このこねこのこ









       「るっせーな余計なお世話だよ!タヌキ女!」




        道場から聞こえてきた弥彦の悪態に、剣心は不穏なものを感じて薪を割る手を止めた。
        そして予想通り、一拍おいて「待ちなさいこのクソガキー!」という薫の叫びとどたばたと賑やかに床を踏み鳴らす音。

        こういう場合は下手に仲裁に入らず静観していたほうがいいと、経験上わかっている。なので剣心は何事もなかったかのように作業を再開する。
        程なくして、道場を飛び出してきた弥彦が、剣心の横を風を切って通り過ぎた。
        「悪ィ剣心、宥めるのよろしく!じゃあなー!」
        言い終わった後にはもう、小さな背中は庭を抜けて門の方へと消えていた。
        後を任された剣心は「仕方ないでござるなぁ」と苦笑しつつ、薪割りはしばらく中断することに決める。


        「まぁっっったく!どーしてあんなに口がへらないのかしら!」
        怒り心頭、といった様子で庭に出てきた薫に、剣心は襷を外しながら「すまない、逃げられてしまったでござるよ」と笑った。
        「・・・・・・まぁ、いいわよ。捕まえていたら一体あの子にどんな惨い仕打ちをしてしまうか、我ながら恐ろしいくらいだもの」
        そう言って、ぶん、と手に持った竹刀で空を斬る。
        なまじ鋭い振りだけに、さて、今のはどこまでが冗談なのだろうと剣心は首を傾げた。

        「なんだか、妙な呼称が聞こえたでござるが」
        「あー・・・・・・あれね」
        薫は憮然とした表情で竹刀を胴着の肩に乗せ、縁側へすたすた足を向ける。
        「無駄に悪口の語彙ばかり増やしていくんだもの、嫌になっちゃう」
        ぴょん、と飛び跳ねるような動作で、薫は縁側の上に腰掛けた。
        反動で、高く結った髪がふわりと揺れる。


        「ってゆーか、ひどいのよ!あれ、斎藤さんが出どころなの!」
        「斎藤って・・・・・・あの斎藤?」
        思いがけない名が飛び出たものだから、つい剣心は聞き返す。薫は竹刀を傍らに置いて、手のひらで頬を覆うようにしながら不満げな視線を剣心
        に向ける。
        「ほら、孤島の一件の前後にね、なんだかんだ斎藤さんと行動することが多かったでしょ」
        「ああ、そうでござったな」
        「その頃、何かの折に斎藤さんがわたしたちのことを動物にたとえていたの、弥彦が耳にしたみたいで」
        「わたしたち?」
        隣に腰をおろした剣心に、薫は一瞬躊躇した後、平坦な声で答えた。



        「わたしが狸で、恵さんが狐で、操ちゃんがイタチ」



        剣心は僅かに間をおいてから、「・・・・・・ああ」と納得したように頷いた。
        「ってちょっとー!なによその成程みたいな反応はー!」
        「いやいやいやそうじゃなくて!奴が操殿にそう言っていたのを聞いたような覚えがあって、だから!」
        剣心は薫が振り上げた小さな拳をはっしと受け止めながら、慌てて弁明する。薫は腑に落ちない様子ながらも渋々腕を下ろした。
        「・・・・・・わたし、斎藤さんって、口が悪くて厳しくて怖い感じはするけれど実は結構いい人なのかしらーって思ってたんだけど、ちょっと考え改め
        ようかしら」
        「うんうん!それは改めるべきでござるな」
        斎藤の株が下がるのに、ここぞとばかりに力強く賛同する剣心に薫は目を丸くして、それからくすりと笑みをこぼした。

        「別に狸が嫌いってわけじゃないけれど、どうせならもう少し可愛い動物にたとえてほしかったなぁ」
        「確かに・・・・・・狸をいうよりは」
        剣心は薫の横顔をしげしげと見つめる。
        視線に気づいた薫は、いくばくかの期待をこめて次の言葉を待った。


        「猫、でござるかな」


        その回答に、ぱっ、と薫の表情が明るくなる。
        「わ、そっちのほうが嬉しいなっ。ねぇ、どのあたりが猫みたいなの?」
        「猫の目みたいに、表情がくるくると変わるところが」
        実際に、さっきまで怒っていたのが今はもう笑顔になっているのだし。
        その表情の豊かな変化はいつ見ても飽きなくて、剣心を楽しませてくれている。

        しかし、薫はその答えにうーんと首を捻った。
        「それって、ちょっとたとえる意味が違うんじゃ・・・・・・そういうんじゃなくて、もっと見た目とかでは?」
        「そうでござるなあ」
        ぐっ、と顔を近づけられて、薫は小さく息を飲む。睫が触れそうな距離で、瞳をのぞきこまれる。
        「目が、大きくてくっきりしているのが、猫っぽいでござるな」
        薫ははにかむように肩をすくめて「ありがとう」と笑った。
        「ほかには?何かある?」
        「うーん、ほかには・・・・・・」


        視界が暗く翳った、と思うやいなや、薫は剣心に抱きしめられていた。
        「・・・・・・え?」
        縁側から庭に向かって下ろしていた脚が浮き上がる。ぐいぐいと体重をかけられ、後ろに向かって仰向けに倒されてしまいそうになり、薫は慌て
        て身をよじった。


        「やっ、剣心!ちょっと何ー!?」
        「ああ、ほら、やっぱり猫っぽい」
        「は?」
        「やわらかくて、すばしっこくて、しっかり捕まえていないと逃げられてしまいそうなところも、猫みたいでござるよ」


        ぴったりと耳元に唇を寄せて囁かれ、薫の頬が赤く染まる。
        「だっ、だからそーゆーのじゃなくってー!きゃあ!」
        ばたつかせた足から、草履が落ちる。とっくにそれを脱ぎ捨てていた剣心は、膝をついて薫の身体を縁側の上に押し倒した。
        しなやかな身体がすり抜けて逃げてしまわないよう、拘束するように覆い被さる。
        「あとは・・・・・・」
        押さえつけた細い腕の内側へと指を這わせ、胴着の袖の中に手をすべりこませる。柔らかい皮膚をくすぐるように指を動かすと、薫の形のよい眉
        が切なげに歪んだ。それは、他の誰もが見ることのない、剣心しか目にすることができない、彼女の表情。



        「あとは、爪をたてるところも、猫みたいだ」



        剣心の身体の下、薫は言われた意味がわからずにまばたきをする。
        「・・・・・・わたし、剣心にそんなことしたかしら?」
        組み敷かれたままの姿勢で、心底不思議そうに尋ねる。
        「そんな、引っかくような喧嘩した覚え、ないんだけれど・・・・・・」


        邪気のない発言に、剣心は毒気を抜かれたように言葉を失った。
        しかし次の瞬間、これ幸いと言わんばかりの笑顔になって、おもむろに薫を抱き上げた。


        「け、剣心?!」
        「覚えがないなら、実地で確認しようか」
        「え」
        「いくらでも立てていいでござるよ、拙者の背中に」


        ちゅ、と額に唇を寄せられる。
        そこまで言われると流石に薫も理解できた。遅まきながらの抵抗を試みるにも、既に剣心の足は奥の部屋へとむかっていた。
        「も、もうわかったから!だから確認しなくても大丈夫だからっ!」
        「まぁそう言わずに、遠慮しないで」
        「するってばー!」






        その後、当然のように薫の「遠慮」は無視された。
        抱きしめられながら「泣き声も子猫みたいで可愛い」と囁かれた薫は、ささやかな抗議の意をこめて剣心の背中に爪をたてた。









        (了)









        モドル。

                                                                                 2012.01.15