ショッピングモールを歩いていると、君はふと雑貨屋の店先で足を止めた。そのまま動かなくなっている君の視線を辿ってみると、その先にあったのは小
さなブローチ。七宝焼だろうか、人差し指の先に乗せられるほどの大きさのそれは、控え目な光沢が上品で愛らしかった。
「・・・・・・これ?」
「あ」
何種類かあるブローチのなかからひとつ、見当をつけてつまみ上げ、君の目の前にかざす。どうやらそれで正解だったようで、君は反射的に手のひらを
差し出した。
「・・・・・・かわいい」
ふわりと、君の頬に笑みが浮かぶ。その表情が可愛くて、つられて俺の目尻は下がる。君が目を留めたのは、藍色の小鳥がモチーフのブローチだった。
「買ってあげるよ」
「え?!えっ、いいわよそんな!ほらこれ、結構高いし!」
ブローチの台紙を裏返して示した値段は、CD一枚ぶんほど。なるほど、高校生の君にとっては高価かもしれないけれど・・・・・・
「欲しくないの?」
その問いに、君はぐっと言葉に詰まり―――いくばくかの沈黙の後「・・・・・・ひとめぼれ、しちゃったみたい」と告白した。
うん、俺以外の男性に一目惚れするのは困るけれど、アクセサリーが相手なら全然問題ない。むしろ、君の魅力をより引き立ててくれるものなのだから、
大歓迎だ。
数分後、ひと休みするのに入ったカフェ―――というよりは喫茶店と言うべきか。昔ながらの雰囲気が漂うその店で、君はしかつめらしい顔を作って「あ
んまり、甘やかさないでよね」と苦言を呈してきた。
「甘やかすって、誰を?」
「もちろん、わたしをよ」
「甘やかした覚えはないけれど・・・・・・」
「だって、この子!」
そう言って、君はカーディガンの襟元を指先で引っ張る。胸には、君のものになったばかりのブローチが―――小さな藍色の鳥が一羽、翼を休めていた。
うーん、それを買ってもらったくらいで「甘やかされた」と主張するのが可愛い。そしてブローチの小鳥を「この子」と呼ぶのも可愛い。総じて君はとても可
愛い。
「買って欲しくなかった?」
「そりゃ、欲しかったけれど・・・・・・心配なんだもん」
「何が?」
「こうやって剣心にプレゼントしてもらうのは、嬉しいの。とっても嬉しいんだけれど、それに甘えてばっかりいたら、わたしどんどんわがままになっちゃい
そうで、怖いのよ」
・・・・・・ああ、成程そういう事か。真剣な眼差しで訴える君には悪いけれど、微笑ましくてついつい頬が緩んでしまう。
「大丈夫。そうやって自分から『甘やかすな』と言ってくるような子が、わがままになるわけないよ」
「そうかしら・・・・・・」
困惑しつつ、君は指先でブローチを撫でる。まるで生きている小鳥を慈しむかのように、そっと。
「・・・・・・剣心は、優しいわよね」
「え?」
「優しくて、うんと年上で、頼り甲斐があって・・・・・・だからわたし、いつの間にか剣心に甘えちゃってること、たびたびあると思うの」
言われる側にとってはなんとも面映ゆい言葉が続いたが、君の目は真剣そのものだった。
「甘えすぎて、わがままな嫌な子になりたくないの。だって、そしたら剣心わたしのこと・・・・・・」
嫌いになっちゃうでしょう、と。ふっと俯いてそう言うのがいじらしくて、「嫌いになるわけないよ」と大声で叫んでしまいそうになるのをなんとか堪える。
なんとか堪えて、常識の範囲内のボリュームでその台詞を口にした。
「だいたい、俺のほうが薫よりずっとわがままなんだから、そんな心配する必要ないよ」
「嘘!剣心がわがままなわけないじゃない」
「薫とつきあっている時点で、俺はもうわがままなの。本来なら君が卒業するまで交際なんてしちゃいけないはずなのに、それが我慢できずにこうしている
ということは、わがままって事なんだよ」
俺の解説に君はきょとんとして―――そして、ぱっと花が咲くように、笑った。
「剣心がわがままで、よかったわ」
「うん、そう思ってもらえると嬉しい」
そのタイミングで、「お待たせしました」と注文の品がやってきた。横長のガラス皿に盛られたレトロなプリンアラモードに、君はきらきらと目を輝かせる。
・・・・・・少し前までは、綺麗に盛り付けられたスイーツなどを、やたらと「可愛い」という形容詞で表現する風潮をどうかと思っていた。しかし、今ならわかる。
だって、笑顔の君とプリンの組み合わせときたら、もう「可愛い」としか表しようがない。
「こっちも少しあげるよ」と、俺が注文したホットケーキの皿を押しやると、君は「わたしのもどうぞ」とプリンをスプーンですくって差し出した。周りの目を気
にしつつ、ぱくっとそれを口にすると、舌の上に優しい甘さが広がった。
・・・・・・ああ、幸せだなぁと、しみじみ思う。
コーチと教え子という立場で出逢って、本来ならば君が高校を卒業するまではこの想いは隠しておく筈だったのに、思いがけない幸運から俺たちは恋人
同士になることができた。
その幸運のおかげで調子に乗って、俺はすっかりわがままになってしまった。
君には、内緒だけれど。君の卒業と同時に、俺は君にプロポーズをする。
自惚れと言えるかもしれないけれど、俺は君がそれを受けてくれると信じている。
これこそが、俺のわがままだ。
これから先の君の人生のすべてが欲しいだなんて、わがまま以外の何物でもない。
卒業したら、君は大学に進学する。そうしたら、君の目の前に待ち受ける世界は今までとは比べものにならないくらい広く大きくなる。
進学して、やがては社会人になって、色々な人と出会って様々な出来事を経験して、それらが君の人生をより豊かに彩ることだろう。より広い世界を見て
成長した君は、更に魅力的な女性となってゆくのだろう。きっと多くの者が、君の輝きに魅了されることだろう。
そのことを、俺は恐れている。
この先、大人になった君を他の誰かが掠め盗りやしないかと。俺以外の誰かとの、運命的な出会いが待っていたらどうしよう、と。
だからその前に、君の未来のすべてを俺のものにしてしまおう。君と結婚して、夫婦になって、君の目が俺以外を見つめられないようにしてしまおう。
君のこれからにある可能性は無限で、いくつもの道の中から歩むべき道を選ぶことができる筈だ。なのに、君が他の道を見いだすその前に、「俺との結
婚」という道を選ばせようとしている俺は、器が小さいというか発想が姑息と言うべきか―――
勿論、俺の未来もすべて君にあげるから。
他の誰よりも君を大切にして、他の誰よりも幸せにすると約束するから。
だから、君のすべてを俺にください。
この、唯一のわがままを―――どうか、どうか許してください。
「おいしかったー!ごちそうさまでした!」
プリンを綺麗にたいらげた君は、至福といった表情で胸の前で手を合わせる。
その顔を見て、「いつも、そうしていてほしいな」という思いがふっと湧きあがる。
いつまでもずっと、そんな幸せそのものの顔で笑っていてほしい。だから、俺は君を守ろう。いつも笑顔でいてくれるように、悲しい涙など流すことのない
ように、ずっとずっと、君を大切にしよう。
それが、わがままな俺が君にしてあげられる、せめてもの誠意。
「・・・・・・ほかに、何か頼む?」
「え?無理よー!いくらわたしが沢山食べるからって!それに、言ったでしょう?あんまりわたしのこと、甘やかさないで」
「甘やかしたいなぁ」
「けーんーしーんー?」
半眼になって睨む、そんな表情までが困ったことに可愛らしい。
「コーヒー、もう一杯飲んでから帰ろうか」と提案すると、君は頷きながらも残念そうな色を目に浮かべる。
君が「離れたくない」と思ってくれているのなら、俺は嬉しい。
その感情こそが、君と結婚することの免罪符になるのだから。
「そんな顔をしなくても、今に同じ家に帰れるようになるよ」―――と。
心の中でこっそり呟いて、コーヒーの追加を注文した。
了
2019.09.28
モドル。
明治版は、こちら。