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        馨に頼まれた剣心は、弥彦と燕の姿を探した。
        しかし、母屋にも道場のほうにもふたりの姿はない。おかしいな何処に行ったのだろうと首を傾げつつ、唯一覗いていなかった薫の部屋に向かう。
        そろそろ支度は整ったであろうか。準備をしているところは見るなと今朝がたしっかりと念を押されたが、弥彦たちを見つけるためだから仕方がないなと、
        剣心は心の中で言い訳を唱える。と、いうか「弥彦たちを呼んでくる」という大義名分があれば、堂々と花嫁の部屋に入れるのでは―――という下心もあ
        った。大体において、見るなと言われると余計に見たくなるのが人情だ。

        いそいそと薫の部屋に足を運んで襖の前に立つと、中から声が聞こえた。探していたふたりの声である。
        「薫殿?弥彦たちもいるのでござるか?」
        図に当たったとばかりに、襖に手をかける。「入るでござるよ、馨殿が探していたで・・・・・・」と、そのまま取っ手を横に引いたら、中から「だめっ!」と薫の声
        が響く。無情にも、襖はぴしゃりと新郎の鼻先で閉められた。


        「薫殿?!」
        「だめよ!まだ髪もお衣装も途中なんだから、まだ見ちゃだめ!」
        「駄目って・・・・・・弥彦と燕殿は中にいるのでござろう?!」
        彼らは見ているのに自分は駄目だなんて、不公平ではないか、と。剣心は襖にへばりついて訴えたが、それはにべもなく却下される。
        「この子たちはいいの!でも剣心には、ちゃんと完成したところで見てもらいたいんだもん」
        「そんな、ずるいでござるよ弥彦たちばかりー・・・・・・」
        ぼすんぼすんと襖を叩いて抗議しても、薫は翻意しようとしなかった。廊下に出てきた弥彦に「ずるいでござる」と恨みがましく抗議したら、なんだか嫌そう
        な顔をされた。それを意に介さず「薫殿、きれいでござったか?」と尋ねてみる。

        「はい、とっても!」
        「まあ、馬子にも衣装って言うしな」
        燕は目を輝かせて絶賛したが、弥彦の答えはそっけない。部屋の中から「剣心、わたしの代わりにお願いー」という声がしたので、その命に忠実に弥彦の
        頭を小突く。もっとも、悪態めいた返答は少年らしい照れのせいだとわかっているので、拳固にこめた力はごく軽いものになったが。

        探していた旨を告げられた子供ふたりは、馨のもとに向かおうとして―――燕はその前に「紋服、似合ってます!」と剣心に笑顔を向けた。
        素直な賛辞が、照れくさいながらも嬉しくて、剣心は「ありがとうでござる」と礼を返す。すると、襖の向こうから薫が「ああっ!」と小さく叫ぶのが聞こえた。

        「薫殿?どうかしたのでござるか?」
        「しまったわ・・・・・・」
        「おろ?」
        「剣心に、わたしの格好を見せないってことは、わたしも剣心のこと見られないってことじゃないの・・・・・・」
        愕然とした声音に、薫に悪いと思いつつ剣心は吹き出しそうになる。
        「そうでござるなぁ、燕殿は似合っていると言ってくれたが・・・・・・残念でござるなぁ薫殿にはまだ見えてもらえなくて」
        「〜ッ!いじわるー!」

        顔を見なくても本気で悔しがっているのがありありとわかって、剣心はますます可笑しくなる。それを察したのか、薫はすかさず「今、笑ってるでしょう」
        と指摘する。
        「笑ってないでござるよ」
        「うそ!見えなくてもわかるんだから!」
        「ここを開けて、確かめるでござるか?」
        「う〜」
        部屋からは怨嗟の唸りが聞こえていたが、それはじきに途切れる。すると、今度はかすかな衣擦れの音がした。どうやら花嫁は、襖のすぐ前に立ったら
        しい。



        「・・・・・・ねぇ剣心」
        「うん?」
        「これからは、こういうのは『夫婦喧嘩』になるのよね」


        その言葉に剣心は目を大きくして―――そして「・・・・・・そうでござるな」と同意した。


        「・・・・・・そうだよね」
        「うん・・・・・・」
        「なんだか、改めてそう考えると、照れくさいわね」
        「うん、拙者もだ」



        剣心は、やはり今は襖ごしのままでよかったかもしれない、と思った。
        くすぐったさに紅潮する顔を薫に見せるのは、恥ずかしかったから。







        ★







        太陽が高く昇る頃になると、祝いの客が次々と道場の門をくぐった。はるばる京都からは、蒼紫と操も駆けつけた。
        そして午後になり、いよいよ祝言が始まる。



        金屏風の前に座り、剣心は花嫁を待っていた。
        毎日顔を見合わせており、つい先程まで襖ごしで会話を交わしていた相手を待っているというのに、いざこの段を迎えると胸が高鳴る。膝のうえに置いた
        手のひらは、無意識のうちにきつくかたく握りしめられていた。

        やがて、浦村夫人に手を取られた薫が姿を現す。
        その姿は、まるで大輪の白い花が咲いたようで。重たげな綿帽子の下、緊張しているような表情が初々しかった。
        化粧を施した頬に、長い睫毛が淡く陰を落としている。その瞳が剣心の顔にむけられ、紅をさした唇が、ふわりと優しくほころんだ。

        「ああ、これは大変だ。新郎が天女に魂を抜かれてしまった」
        薫の親代わりをつとめる前川がおどけた声で言って、一座からあたたかな笑いが起こる。
        実際、その言葉のとおり、今日の薫は天女のように―――いや、天女よりも綺麗だと、剣心は何か尊いものを見るような目で、花嫁を見つめた。
        「ちゃんと完成するまでは見ちゃだめ」と言われて、先程はあわや喧嘩へと発展しそうになったが、剣心は改めて、この瞬間に初めて彼女の花嫁姿を見る
        ことができてよかった、と思った。



        こんなにも、清らかでうつくしいすがたは、今この瞬間―――特別な瞬間にこそ目にするのがふさわしい、と。





        男蝶女蝶は、弥彦と燕がつとめた。
        馨があつらえた礼服に身を包んだ彼らから、盃に酒が注がれる。

        盃を手にした剣心は、自分の指が震えていることに気づいた。緊張していることもあるが、何より胸がいっぱいで、少しでも気を緩めると泣き出してしまい
        そうな、そんな心持ちだった。
        薫の頬にはすでに、ひとすじふたすじ、透明な涙が流れていた。新郎新婦の気持ちがそのまま伝播したのか、燕をはじめその場に居る女性陣のなかか
        らも小さくすすり泣く声が漏れる。そうして、三三九度の儀は厳かに進んでいった。


        夫婦の誓いを交わした剣心と薫は、仏壇に香華をたむけて、薫の両親に結婚の報告をした。
        広間に戻ると既に宴会が始まっており、笑顔と祝福の声がふたりを迎えた。
        何かにつけて、今日はすっかり涙もろくなってしまった薫は、金屏風の前で「あんまり泣くと、お化粧が落ちちゃう」とこぼした。剣心が「化粧なんてしていな
        くても、きれいでござるよ」と真顔で返すと、薫の頬にふわりと血の色がのぼる。その様子がまた、愛らしい。

        「ちょっとそこの御両人ー!なぁに主役のふたりだけで楽しそうにしてんのー?!」
        「あらまぁ、ほんに仲のいい新郎新婦やねぇ」
        操と妙の言葉に、どっと明るい笑い声がはじける。
        祝宴の中心に身を置きながら、剣心はしみじみと「ああ、いい日だなぁ」と思った。


        ここに集まっている皆が笑顔で、誰もが自分たちの門出を祝福してくれている。今この瞬間、ここには哀しみや恨みといった負の感情は存在していない。
        祝いに駆けつけてくれた人々にもそれぞれの人生があり生活があり、そこには多かれ少なかれ悩みや苦しみもあることだろう。
        しかし、今このひとときは、そういった面倒なことは忘れて、純粋な祝福のなかに身をゆだねて。ただ、皆で楽しく笑って。


        「薫殿」
        「なぁに?」
        「祝言、挙げてよかったでござるな」



        その言葉に、花嫁は大きく頷いて、笑った。











        3 へ続く。