狐、もしくは。










        いつか子供が生まれたら、その子は剣心みたいな緋い髪をしているのかしら。
        わたしに似たとしたら、まっすぐな黒髪の子なのかしら。
        それとも、ふたりの色を合わせたような、優しい茶色の髪で生まれてくるのかしら。



        寝間着の背中に垂らした彼の髪に触れながら、なんとなく、そんなことを考える。





        「何をしているんでござるか?」
        「作業」を終えたわたしは、剣心の髪を、軽く引っ張って持ち上げる。
        「ほら、お揃い」
        わたしと同じ、一本の三つ編みにした緋い髪を、彼にも見えるように顔の前に持っていってやる。

        くすりと、彼が笑う気配を感じた。
        振り向いた剣心に、肩を捕まえられる。そのまま、むぎゅっと抱きしめられた。
        体重がかけられて、身体が傾く。背中から、布団に倒れこむ。
        「・・・・・・いたずらっ子」
        布団の横に手をついて、剣心がわたしを見下ろす。三つ編みの赤毛が、するりと顔の横に流れた。
        特に、髪紐で留めたりもしていなかったので、編み目はすぐに緩んでほどける。
        わたしの頬を掠めた、緋い髪。そのひと房を指に絡めて、しげしげと見つめた。


        「綺麗な色ね」
        剣心は不思議そうな顔でまばたきをすると、一拍置いて「拙者の髪がでござるか?」と尋ねてきた。
        「そうよ、とっても綺麗だわ」
        「そんな事はじめて言われたでござるよ・・・・・・別に綺麗でもないし、髪なら薫殿のほうがよっぽど綺麗だ」
        そう言って、剣心はこめかみのあたりの生え際に触れてきた。指の腹で、其処を撫でられる感触に、ついうっとり目を閉じてしまいそうになるが―――で
        も、この主張はちゃんと通しておかなくては。

        「綺麗よ。夕焼けの空の色を、ぎゅうっと濃く染めたみたいで、綺麗」
        「夕焼け、でござるか」
        「うん、あったかい色で、大好き」


        人混みのなか、あなたの髪の色を見つけると、それだけで嬉しくなる。
        滅多にない明るい髪の色は特別な色だ。わたしにとっての、ただひとりの大切なひとの色だから。

        あなたの名を呼ぶと、髪を揺らしてあなたが振り向いて。
        そして、わたしを見て微笑んでくれる瞬間が、とてもとても幸せで―――


        「剣心が真っ黒な髪だったとしても、すぐに見つける自信はあるけれど―――それでも、見つけやすいにこしたことはないでしょう?」
        悪戯っぽく言いながら、手にした緋い髪を引き寄せ、口づける。
        「まぁ、確かに目印にするにはよいかもしれぬが・・・・・・」
        「それだけじゃないの。ただ、剣心の髪だから好きなの。それだけなの」

        髪から手を離し、腕を伸ばす。下から抱きついて、彼の頬に、耳に、そして髪にと順番に小さな口づけを贈る。
        触れるごとに、「大好き」が伝わるように、祈りをこめて。


        「・・・・・・ありがとう」
        剣心は照れくさそうに笑うと、お返しのようにわたしの額に唇を押しつけた。
        「子供の頃は、この髪のことをよくからかわれたものでござるよ」
        「そうなの?」
        「ああ、狐の毛みたいな色だといわれて、狐の子とはやしたてられたでござる」
        小さい頃の話でござるよ、と彼は笑ったが―――わたしとしては、たとえ子供の頃の話だとしても、剣心が馬鹿にされたのは腹立たしい。

        「その子達、失礼ね。狐は賢いし、お稲荷様の使いなのよ?わたしがその場にいたら、そう言い返してやったのに」
        剣心は、驚いたように目を大きくして、それからがばっとわたしに覆い被さってきた。
        抱きしめられる直前、彼の嬉しそうな笑顔が見えて、わたしも嬉しくなった。


        「ほんとに・・・・・・薫殿がいてくれたらよかったのに」
        さぞや心強かったでござろうな、と。耳にぴったりと口をくっつけて、剣心が囁く。
        ちゅ、と唇が耳朶に吸い付いて、そのまま首筋に頬にいくつもの接吻が降ってきた。
        「どうして、あの頃一緒にいてくれなかったのでござるか?」
        「そんな、無茶言わないで・・・・・・大体わたし、その頃はまだ生まれていな・・・・・・あんっ!」

        くすぐったさに、身を震わせる。お喋りをしながら、剣心の唇が喉元をたどって、寝間着の衿をくわえて引っ張った。
        露わになった胸に顔を埋めて、そこにも口づけを落としながら、ちらりと彼はわたしの顔を見上げる。その仕草がなんだか可愛くて、思わず頬が緩んでしま
        う。


        以前、斎藤さんがわたしのことを動物なら「狸」だと喩えて。剣心はむしろ「猫」だろうと言ってくれた。
        その流れで言うと、剣心はさながら「狐」かしらと思っていたのだけれど―――今の彼は、狐というより、犬みたいだ。

        ううん、どちらかというと「子犬」かしら?
        そう、鼻先を押しつけて、くんくんと甘えてくる、可愛い子犬のよう。
        緋い髪に、指を差し入れる。なついてくる子犬にそうしてやるように、いい子いい子と撫でてやる。



        「・・・・・・あっ!」
        ―――と、ふいに強く歯を立てられて、身体が竦んだ。

        胸の上から頭を起こした彼は、ぐっと身を乗り出すようにして、わたしの喉に手をかけた。
        顎を掴まれて、瞳の奥を覗き込まれる。その、射すくめられるような視線の強さに、ここから先はのんきな想像をめぐらせる余裕などなくなることを知る。


        口づけられる。
        はじめは小さく啄むように。だんだんと、噛みつくように。

        ああ・・・・・・そうだった。
        彼は狐ではなくて、ましてや可愛い子犬の筈もない。




        そうだった。彼は―――優しい牙をもった、狼だった。




        「・・・・・・口、あけて」
        要求に従いながら、必死に腕をのばして彼にすがりつく。

        もっともっと、あなたに美味しく食べてもらいたいから。少しでも、上手にあなたに応えられるように。
        この身体ごと全部捧げて、残さずきれいに食べてもらうために。



        気がつくと、三つ編みはほどけて、黒髪が敷布の上に散らばっていた。
        その上に彼の赤い髪が流れて絡み合うのが、視界の端に映りこんだ。






        いつか子供が生まれたら、その子はどんな髪の色をしているのかしら。
        もう一度そんなことを、心のなかで呟いてから―――彼に食べられるために、目を閉じた。














        了。





                                                                                         2016.05.20








        モドル。