「ありがとうございましたー!」
深く礼をしてから、一度頭を上げる。
店を出てゆくお客の背中を見てにこっと笑って、もう一度、頭を下げる。
今度はぴょこんと小さく、小気味よく。
「・・・・・・ね?」
「ほんとだ、薫殿の言うとおりでござるな」
昼下がりの、赤べこにて。
客を見送る妙をじっと観察していた剣心と薫は、互いに箸を手にしたままうんうんと納得したように頷きあった。
「あら、何がですのん?」
そんなふたりに気づいた妙が席に寄ってくる。昼飯時を過ぎてそろそろ店は空き始める頃で、妙もお喋りをする余裕がある時間帯だ。
「あのね、妙さんのお辞儀がかわいいって話」
大発見をした、というような薫の口ぶりに、妙はころころと笑った。
「まぁ、嫌やわぁ。こんな年増つかまえて冗談言うたらあかんよー?」
「だってほんとに可愛いもん!ほら、妙さんって頭を二回下げるでしょ?」
「うちが?」
「うん、お辞儀をした後、もう一度礼をしていたでござるな」
「えー?」
「それが他のひととちょっと違っていて、可愛いなぁって思って見てたの」
薫の解説に、剣心も一緒になって補足する。
しかし、当の妙はひたすら不思議そうに首をひねるばかりだった。
「うち、そないなふうにしてるかしら・・・・・・」
「ああいう癖って、自分じゃ気づいていないものなのねぇ」
食事を終えたふたりは、妙の「ありがとうございました」の声に手をふりながら、赤べこを出た。
綿雲をところどころに散らした空の色が眩しくて、薫は目を細める。
「お店に行く度、可愛いなーって思っていたから、なんだか意外だわ」
「癖とはそういうものでござろう。案外、他人から言われて初めて気づくものでござるよ」
そろそろ桜も散り始める時分の、暖かい陽気の午後。やわらかな春の風が頬に心地よく、並んで歩く剣心と薫の足取りは自然といつもよりゆっくりした
ものになる。
「癖、かぁ。わたしも何かあったかしら」
薫がうーんとうなって首を傾げる。
剣心はそれを横から覗きこみ、くすりと笑う。
「それ」
「え?」
「考え事をするとき、そうやって髪を引っ張るの、癖でござるな」
薫ははっとして、指先に視線を落とす。
言われたとおり、顔の横に垂らした髪の先を、一房指にからめて軽く引っ張っていた。
「やだっ、ほんとだ!」
確かに、自分では気づいていなかった。無意識のうちにやっている癖を指摘されたのは少々恥ずかしくもあったが、薫は剣心の観察眼に素直に感心す
る。
「よく見ているのねぇ・・・・・・ね、わたし他にも何かあったりする?」
「そうでござるなぁ」
ちょっと考えた剣心はすぐに「癖」を思い当たった。しかし、直ぐには口を開かず、その前にきょろきょろと首を動かして辺りの人の目を確認する。
「ここで、言ってもいいでござるか?」
「勿論よ、なんで?」
と、剣心はおもむろに薫に顔を近づけ、幾分声を低くする。
「夜の、布団の中でのことでござるが―――」
「・・・・・・そーゆーのは却下!」
薫の頬があっというまに赤く染まり、それと同時に拳固が飛ぶ。思い切り後頭部をどつかれた剣心は、勢いよく前につんのめった。
「痛た、わかったわかった、ここでは言わないでござるよ。今晩改めて実地で教えて・・・・・・」
「いやー!却下却下却下ー!!」
うなじまで真っ赤になった薫は、ぽかぽかと続けざまに剣心の肩を叩く。からかわれているという事はわかってはいるのだが、さらりと流す余裕はまだ
まだ薫にはなかった。
「おろろ、すまない!本当にもう言わないでござる!」
結構本気で痛いので、剣心は拳を受けつつ真剣な声で謝った。
その台詞に、薫の手がぴたりと止まる。
「それ」
「おろ?」
「剣心のはそれね。おろ、って口癖」
「・・・・・・おろろ」
「・・・・・・」
薫はもう一発と握りしめていた拳をぱらりとほどいた。なんというか、その口癖を聞くと、肩から力が抜けてしまう。
振り上げていた手をゆっくり下ろして、そのままぽんぽんと剣心の肩を叩いた。先程までと違って、子供の頭を撫でるように、優しく。
「痛かった?」
「痛かったけど、今のは拙者が悪い」
殊更に真面目くさった表情で、剣心が答える。
そしてふたり、顔を見合わせて、ぷっと吹き出した。
「剣心、おろーって、ずっと前からの口癖なの?」
「うーん、よく覚えていないでござる。まぁせいぜい、ここ十年くらいのことだと思うが」
「十年って・・・・・・せいぜいどころか、ひと昔よ?」
「おろー?」
「ほら、また!」
繰り返される「口癖」が可笑しくて、薫は声をあげて笑う。その笑顔を見ているだけで、自然と剣心も頬がゆるむ。
と、薫の笑い声に呼応するかのように、賑やかな足音と複数の子供の声が向こうから近づいてきた。
剣心と薫が脇によって道をあけると、その傍らを風を切って子供たちが駆け抜けてゆく。歓声をあげながら往来で鬼ごっこに興じる彼らの髪や着物に
は、水玉模様みたいに桜の花びらがくっついていた。通り過ぎた後、足跡を残すかのように数枚がひらひらと地面に散る。
「元気でござるなぁ」
なんとなく立ち止まって振り返り、子供たちの後ろ姿を見送る。
「子供は、元気に走り回って遊ぶのが仕事みたいなものだもの」
「うん、確かにそうだ」
そんな言葉を交わしながらふたりは再び歩き出したが、ふと薫は、自分の手をあたたかく包んでいる体温に気づいた。
気づいたけれど、すぐに口には出さず―――そのまま少しばかりの距離を歩いてから、訊いた。
「ねぇ剣心」
「ん?」
「それも、癖?」
剣心は、薫が何のことを言っているのかわからず首を傾げて―――そして、自分の右手が目に入り、漸くどこを指摘されたのか理解した。
ひとまわり小さな彼女の手を、しっかりと捕まえている自分の手。
「・・・・・・あ」
「ね?」
ごく、自然な流れで薫の手をとって歩き出していたことに気づいて、剣心の顔がわずかばかり赤く染まる。
そう、今日この時だけではない。
ふたりで並んで歩いていて、何かの拍子に指が触れ合ったりすると、そのまま薫の手を捕まえて柔らかく握りこんでしまう、剣心の癖。
まるで、そうしているのが一番自然だというように。
互いが互いの一部であるかのように。
それはもう、殆ど無意識と言っていいほどで。
「間違いなく、癖、でござるな」
照れ隠しのように、薫の顔から視線を逸らしながら、そう認める。
それでも握った手は、離さないままで。
「こうしているとね」
「うん」
「どきどきするけど、なんかほっとする」
「・・・・・・拙者も」
数えきれないくらい唇を重ねて、数えきれないくらい抱き合って夜を過ごして。
それでも、手のひらがふれあうだけでどきどきする。
そして同時に、手のひらでふたりが繋がっていることで、心から安心できる。
「だから、癖になってしまったのでござるかなぁ」
剣心は、重なった手を動かして、指を絡めるように組みなおす。
きゅ、と力をこめてみると、応えるように握り返された。
「こんな癖なら、大歓迎だわ」
「そう言ってもらえると、有難い」
先程の子供達が運んできた桜の花びらがひとひら、薫の着物の袖を飾っているのに気づいて、剣心は目を細めた。
桜の花の終わり時、天の遥か高くまで透けてしまいそうに、空は澄んだ水色。
明るい空に舞う花びらを背にした薫は綺麗だろうな、と思いながら剣心は呟くように言った。
「桜を見てから、帰ろうか」
「賛成!」
笑顔で頷いた薫は、小さく飛び跳ねるようにして剣心の肩先に、自分のそれを軽くぶつけた。
(了)
2012.04.16
モドル。