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        妙が「今日はおめでとうと祝われるのが仕事」と言われたとおり、剣心も薫も数え切れないほどの「おめでとう!」の言祝ぎをもらった。
        その中でも剣心にとって、とりわけ印象的だったのは、祝言がはじまる前に蒼紫から贈られた言葉だった。

        祝いの文言としては異色だったが、それは闘いのなかに身を置いてきた彼だからこそ言える台詞だった。
        長年背負い続けてきた荷が、ふっと軽くなったと感じられるような、そんなふうに思わせてくれる貴重な言葉だった。



        また、薫の両親と親しくしていた古美術品の店の店主・彩月堂の主人は、おめでとうの後に「わたしの勘違いが本当になって、実に嬉しいですね」とにこや
        かに続けた。薫は意味がわからず首を傾げたが、剣心はすぐに得心した。
        「御主人は拙者のことを、薫殿の父上が決めた許嫁だと思っていたそうで・・・・・・」
        「え、やだ、そうだったんですか?!」

        以前、店主がごろつきに絡まれているのを剣心が助けたことがあった。その際「父上が生前に決められた婿殿かと思った」と言われ、剣心は慌てて「それ
        は違う」と訂正したのだった。当時、薫にも店主を助けた顛末は話したが、しかし剣心としては婿に間違えられたことを話すのはどうにも気恥ずかしくて、そ
        の部分は割愛して報告したのである。

        「あの頃から、おふたりが並んでいるとなんともいい雰囲気だったので・・・・・・頼もしい方と一緒になれて、ご両親もお喜びのことでしょう。これからも、薫さ
        んを守ってあげてくださいね」
        昨年、勘違いされたときは即座に否定したものだったが、今回は違う。剣心は力強く頷いて「勿論でござる」と誓った。



        一礼して祝い客の輪の中に入っていった、彩月堂の主人の背を見送った剣心は、花嫁がじっと自分の顔を見つめていることに気づく。
        「どうかしたのでござるか?」
        「・・・・・・わたしも、今のでちょっと思い出しちゃったの。去年のことを」
        「おろ、何でござるか?」
        「剣心と左之助が、恵さんをうちに連れてきたときの事よ」
        「うん」
        それが、今の店主との会話とどんな関係があるのだろうと、剣心は首をひねる。

        「あなた、わたしに『薫殿は必ず拙者が守る』って言ったのよ」
        「・・・・・・うん」


        確かに、そう言ったことは記憶している。
        あれは、剣心たちが恵や蒼紫と知り合うきっかけとなった事件。それは観柳や御庭番衆と対峙した、阿片に絡む事件だった。
        その出来事の直前に、薫が黒笠・刃衛に拉致されるという騒動があったため―――だからこそ剣心は、「今度は絶対に、薫を危険な目に遭わすまい」と
        強く思っていた。


        「そう言われて、すっごく嬉しかったんだけど・・・・・・少ししてから、ちょっと腹も立ったのよ」
        「おろ、どうしてでござる?」
        「だって、あんなの殺し文句じゃない!?剣心みたいなひとから真顔で『守る』だなんて言われたら、大抵の女の子はときめいちゃうわよ。そんな台詞を、
        流浪人してた頃にはわたし以外の子にも、たびたび言ってきたのかしら・・・・・・って思ったら、腹が立ったの」
        「はぁ・・・・・・」
        「・・・・・・ごめんね、今日みたいな日にこんなこと言って。あと、やきもちやきで、ごめんなさい」
        拗ねた声でしめくくる薫が可愛くて、今のは苦情というか叱責の部類に入る言葉だとわかっていながら、剣心の頬はゆるむ。いやしかし、今の台詞には大
        きな誤解も含まれていた。そこはちゃんと解いておかなければと、慌てて弁明にかかる。

        「いや、拙者そんな誰彼かまわず言ってきてはいないでござるよ?」
        「・・・・・・でも実際、わたしに言ったじゃない。あの頃はまだ、わたしのこと好きなわけでもなかったでしょ?」
        「いや、ちゃんと好きだったでござる」
        間髪入れずに、言い切った。そこは大事なところなので、ちゃんと主張しておかねばと思った。


        多分、あの頃の俺は理由が欲しかったんだ。引き止められるままに、この場所に居着いてしまったから。
        あの頃、自分を罰するために旅をしていた。償うために流れていた。ひとつの場所に居るためには、理由がなくてはならなかった。
        「好きになったひとのそばにいたいから」なんて、そんな理由でとどまる訳にはいかない。俺にはそんな事許されるわけがないと、そう思っていたから。

        そういう意味では、観柳の一件では大義名分を得たとも言えた。
        騒動が起きれば薫に危険が及ぶかもしれない。それならば、君のことは絶対に俺が守らなくては、と―――今にして思うと、かなり不謹慎な大義名分で
        はあるが。


        「今のも、殺し文句だわ・・・・・・」
        照れもしないで「好き」だと言い切られたものだから、薫は真っ赤になってうつむく。
        「よかった」
        「え、何が?」
        「これからは、理由なんてなくても、ずっと薫殿を守れるから」


        結婚すれば、良人になれば、理由なんてなくても無条件に「君を守る権利」を得られる。彩月堂の主人から言われたように、一生かけて君を守ることが俺
        の務めになる。そのことがとても誇らしくて、とても嬉しかった。

        愛おしげに目を細めて、剣心は薫を見つめる。薫は、まだ赤い頬のまま彼の瞳を見つめ返して―――そして、ぽつりと言った。



        「・・・・・・あなたはずっと、理由を探しながら、旅をしていたんだね」



        澄んだ声音に、剣心ははっとする。


        旅のはじまりは、十年以上前。
        ひとつでも多くの笑顔を守ることで、ひとりでも多くのひとを助けることで、犯した罪を償おうとした。
        そもそも、幕末の闘いで生き延びてしまったこと自体が間違いだと思っていたから。罪人である自分が生き残ってしまったからには、生き続けるための理
        由が必要だと思っていたから。


        だから、守るため救うために剣をふるうことを、生きる理由にして。
        その理由を支えに、ずっと歩んできた。けれど―――



        「あのね?守ってもらえるのは、やっぱり凄く嬉しいんだけど・・・・・・わたしは、あなたが、ただ一緒にいてくれるだけで、凄くすごく嬉しいの。理由なんて、
        それで充分だわ」



        花嫁衣装をまとった薫は、いつもより更に綺麗で。きよらかな白無垢の所為か、清しい光が彼女を包んでいるかのようで―――いや、この輝きは、彼女
        自身の心が発するものだろう。
        その光に魅せられたから、俺は今、此処にいる。




        「剣心がいてくれて・・・・・・嬉しい」




        花がほころぶように、薫が微笑む。
        先程の盃事の際、前川が稚気をこめて剣心の様子を「天女に魂を抜かれてしまった」と表したが、今こそまさにそれだった。
        まるで、魂を奪われたかのように。一瞬、周りに祝いの客たちがいることも何もかもすべて忘れて、そのまま腕をのばして花嫁を抱きしめたい衝動に駆ら
        れた。

        それを、寸でのところで止めたのは、薫とよく似た声―――けれどもまったく違う人物の声だった。


        「薫さーん、そろそろお色直ししましょうよー」


        中座を促す馨の声に、剣心は我に返る。
        「ごめんねー剣心さん、仲良くしてるところ邪魔しちゃってー」
        人の悪い顔でからかう馨に対して、いつもならば気の利いた台詞で切り返すところだが、今はその余裕がなく「いや・・・・・・大丈夫でござるよ」としか言えな
        かった。
        「すぐに戻るからね」と、はにかんで馨に手を引かれてゆく薫を見送った剣心は、ほぅ、と大きくため息をついた。




        今日は間違いなく、特別な日だ。
        ここに集まっている皆が笑顔で、誰もが俺と薫の門出を祝福してくれて。哀しみや恨みとかいった負の感情は存在せず、純粋な祝福の中に身をゆだねて。

        今日は特別な、特別に嬉しい日だけれど、でも。
        きっと「幸せ」というのは、こんなきらきらした瞬間がずっと続くようなものではなくて、大切なひとと共にいられる日々のことを指すのだろう。
        あたりまえのようにいつもそばにいれば、あたりまえのように君を守れるようになるから。たとえば、ふいの雨が降りかかったときに、隣を歩く君にすっと傘
        を差しかけるかのように、それが当然のことのように。
        そのために、俺は君と夫婦になるんだ。


        でも―――




        「守られているのは、こっちの方かもな・・・・・・」




        剣心がいてくれて嬉しい、と。
        ただ、純粋にそのことを喜んでくれる、認めてくれるひと。
        何のために生き続けるのか、何を理由にすれば生きることを許されるのか、ずっと求めていた答えは、そのまま君の存在だった。


        気がつくと、いつも俺は守られていた。
        君の笑顔に、君の言葉に、君という、かけがえのない存在に。



        「寂しそうだなぁ、花嫁が席を外しちまって!」
        祝い客の茶化す声に、周りからどっと笑いがあふれる。ふっと頬をゆるめた剣心が「ものすごく寂しいでござる!」と大きな声で答えると、笑いとともにや
        んやの喝采が起きた。
        「おまちどおさまー!」と、妙たち賄い担当の女性陣たちが、蒸し上がった餅米を庭に運びこんできた。祝いの餅つきをするのに、参列している剣術青年
        たちが腕まくりをする。



        笑い声は絶えることなく、宴は、まだまだ続く。







        ★







        瞬きよりも、すこし長く目を閉じてみる。



        頬に感じる、春の始まりを告げるかのような、暖かな日差しの愛撫。
        耳に届くのは、人々の笑いさざめく声。おめでとうと言祝ぐ声に、ありがとうと礼を返す君。
        目を閉じていてもわかる。夢ではなく、これは現実なのだと。

        目を開けて横を見ると、君がいた。
        白無垢から色直しをした君が羽織るのは、赤の地に沢山の花々が描かれた色打掛。女性の着るものについての知識は乏しいけれど、その打掛が君に
        最高に似合っていることはよくわかる。



        「夢なんかじゃないわよ?」
        悪戯っぽく笑う君に、俺は頷く。
        「夢なんかよりも・・・・・・ずっと素敵だ」


        夢でだって、こんなに満たされた思いになることはなかった。
        こんな気持ちになる日が来るなんて、夢にも思わなかった。



        この奇跡みたいな現実を、大切に守ってゆくことを君に誓うから。
        だから、いつまでもそばに。
        いつまでも―――君と一緒に。







        万感の想いをこめて、細い手をきつく握った。
        この手を、二度と離しははしない。












        了。







                                                                                       2022.07.05







        モドル。