「音が聞きたい」



        そう言ったら、君は困った顔になり目を伏せて、「剣心って、ときどき変なことしたがるわよね」と答えた。
        たしかに。今までの自分の行状(主に夜、ときどき昼も)を思い返してみると、そういうことも、まぁ少しは―――いや多少はあったかもしれないが、でも。

        「薫殿が嫌がることはしていないでござろう?」
        「・・・・・・」
        「いや、薫殿がほんとうに嫌がることは、していないでござるよ」
        無言の抗議を受けて少しばかり言い方を変えてみると、彼女はそれで納得してくれたようだった。
        いやしかしそれにしても、今日の「お願い」は特段変な要求ではないと思うのだが―――




        ただ、君の心臓の音を聞きたいと言っただけなのに。








      鼓 動








        「だって・・・・・・今こんなだから恥ずかしいんだもん」



        そう言って、薫は寝間着の胸元を隠すように手をかざす。
        こんなだからというのは、身籠ってから更に大きくなった乳房のことを指しているのだろうけれど―――別に、大きくなることに何の不都合もないだろうに。
        もっとも、大きくなろうが小さくなろうが、俺は君の胸が大好きなのだけれど。

        「ふわふわしていて、気持ちいいでござるよ?」
        「恥ずかしいこと言わないで」
        「ちょっとだけ」
        「・・・・・・もう〜」
        ぐっと顔を近づけて繰り返し「お願い」をすると、君はようやく折れてくれた。
        どうぞ、と言うようにぱらりと手をおろしたので、寝間着の袷をそっと寛げてやる。
        露わになった白い胸に、顔を埋める。柔らかな感触を少しの間頬で楽しんでから、耳を押しつけた。



        ・・・・・・とくん、とくん、とくん。
        体温とともに、君の鼓動が伝わってくる。



        「・・・・・・聞こえる?」
        「聞こえるでござる」
        「これが、聞きたかったの?」
        「うん」
        お腹をつぶさないよう気をつけながら、腕をまわして君を抱く。
        ―――と、薫の細い指が短くなった髪に差し入れられるのを感じた。そのまま、優しく撫でてくれる感触が、気持ちいい。

        「こうしていると、落ち着くんでござるよ」
        「心臓の音を聞くのが?」
        「うん」


        だってこれは幸せな音だから。
        君が生きている、その証の音なのだから。


        はじめて君を抱いたとき、あまりに嬉しすぎて、幸せすぎて泣いてしまったのを覚えている。
        あの頃は―――はじめての夜の少し前に、俺は君を失ったものと思っていたから。君が死んでしまったと思いこんでいたから。
        だから、直接肌で君のぬくもりを感じて、重なる唇から呼吸を感じて、裸の胸から鼓動をはっきりと聞きとって―――ああ、ほんとうに君は生きているんだと
        実感して、そのことが嬉しくて、泣いた。

        それからも君を抱くたびに、つい君の心音を探してしまうのは、癖になってしまったからだろうか。
        もう二度と君を失いたくないから。君に生きていてほしいから。こんなことが、癖になってしまった。


        「ねぇ」
        「うん?」
        「わたしも、聞いてもいい?」
        「え?」
        ふくよかな胸から顔を上げると、悪戯っぽい色をたたえた綺麗な瞳と目があった。
        君はぐいっと俺の肩をひっぱり上げるようにして、そして先程のお返しとばかりに、袷に手をかける。

        「か、薫っ?!」
        懐にとびこむようにして、君は俺の胸に耳をくっつけた。あっというまに、聞く側と聞かれる側が入れ替わる。
        「・・・・・・剣心、鼓動、速いわ」
        うん、だってそりゃ思いがけない君の行動に驚かされたわけだし、それに。
        「ちょっと、興奮してきた」と答えたら、慌てたように「馬鹿!」と言われた。しかしこれで離れられるのも勿体無いので、君が耳をはなす前に頭を抱きこんで
        やる。


        「・・・・・・あ、落ち着いてきた」
        「ちゃんと、聞こえてる?」
        「うん・・・・・・聞こえてる」
        しばらく、君はそうやって俺の鼓動を聞いていた。
        やがて身じろぎをすると、「ちょっと、剣心の気持ち、わかったかも」と君はつぶやく。

        「落ち着くわね、この音」
        「うん、そうでござろう?」
        「おなかの赤ちゃんも、わたしのこの音を聞きながら眠っているのかしら」
        「・・・・・・あ」


        そうか、言われてみれば。
        今、君のなかにいる小さな命は、いちばん君に近い、一心同体の存在だ。
        だとしたら、おなかの赤ん坊にとってはこの音こそが、命が宿ってからはじめて耳にする子守唄なのかもしれない。


        「ちょっと、うらやましいでござるな」
        「やだ、赤ちゃんに嫉妬してどうするの」
        「するでござるよ。拙者より薫殿の近くに居られるなんて、うらやましい」
        君は笑って頭をあげると、「拗ねないで」と言うように俺の唇に小さく口づけた。
        「もう一度、いい?」
        「どうぞ」
        今度は、君から腕をのばして、俺の頭を抱き寄せてくれた。
        ふたたび、乳房に耳をつけて、優しい音を探す。

        「・・・・・・ちゃんと、生きているんでござるな」
        ぽつりとそう言うと、君は「そうよ、しっかり元気に生きてるわ」と。そんなの当然でしょうと朗らかに頼もしく答えてくれる。
        「それに・・・・・・赤ちゃんだって、ちゃんとお腹のなかで生きてるんだから。この子も、とくんとくんって、いってるはずよ」
        さすがに聞こえはしないでしょうけれど、と君は笑ったけれど、俺はその言葉に軽く目をみはる。



        ああ、そうだ―――この子もそうやって生きている。
        君のなかでは、今ももうひとつの鼓動が、命の音を奏でている。



        「・・・・・・だからでござるかな」
        「え、何が?」
        君の疑問には答えずに、俺は顔を上げて君の頬を手で包んで、口づけを贈った。

        君をこんなにもいとおしく感じるのは、君のなかのいとおしい音が、ふたつに増えたからなのかな。
        もっとも、身二つになったその後も、このいとおしさが減るとは到底思えない。きっと、これからもこの想いはどんどん嵩を増してゆく。



        「ねぇ」
        「なぁに?」
        「ちょっとだけ」
        「ん・・・・・・」


        新たにお願いをしながら、口づけを深くする。
        君の鼓動は、きっと速さを増している。






        長い接吻のその後に、もう一度だけ聞かせてもらおう。
        いとおしい、大切な、いのちの音を。













        了。





                                                                                       2015.11.15






        モドル。