「・・・・・・おはぎ」
「へ?」
「前に剣心、恵さんに言ったじゃない。わたしの作ったおはぎは、泥まんじゅうみたいだって」
怒っている、というよりは、しゅんとした、落ちこんでいるような声。
記憶の糸をたぐり寄せた剣心は、確かにそんな事を口にしたこともあったかと思い出した。しかし―――
「いや、薫殿、あれは言葉のあやというやつで、別に深い意味は・・・・・・」
「剣心はそうかもしれないけれど・・・・・・でも、わたしは嫌だったんだもん」
薫は、自分が料理が不得手であるということは自覚していた。
弥彦や左之助にもそのあたりはさんざん指摘されていたし、彼らから文句を言われるのは慣れっこだった。
けれど、剣心に言われるのは―――しかも、よりによって恵に向かってあんなふうに言われるのは嫌だった。
と、いうか―――はっきり言ってあの時薫は傷ついたのだが、しかし、残念ながら剣心の言ったことは事実なのである。
「この前の出稽古のときにね、なんとなく先生の奥さんとお料理の話になって。それであの時のこと思い出して、美味しいおはぎの作り方教えてください
ってお願いしたのよ、でも・・・・・・」
薫の料理レベルを知った奥方はなんだかやたらと張り切ってしまい、「まずは基礎として日常のお菜からです! おはぎはその後!」と言い放ち、思いが
けず奥方指南の料理教室がスタートしてしまったのだ。そんなわけで今日の課題は―――今剣心の手元にある野菜の煮物というわけだった。
「・・・・・・どうして、黙っていたのでござる?」
稽古でもないのに、連日前川道場に通っていた理由は判明したが、別にそれは隠すようなことでもないだろうにと剣心は首を傾げる。すると薫はむくれ
たように「驚かせたかったの」と呟いた。
「もっと上達して、ひとりでももっと美味しく作れるようになったら、剣心に作ってあげてびっくりさせようって思ってたの」
そう言って、がっくりと再び膝の上に顔をうずめた。
「なのに、こんなにすぐにばれちゃうなんて・・・・・・わざわざ左之助にあんなお願いまでしたっていうのに・・・・・・ああもう〜」
「左之には、何を?」
そう、この度最も気になっていたのは、まさにそこなのだ。
剣心は真剣な声で尋ねたが、それに対する薫の返答は無造作だった。
「毒見役」
「どくみ?」
「ううん、自分の作ったものをそこまで卑下するのも情けないわね・・・・・・あのね、味見役になってもらってたのよ」
料理を教われば、当然結果として料理ができる。
出来た料理は、前川家の食卓にも並ぶことになったが、それでもまだいくらかは余る。
奥方には「せっかくだから持ってお帰りなさいな」と勧められたが、まだ、料理を習っていることは剣心に知られたくない。
―――と、いうわけで。
思い浮かんだ顔が、左之助である。
「どうせなら、味の感想とか聞きたかったし。出来れば男のひとの意見がいいなって思って。それで、わたしの知ってる男性で遠慮なくあれこれ言ってく
れるような相手って、左之助しかいなかったのよね」
そんなわけで薫は、左之助を捕まえてその旨を頼みこんだわけだった。
勿論、剣心には内緒にしておいてくれと口止めすることも忘れずに。
「・・・・・・そういう事でござったか・・・・・・」
剣心にとっては、目の前の霧が晴れたような気分だったが、薫にしてみれば「驚かせよう」という計画があっさり露呈してしまったのは不本意なことこの
上ない。全容を白状させられた薫はむくれた顔で川面を睨むように見ていたが、ちらりと横に座る剣心をうかがうと、なんだかやたらと嬉しそうな顔をして
いたので―――ほんの少し眉根から力を抜いた。
「・・・・・・なぁ、薫殿」
「なぁに?」
「これ、食べてみてもいいでござるか?」
薫は驚いて顔を上げた。
一応訊くには訊いたが既に剣心は食べる気満々のようで、指を重箱の中にのばしかけている。
「え、でも、お箸もないのに」
「そんなの、手で構わないでござるよ」
「だっ、だけど! 剣心にはもっと上手になってからって思って・・・・・・だからこれも左之助に・・・・・・」
先程から何度も繰り返される左之助の名前に、剣心はむっとしたように眉をひそめた。
確かに、誤解は完全に解けたわけだが、それでもこう連呼されるのはどうも面白くない。
「奴には勿体無い」
「え」
「左之ばかり、ずるいでござろう」
駄々をこねるような言い方に、薫は目を丸くする。
そして、今の台詞に内包された嫉妬の気配を感じ取って―――いやまさかそんなと思いつつも、赤面する。
そんな薫を尻目に、剣心は筍をひとつつまんで、ぱっと口の中に放りこんだ。
「あー!」
薫は悲鳴のような声を上げた。そして、なんだか悲壮な顔つきで剣心が筍の煮物を噛んで飲みこむのを待った。
「・・・・・・美味しいでござるよ」
「うそー!」
「いや、本当でござるよ! ちゃんと本当に美味しいでござる!」
言いながら剣心はもうひとつと手をのばす。蓮根、椎茸と、次々とつまんで口にしてゆくのを見て、薫は彼の感想がお世辞ではないという事をようやく信
じることができた。それと同時に、体中から力が抜ける。
「よかったぁぁぁぁ・・・・・・」
大きく息を吐き出すように安堵の声をこぼし、嬉しそうに唇をほころばせる薫を見て、剣心は素直に「かわいいな」と思った。
こんなことに一所懸命になっている彼女が、今まで以上に、愛おしく感じられた。
「・・・・・・薫殿、すまなかった」
「え?」
「その、あの時、酷いことを言ってしまって」
「泥まんじゅう発言」の事を言っているらしいが、敢えてその単語を使わないあたり、本当に済まないと思っているらしい。まぁ、困ったことに美味しくなか
ったのは事実なので、薫はむしろばつが悪そうに肩を縮こまらせた。
「ううん、わたしこそ、あの時剣心のこと思いっきり殴っちゃったし」
「明日は、一緒に作ろうか」
「えっ?」
「拙者も教えるから、御飯、一緒に作るというのは・・・・・・どうでござる?」
思わぬ申し出に、薫は目をみはる。
「剣心が、教えてくれるの?」
「まあ、拙者もそんなに色々作れるわけでもないでござるが、薫殿が嫌でなければ・・・・・・」
「う、ううんっ! 全然嫌じゃないっ!」
薫はぶんぶん首を横にふり、それから神妙な顔で「お願いします」と言った。かしこまった感じが可笑しくて剣心が笑うと、薫もつられて笑顔になる。
気がつくと、陽は傾いており、西の空が橙に染まり始めている。
草の上に伸びるふたりの影も、すっかり長くなった。
「もう、こんな時間なのね」
「いいかげん戻らないと、弥彦が心配するでござるな」
剣心は膝の上の重箱を包み直すと、先に立ち上がって薫に手を差し出した。薫は素直にその手に甘える。何故だか互いに、今日はそうすることがとて
も自然なことに思えたから。
そして、ふたりは夕暮れの道を並んで家路についた。
剣心は時折薫の横顔に目をやりながら歩いていたが、ふと、先程の左之助の言葉が頭に浮かんだ。
流浪人とは、そんなに不自由なものなのか、と。
奴のいう事は、きっと正鵠を得ている。
流れさすらうことに頑なまでにこだわるのは、自由に生きているとは言いがたい。むしろそれは、自分で自分に枷を科した生き方と言えよう。
自分の生き方や信条は、自分で変えられる。それもまた真実なのだろう。
だからといって、直ぐに今の生き方を変えることはできそうにない。自分はあまりにも多くの罪を重ねすぎたし、誰かを愛する資格があるとも思えない。
けれど―――この場所はとても居心地がよいと思っているのは事実だ。
それに、薫に対するこの気持ちは、既に動き出してしまった。
きっともう、止めることは自分でも不可能だろう。
来月、いや来週か、もしかすると明日にでも、何か事件が起きたとしたら。
何か、今の状況が大きく変わってしまう出来事があったとしたら、また流れ歩く暮らしに戻ることになるのかもしれない。
けれど、今、自分はここにいる。
東京で、新しくできた友人たち、仲間たちのもとに。薫のもとにいる。
この「今」がいつまで続くかはわからないけれど、それでも。
せめて一緒にいられるこの瞬間は、彼女のことは絶対に俺が守ろう。
精一杯―――彼女のことを好きでいよう。
「ねぇ、剣心も今日の夕御飯用意したんでしょ? おかず、沢山になっちゃうから、やっぱりこれ左之助にもお裾分けしない?」
「いや、左之は今日は二日酔いでござるから、食欲はないでござろう」
「・・・・・・どうしてそんなこと知ってるの?」
きっぱり即答した剣心に、薫は不思議そうに首を傾げた。
やきもちを焼いた挙句に殴りこみをかけたからだよ―――とは流石に言う事はできなくて、剣心は曖昧に笑ってみせた。
召しませジェラシー 了。
2013.04.25
モドル。