「しっかし、お前ぇの趣味も変わってるよなぁ」
昼食を終えるなり、左之助はしみじみとした口調でそう言った。
「何のことでござる?」
それはかなり脈絡のない発言だったので、剣心は膳を片付けながら首を傾げる。
「いや、ほら、お前ぇは身長こそ残念だが見てくれがそれで腕っぷしがあれだろ?だから、その気になればたいていの女はなびかせられるだろ。女狐なん
かも背の低さは気にならねぇみてーだし」
「・・・・・・褒めているのかけなしているのか、どちらでござるか?」
剣心はじとりと目を半眼にしたが、左之助はそれを意に介さずにある方向を指差した。あちらは―――道場があるほうだ。
「それなのにああいうのが好みだっていうんだから、物好きだなぁと思ってよ」
「ああいうの」とは、今はこの場にいない薫のことであろう。先程の昼食中、弥彦が薫に味噌汁の味について難癖をつけたのをきっかけにいつもの師弟喧
嘩がスタートした。口論しつつもお互い食事の手は止めず、「ごちそうさまでした」と行儀よく手を合わせたのを合図にふたりは立ち上がり、そこからは口喧
嘩に手が加わった。現在は場所を居間から広い道場に変えて、まだ諍いを続けている。
「昼時をめがけて来ておいて、随分と悪しざまに言うでござるなぁ」
剣心が苦笑混じりに言うと、「んだよ、今日は手土産持参だろうが」と反論される。確かに、今日の左之助は珍しく「飯の後に食おうぜ」と言って人数分の
饅頭を携えて来たのだ。もっとも、それが皆の口に入るのは薫と弥彦の喧嘩に決着がついてからになるだろう。
「それに、別に悪しざまに言ってるつもりはねーよ。確かに嬢ちゃんは、剣術小町の名に違わず器量はいいし気立てだって悪かねぇさ。でも、だからといっ
てあんな気が強くて女らしさに欠けていて怒らせりゃ口より拳が出るような娘を、俺なら自分の女にしようとは思えねぇなぁ」
左之助の好き勝手の放言を剣心はそのまま聞き流すつもりだった。が、台所に向かおうとして立ち上がった剣心に、左之助はひょいと質問を投げかける。
「つーか、どこがそんなにいいんだ?嬢ちゃんの」
左之助にしてみれば、「素朴な疑問」というやつだった。しかし剣心は「何故そんな決まりきったことを訊くのだろう」とばかりに、きょとんとする。
そのまま聞き流すつもりだった。しかし、その質問に対して剣心は「当然」の答えが頭にあったので―――つい、するりと言葉がこぼれてしまった。
「いや、だって、可愛いでござろう?」
口にしてすぐに、剣心は「しまった」という表情になる。左之助はかくんと顎を下に落として、呆気にとられた顔になる。
更なる追及はなさそうだったので、剣心は「茶の用意をしてくるでござるよ」と言ってそそくさと台所にむかった。
・・・・・・言わなくてもよいことを、言ってしまった。
湯を沸かしながら、剣心はため息をつく。馬鹿正直に答える義理などなかったのだが、彼女が可愛いのはもう自分の中では揺るぎない事実なので、それ
がうっかり口からこぼれ出てしまった。
左之助は心から不思議そうに「どこがいいんだ?」と尋ねてきたが、剣心にしてみれば、それがわからない左之助のほうがよっぽど不思議である。
出逢ったばかりの頃、無愛想で怒りっぽいと思っていた彼女がじつはよく笑う娘だと知った頃、きらきらと光が弾けるような笑顔を見て、なんて可愛いんだ
ろうと思った。
弥彦や出稽古先の門下生たちに稽古をつける横顔は凛々しくて健康的な美しさが溢れていて、きれいだなぁとしみじみ思った。
そのほかにも、日常で彼女が見せる様々な表情は、どれも目を奪うのに充分な魅力を湛えていて―――つまるところ、好いた娘がいる男性にとっては、
どこがいいのか訊かれてもそれは愚問でしかないのだ。
人数分の湯呑を用意して居間に戻ると、先程まで道場にいた薫と弥彦が縁側でやいのやいのと喧嘩を続行していた。握った拳固でぐりぐりと弥彦の両の
こめかみを攻撃している薫の姿に、傍観していた左之助が剣心にむかって「あれのどこが?」と言いたげな視線を送ってくる。剣心は黙殺しつつ急須に茶
葉を入れ、頃合になっている湯を注いだ。
確かに、彼女の「じゃじゃ馬」な部分ばかりを目にしている者なら、女らしさに欠けているという感想を抱くかもしれない。
ほんとうは、そうではないのに。
日々を一緒に過ごしていると、薫の行動の端々からは彼女が「女性」であることが感じられる。
自分や弥彦の着物を仕立て直してくれるときの、針を運ぶ優しい手の仕草にも。連れ立って歩くときの歩幅の小ささや、道端の花の名前をふっと教えてく
れる表情からも。
それに、抱きしめたときのあの細さや柔らかさだって。力をこめすぎたら折れてしまうのではと不安になるくらいの―――まぁ彼女をぎゅっとしたことはまだ
数回しかないのだけれど、あの可憐な感触から、彼女は俺が守るべき存在なのだということを、改めて実感して―――
そんなことを考えているうちに、剣心の視線は手元の急須から薫へと移っていた。見つめる先にいる薫は、視線を感じたのかふと顔を上げる。と、その顔
に驚き表情が浮かんだ。なんだろう、と思っていると彼女は弥彦を放り出し、悲鳴をあげてこちらに駆け寄ってきた。
「きゃーっ!!!剣心、手っ!お茶がー!」
「・・・・・・おろ?」
そこでようやく、剣心は左手に感じる熱さに気づいた。
ぼんやり薫のことを考えているうちに急須を妙な角度に傾けてしまったようで、そこから流れ出た茶が湯呑みに添えていた左手を直撃していた。
ああ、これは熱いはずだ―――と呑気なことを思っていると、ぱっと薫の手が飛んできて急須を奪い取った。そして、そのまま薫は剣心の腕を抱え込むよ
うにして掴み、ぐいっと立ち上がらせる。
「井戸に行きましょ!冷やさなきゃっ!弥彦、薬箱取ってきて!」
言うなり薫は剣心を引っぱり庭へと降りた。剣心は「おろろ」と緊張感のない声をあげながら、されるがままに薫に連れて行かれた。
残された弥彦と左之助は薫の素早さにぽかんと呆気にとられつつも、ひとまず弥彦は薬箱を取りに、左之助はこぼれた茶を片付けるのに動き出した。
「冷たいけれど、我慢してね」
そう言って薫は、釣瓶で汲み上げた井戸水を剣心の手に流しかける。赤くなったところに乱暴に直撃しないよう、気をつけながら。
繰り返し、汲んでは流しかける動作を続ける薫を、剣心は「もう、それくらいで大丈夫でござるよ」と制しようとする。しかし薫は「もうちょっとだから」と譲らな
かった。
「火傷は最初にちゃんと冷やしておかないと、痕になりやすいんだから。水ぶくれになっちゃったら、きれいに治るまで時間がかかっちゃうでしょ?」
それは確かにそうなのだが、と。剣心は薫の心配をありがたいと思いつつも「いや、そのくらい構わないでござるよ」と笑ってみせた。
「拙者の身体なんてもうあちこち傷だらけなのだから、新しい痕がひとつくらい残っても平気えござるし」
剣心としては、軽い気持ちで言った言葉だった。しかし薫は、きっ、と怒った目で剣心を睨みつける。
「だからって、痕を増やしていいって事はないでしょう?]
星空を映したような色の瞳に強く見据えられて、剣心はどきりとした。
「傷だらけだとしても、ご両親からもらった身体を粗末にしていいって事にはならないでしょ?だいたい、わたしが嫌なの!剣心にこれ以上傷が増えるの
は!」
そう言って、もう一杯冷たい水を流しかける薫に、剣心は返す言葉を失い―――つい、口許を緩める。ひとまわり以上年下の娘に「叱られる」という事がな
んだかくすぐったくて。それに何より彼女の真剣さが、嬉しかった。
それから薫は何杯か井戸水を汲んではかけるを繰り返し、そして剣心の左手をとってしげしげと見つめる。
「よかった・・・・・・水ぶくれにはならなかったみたいね。じゃあ、お薬も塗っておきましょ」
冷たくなった手に伝わる薫のぬくもりが心地よくて、剣心は素直に頷いて彼女に従った。
「恵さんから貰った軟膏、火傷にも効くって言ってたから・・・・・・」
縁側に、ふたりは向かいあって腰をおろす。弥彦が持ってきてくれた薬箱から軟膏を取り出した薫は、剣心の手にそれを塗り始めた。
火傷をしたのは左手なのだから、無事なもう片方の手を使えば自分でできるのだが―――薫はそのことに気づいていないようなので、それをいいことに剣
心は彼女の厚意にありがたく甘えることに決めた。
左手で、火傷をした手を取って、右手の指で薬を掬って、注意深く傷に塗りつける。
普段は、何かの拍子に指と指が触れ合っただけで真っ赤になって手を引っ込めるというのに。でも今は、火傷の心配でそれどころじゃないんだろうな。
「毎日竹刀を握っている所為で、硬くなった手のひらが恥ずかしい」と、以前彼女が言っていたことがある。
けれど、こうして火傷した手を下から支えてくれている手も、薬を塗ってくれている指先も、自分のそれよりずっと柔らかくて―――こんなに、気持ちいいの
に。そんなことを思いながら、剣心は僅かに目を上げて薫の顔をこっそり覗き見た。
「これで大丈夫だと思うけれど・・・・・・剣心、痛くない?」
「ああ、痛くない」
薫は顔を上げて、「よかった」というように笑った。その笑顔があまりに可愛かったから―――離れるのが勿体無いなと思った。だから。
「こうしていると、痛くないでござる」
「こうして」の意味がすぐにはわからず、薫はきょとんとする。
しかし、それが手当てのため握った手のことを言っているのだと一拍置いて理解して、慌てて手を離して引っ込めようとした。
が、剣心はその手を素早くきゅっと握って、捕まえる。
「だから・・・・・・こうしていると、痛くないんでござるよ」
つまりは「離れたくない」と主張している剣心に、薫はおろおろと困ったように目を泳がせた。先程までどこかに忘れてきていた恥ずかしさが、突如舞い戻
ってくる。しっかりと手と手が繋がっているのを改めて感じて、薫の白い頬にみるみるうちに血がのぼる。
彼女の羞じらいを理解しながらも、剣心は握った手を離すつもりはなく―――彼の手の力が緩む気配がまるでないことを感じとった薫は、やがて、深呼吸
をするかのようにすうっとひとつ息をつく。
「・・・・・・こうしていると、痛くないのね?」
小さな声で、確認するようにそう訊かれて、剣心は「そうでござる」と殊更に真面目くさった面持ちで答えた。薫は「甘えている」としか受け取れない彼の返
答に、唇をふわりとほころばせる。
「それじゃあ、仕方がないから、こうしていてあげる」
薫としては、思い切り勿体をつけて尊大に言ったつもりだった。しかし、いかんせんその声音からは隠しきれない「精一杯」さが滲み出ており、剣心はまた
「可愛いな」と頬を緩める。
向かいあって膝を突き合わせて、差しのべた手のひらで繋がれたふたり。
心地よい風が庭の葉末を揺らしながら縁側に吹き込んで、剣心と薫の手をくすぐる。
「冷たくないでござるか?」
たっぷり井戸水をかけて冷やしたおかげで火傷は大事には至らなかったが、そのかわり指先はすっかり冷たくなってしまった。その指で薫の手を捕まえて
いる剣心は、少し気遣わしげに尋ねる。しかし薫は、ふるふると軽く首を横に振った。
「大丈夫、今日はちょっと暑いくらいだし」
「じゃあ、気持ちいいでござるか?」
・・・・・・たしかに、ひんやりした剣心の手を握っていると、純粋に感覚的に気持ちいいのだけれど。しかし彼の今の台詞は無駄に意味ありげな響きを伴って
おり、薫は火傷に障らない程度にぎりっと力をこめて手を握ることによって抗議の意を示した。
「痛いでござるよ」
「剣心が変なこと言うからでしょ」
「別に、変なことなど言ってないでござる」
「じゃあ、変な訊き方するからよ」
「・・・・・・痛くないでござるか?」
「・・・・・・大丈夫」
言葉の応酬とともに、互いの手に力をこめて、握って、緩めてを繰り返す。
「火傷、ほんとに痛くない?」
「ああ、こうしていれば平気でござるよ」
「・・・・・・そうなの」
「うん、そうでござる」
やがて、言葉は途切れて。ふたりは手だけで会話をするかのように、そっと指だけを動かす。
力を入れすぎないように注意しながら、痛くないように、優しく。離れたくないという気持ちが伝わるように、強く。相手が握ってきたのと同じだけの力と想い
で、握り返して。
薫の体温が分け与えられたように、剣心の手がだんだんとぬくもりを取り戻してゆく。
繋いだふたつの手が、まるで同じひとつの生き物であるように、同じ温度になって―――
「・・・・・・取り込み中、すまねぇんだが・・・・・・」
手をつないだまま交わしていた無言の会話を断ち切ったのは、突如ふってわいた左之助の声だった。
剣心と薫は同時にびくっと肩を震わせ、やはり同時に頭上をふり仰いだ。ふたりを見下ろす左之助は、彼にしては珍しく申し訳なさそうな、ばつの悪そうな
顔をしている。
「野暮な真似してすまねぇんだけどよ・・・・・・まだかかりそうなら饅頭先に食ってもいいか?弥彦が待ちくたびれてるぜ」
先に反応したのは薫だった。かあっと耳からうなじまで真っ赤にすると、ぱっと手を離して勢いよく立ち上がる。
「ごっ・・・・・・ごめんね待たせちゃって!わっ、わたし、薬箱片付けてくるから、お茶にしましょうっ!」
そう言って、薫は男ふたりから顔を隠すように薬箱を掲げ持ち、ぱたぱたと慌てて奥へと逃げていった。その後ろ姿を見送った左之助は、もう一度剣心に
「悪ぃ、邪魔しちまって」と謝った。
「・・・・・・いや、構わないでござるよ。むしろよいきっかけになったというか・・・・・・」
このまま左之助が現れなかったら、きっと手を離すタイミングなど見つからなかった。下手をすると夕方までこのままだったかもしれない―――いや、それ
はそれで別にいいかなとも思うのだが。
「いや、それだけじゃなくて、前言を撤回しようと思ってよ」
「前言?」
「お前ぇのこと物好きなって言っただろ?正直言って俺は、女として嬢ちゃんのどこがいいのかさっぱりわからなかったんだが・・・・・・認めるわ、今のは確
かに可愛かった」
必死で手当てをしている様子は勿論だが、手を取られて羞じらう表情は、可憐としか言いようがなかった。
驚いて、真っ赤になって逃げ出した姿も、初々しくて可愛らしい反応だと素直に思えた。
だから左之助は、前言を撤回し先程悪しざまに貶したことを謝ったのだが―――
何故か剣心は険しい顔になり、ばっ、と防御をするように左之助の前に右手を突き出した。
「いや、わからなくてもいいでござる」
「は?」
「その、つまり・・・・・・おぬしまでそういう目で薫殿を見るようになっては・・・・・・だから・・・・・・」
眉間に皺を寄せて訴える剣心に、左之助は呆れた顔になる。
随分と迂遠な言い方ではあるが、要するに「お前まで彼女のことを好きになっては困る」と言いたいのだろう。
「安心しろ。そんなことは絶っっっ対にありえねぇから」
言い捨てて回れ右をすると、背中に向かって「その言い方は薫殿に失礼ではござらんか」という声が飛んできたが、左之助は知ったことかと心の中でつぶ
やいて無視を決めこむ。
確かに、さっきの薫は可愛かった。それは認めよう。
しかし、彼女の見せたあの反応、あの表情は特別な相手でないと見られないもの―――好きな相手にしか見せない姿だ。
従って、先程はたまたま目にしてしまったがそんな偶然でもない限り、剣心だけしか見られない姿なのだから―――それに対して恋心を抱くなど不毛の
極地ではないか。もっとも、薫に限ったことではなく、概して世の女性たちはそうやって「好きなひとにだけ見せる特別な姿」を持っているものだが。
「・・・・・・何処かにいないもんかねぇ。俺にも、そういう女が」
廊下を歩きながら、左之助はひとりごちる。
それにしてもあいつらはどこからどう見ても両想いなのにじれったい。早く夫婦にでもなんでもなっちまえばいいのに―――
そんなことを思いつつ左之助が居間に戻ると、さきほど大層可憐な顔を見せていた薫は、水入りになっていた弥彦との喧嘩を再開させていた。
「なんだお前ぇら、まだやってたのかよ飽きねぇなぁ」
左之助の呆れた声に振り向いた薫は、賛同を求めるように彼に向かって訴えた。
「だって!弥彦ったら酷いのよ?!待ちきれずにお饅頭ぜんぶひとりで食べちゃったんだから!」
かくして、左之助も薫に味方して彼らの「喧嘩」に加わることとなった。
了。
2015.10.19
モドル。