剣心は、ほとんど駆け足と言ってもよい速度で前川道場への道を急いだ。
突然押しかけて「薫殿を迎えに来た」などとのたまったら先方にはさぞ驚かれるだろうが、そんな事に構っている場合ではない。
薫と左之助の仲を疑ったのは、誤解だった。
しかし、ここ数日ふたりが会って何をしていたのかは、薫に聞かないことにはわからない。
今はただ、早く彼女に会ってこの嫉妬心に決着をつけてしまいたくて―――
「・・・・・・あ」
と、道の先に見覚えのある着物の色彩を認めて、剣心は速度を緩めた。
向こうも同様に剣心に気づいたようで、あちらは逆に小走りに足を速める。
「・・・・・・剣心?!」
薫は、驚いた顔で剣心に駆け寄った。
どうやら、もう「用」は済んでしまったらしい。行き違いにならなくて幸いだったと剣心は思ったが、目の前の薫は不安げな様子で眉を曇らせる。
「どうしたの剣心? うちで何か変わったことでもあったの? 弥彦がどうかしたとか・・・・・・?」
矢継ぎ早に、質問が飛んできた。
・・・・・・考えてみたら、こんなふうに他の道場まで彼女を迎えにゆくなど、今までなかったことである。薫にしてみれば、何か火急の用事だろうかと思って
しまうのも当然かもしれない。
「あ、いや、特に何があったというわけではないのだが」
「え?」
「えーと・・・・・・だから、ただ、薫殿を迎えにきただけなのでござるが・・・・・・」
「・・・・・・え?」
薫の目が更に驚いたように大きくなり、頬にふわりと朱がさす。つられて剣心も、落ち着かない様子で目を泳がせた。
「え、やだ、珍しい・・・・・・っていうか、こんなの初めてじゃない? 急にどうしたの?」
「あ、うん、何というか、その・・・・・・」
早く会いたいと思ってはいたものの、流石に彼女の顔を見るなりすぐに「左之助に何を口止めしたのか」と問い詰めるのもはばかられ、剣心は適当な場
つなぎの言葉を探したが―――ふと、さまよっていた視線が薫の手元をとらえた。
山吹色の、風呂敷包み。
何か、角ばったものを包んでいるような輪郭のそれを、薫は大事そうに抱えている。
視線に気づいた薫は、何故かその包みをぱっと背中に隠す。
明らかに「見られたくない」という意思を感じる行動に、剣心は眉を動かした。
「それ、何でござる?」
「な、なんでもないの。たいしたものじゃないの」
「そうでござるか。では、拙者が持つでござるよ」
「だ、大丈夫よ全然重いものじゃないし、他に荷物もないし・・・・・・」
風呂敷包みを渡すまいとじりじり後ずさりをする薫に、剣心はこれがここ数日の「用」に関係あるものかと思い当たる。
と、なるとますます気になって、剣心もじりっと一歩踏み出して薫との距離を詰めた。そのまま彼女の背後に回ろうとしたが、薫も背中を晒さないよう逃
げるように身体を捻る。剣心が追いかけるように動くと、更にぐるんと回れ右をして、頑なに彼から背中の風呂敷包みを守ろうとする。
「何でもないのなら、どうして隠すんでござる?」
「べ、別に隠してなんかないもんっ」
「隠しているでござるよ」
「もー! ほんとになんでもないんだってば・・・・・・きゃあ!」
ふたりは道端でぐるぐると攻防を続けていたが、やがて、足をもつれさせてしまった薫の身体がぐらりと傾いた。
剣心は素早く腕を伸ばし、転びかけた薫を抱きとめる。ついでに、ひょいとその手から風呂敷包みを取り上げた。
「や・・・・・・ちょっと、それは駄目っ!」
薫は剣心の片腕に抱かれたまま、手を伸ばして包みを取りかえそうとしたが―――
「薫さーん! 忘れ物ですよー!」
突然響いた元気な声に、ふたりはぴたりと動きを止める。
声がした方を見ると、前川道場の門弟の少年がこちらに駆けて来るところだったが―――剣心と薫のとっている姿勢に気づいて、少年は急停止をした。
「あっ・・・・・・す、すみません! お邪魔、でしたか・・・・・・?」
はたから見れば、道端で抱き合っているような格好である。ふたりは飛びすさるようにして慌てて離れると、揃ってぶんぶん首を横に振った。
「じゃ、邪魔してないから! 邪魔されるようなことしてないから大丈夫だから! って、ええと・・・・・・ご、ごめんなさいねわざわざ。忘れ物って?」
「あ、はいっ。これ、先生の奥様が気づかれて・・・・・・お使いになっていた前掛けです。では、確かにお渡ししましたのでっ!」
剣心と薫は否定したが、それでも少年にしてみれば「邪魔をした感」を拭えなかったのだろう。忘れ物を手渡すとぱっと身を翻し、今来た道を走って戻っ
ていった。後には、ふたりが残される。
剣心は、自分の手にある風呂敷包みと、薫が受け取った「忘れ物」を見比べた。
「前掛け・・・・・・で、ござるか?」
薫は、観念したように空を仰いだ。
★
ふたりは、直ぐには神谷道場に帰らなかった。
河原沿いの道を歩いて、柔らかな草が生えそろっているあたりを選び並んで腰をおろしたふたりは、少しの間無言で川面を眺めていたが―――
先に沈黙を破ったのは薫だった。
「・・・・・・開けてみて」
「え、いいんでござるか?」
薫が指して言っているのは、今は剣心の膝の上にある、例の風呂敷包みの事である。
「ほんとはもうしばらく内緒にしておきたかったんだけど・・・・・・諦めたわ」
そう言って薫は、膝に顔をうずめる。
剣心はなんだか申し訳ない気分にかられながらも、するりと結び目を解いた。
風呂敷に包まれていたのは、黒塗りの重箱の一段。
その蓋を開けると、ふわりと食欲をそそる匂いが漂った。
中に詰まっているのは、筍に蓮根、牛蒡や里芋など、色よく煮られた野菜の数々。
その上には明るい緑の絹さやを刻んだのが、彩りよく散らされている。
剣心は、重箱の中身をしげしげと見てから、薫の傍らにある前掛けに目をやった。
・・・・・・と、いうことは。
いやしかし、これは普通に美味しそうなのだが、でも―――
「・・・・・・ひょっとして、薫殿が作ったのでござるか?」
ひょっとして、の部分にいやに力がこもっていたので、薫は膝に顔を押しつけたまま、憮然とした表情で頭を縦に動かした。
渋々ながら、という様子ではあるが、それは肯定の仕草である。
「・・・・・・お料理、教わってたの」
「え?」
「前川先生の奥さんに、お料理教えてもらっていたのよ。それで、ここ数日あちらの道場に通っていたの」
そう言ってから、薫はがばっと顔を起こして噛みつかんばかりの勢いで剣心を睨みつけた。
「もうっ! もうしばらく黙っているつもりだったのにー! 剣心のばかっ!」
「え?! 拙者が悪いんでござるか?!」
「っていうか、これって発端は剣心なんだからねっ?!」
「・・・・・・拙者が?」
まったくもって訳がわからない剣心は、ただ聞き返すことしかできなかった。
しかし、そんな彼に対して―――薫は何故か、悲しげに表情を歪ませた。
6 に続く。