「なんだ、帰ってたのかよ」と、ごく普通の調子でおかえりを言う。
        対して剣心は、部品が欠けたからくり人形のようなぎこちなさで身体の向きを変え、血の気が引いた顔を薫にむけた。

        「その・・・・・・ええと、薫殿、い、いつからそこにいたのでござる、か?」
        「こだぬきちゃんには黙っていてください、って恵さんが言ったところから」
        剣心は「ぐはっ」と刀で斬りつけられたかのような声をあげ、数歩よろめく。

        「なぁぁにー?わたしに隠れてみんな何をたくらんでるのー?」
        大きな目をじとりと半眼にして凄んでみせながら、薫は剣心に詰め寄った。
        「いや、あの、違うでござるよ薫殿、実は・・・・・・」
        「剣さん」
        言いかけた台詞は、恵の声に遮られる。


        紅をひいた、医者にしては色気がありすぎる唇の前に人差し指を立てて、「内緒でしょう?」とにっこり笑んでみせる恵に、剣心は冷や汗をだらだら
        流しながらその先の言葉を失う。


        「いや、その、何だ・・・・・・ああっ薫殿、凄い荷物でござるなぁ!さぞ重かったでござろう!」
        無理やりに話の方向を変えようとした剣心は、薫の手から重箱と風呂敷包みを神速でもぎ取る。
        「ありがとう、大丈夫よそれほど重くもないの。とりあえず縁側に置いてもらえる?」
        「承知したでござるっ!」
        「で、何をたくらんでるの?」
        薫は追及を緩めなかった。剣心は「ぐぉぉ」と苦悶の呻きを漏らしつつ束の間思案して―――
        「・・・・・・そう!おはぎ!恵殿は、おはぎを届けにきてくれたのでござるよ!」
        「おは、ぎ・・・・・・?」
        「そうそう、ほら、縁側に置いてあるでござろう?おはぎと海苔巻きをたくさん作ったので、お裾分けに持ってきてくれたのでござるよ。今日のお昼
        にどうぞと・・・・・・」

        「お、なんだ、薫も作ったのか?おはぎ」


        弥彦の声に、剣心はまたしても固まる。


        「やだ、ちょっと弥彦!もー、勝手に開けないでよー!」
        「おっ旨そう。だけど、並べたらどっちが作ったのか一目瞭然だな」

        縁側に置いてあった、恵と薫、それぞれの重箱の蓋を開けて、弥彦がからかうように笑う。たしかに、ふたつを比べてみると明らかに恵の作ったおは
        ぎの方が整った見栄えだ。
正直すぎる物言いに薫は弥彦の頭をすこーんと叩いたが、「旨そう」に免じて力は加減してやった。

        「あ、煮物も入ってる。すげーな、豪勢な昼飯じゃん!」
        「ほんと、ぜんぶあわせたら結構な量ね。恵さん、一緒に食べてくでしょ?」
        「あら、お誘いありがと。でも残念ながら、わたしはこれから準備があるので失礼するわ。じゃあ剣さん、また後ほど」



        意味ありげな流し目を剣心に送りつつ、恵は踵を返して道場を後にする。



        「また、のちほど・・・・・・?」


        
        薫は首をかしげて、物言いげな視線を剣心に向ける。

        剣心は万事休すと言った表情で頭を抱えた。










        2 へ続く。